第53話 悪夢からの目覚めⅠ
潔癖な白を闇に染めた、夜の病室。電気も点けず、フィオールはベッド脇の椅子に座って息を潜めている。手術を終え意識を失ったままのテオールは、左目を眼帯で覆われた状態だ。フィオールの左隣、すなわちテオールの枕元の椅子にいるのはルイルであり、今はフィオールに頭を預けて眠っている。テオールが運ばれてすぐに気を失ったレナリアは、別の病室で目覚めているだろうか。
病院に駆け込んだ四人は、説明もいい加減にテオールを助けるよう医師に頼んだ。皮肉にも、怪我の場所が悪いとあって手術は速やかに行われた。その間に看護師が事情を聞きたがったが、フィオールたちは上手く話すことができなかった。人を殺したと明かして追い出されるわけにはいかなかったし、思考はテオールの無事を願うばかりだった。
レナリアが倒れたのはその最中で、己の存在が惨劇を引き起こしたのだと思い込んで疑わない様子だった。ごめんなさい、と誰にともなく発された声は痛々しかった。
――少しだけ、シーツが動いた。
「……フィオ……?」
「……!」
フィオールがはっと顔を上げると、テオールがうっすらと右目を開けてこちらを見ていた。
「……ルイと、レナリアは……?」
「無事だよ。ルイはここにいて、ジオスは……別の部屋で寝てる」
「……お父さんは……?」
「……分からない。……死んだ、と思う……」
「……そっか……」
しばし、静寂が満ちる。視界が奇妙であることに気づいたのか、テオールは右手でぺたぺたと両目を触った。当然、左目を隠す眼帯の存在を知ることになる。
医師の話では、視力の回復は絶望的だろうとのことだった。取り出すほどではなかったが、眼球に重大な傷を負ってしまったそうだ。今後、テオールがこの怪我から目を逸らすことは不可能だろう。お父さんみたいだ、とフィオールは考え、この先テオールが背負う悪夢の残り香に涙がにじんだ。可能なら、何の傷跡も負わずに逃げきりたかった。
テオールは、自身の前髪をくしゃりと握り締めた。
「ごめん……。俺のせいだね。俺が、何も知らなかったから……」
「違う!テオは悪くない。俺が最初から忘れないで、さっきもテオを助けてれば……!」
なぜ、と今でも思う。なぜ、フィオールは重大な真実を忘れてしまったのだろうか。誰にも言わないとしても、細部まで覚えておくべきだった。なぜ、フィオールはぎりぎりまで動けなかったのだろうか。ルイルのように、テオールを助けるためにすぐに行動するべきだった。
悔やんでも、悔やんでも、後悔は後から後から湧き出てくる。あのときこうしていれば、こうしなければ、そういう堂々巡りに苛まれている。
痛い、とテオールは泣いた。否、泣いたから痛いのかもしれない。シーツの中で体を丸め、恐らく激痛だろう苦しみに耐えようとしている。フィオールはどうにか楽にしてあげたくて、テオールの体を優しくさすった。
やがて、う、と嗚咽が鼓膜を揺らすようになった。ひっく、と呼吸を乱して、テオールが泣いている。ごめん、と繰り返される声は、フィオールが知らない、弱くて小さな弟の姿だ。
不意に、フィオールの左肩で揺れ動くものがあった。
「……テオ?テオ!!」
ルイルはぱっと体を起こし、すすり泣いているテオールに覆いかぶさった。
「痛いの?おなか、痛いの?テオ、返事して、テオ!」
「ルイ、大丈夫だ!テオは泣いてるだけだ。もう大丈夫なんだよ」
「テオ、テオ……!」
ルイルはテオールを揺らした。悪夢が繰り返されていないかと、涙をこぼしながらテオールを揺さぶった。すると、テオールはそっと顔を覗かせた。涙で濡れた顔を見せ、ルイルに手を伸ばす。
「……ごめんね、ルイ。ずっとごめんね。近くにいたのに、ずっと知らないままで……!」
それは、フィオールも同じだ。元凶は一番側にいたのに、ずっと認められなかった。ずっと忘れたままで、ルイルを悪夢の中に閉じ込めたままだった。
「……ルイ……ごめん……」
フィオールも謝った。謝って済む問題ではないと理解しておきながら、謝る以外の術を持たないからそうした。
ルイルに嫌われたくない。ルイルを失いたくない。始まりがどれだけ不幸で理不尽なきっかけだったとしても、これまでの幸を無かったことにはできない。恨まれるべきだと分かっていても、たとえ本当に恨まれてしまったとしても、ルイルがいなくては生きていけない。これは、他人が怖いという根本的な欠陥とは別の話だ。――フィオールは、ルイルが欲しい。
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