第2話 ヴィンストン一家殺害事件の生存者Ⅱ

 長方形のテーブルで、ルイルを挟んでランロッド兄弟、テオールの向かいにミランという席順で座り、各々自由な朝食を食べ始めた。フィオールはヨーグルトを掛けたシリアル、テオールはブルーベリージャムを塗ったトースト、ルイルはフィオールの真似をしたり、テオールの真似をしたり。


 父親は朝早くに出勤するから、顔を見るのはいつも夜だ。事件が起きると、一週間会えないというのも当たり前。役職持ちだからか休暇はきっちりと取るものの、普段から一家団欒するわけではない。

 この家庭環境にフィオールは救われ、テオールは可も不可も定めず、ルイルは満足と不満足を代わる代わる抱いている。


 新学期のためにまとめた荷物を車に運ぶ傍ら、フィオールはぼやく。


「やっぱり、風邪引いたってことにしてもう一週間家にいようかな」

「駄目だよ」

「けど、テオと離れたくない……」

「フィオ、行かないの?じゃあ、俺も行かない!」


 ボーディングスクールに進級したのが寂寥の始まり、フィオールは長期休みの間しかテオールに会えなかった。ルームメートがルイルだから我慢できただけで、休み明けは胸が締めつけられるほど寂しい。

 何より、テオールと離れていると、見えない恐ろしさが脳裏を常に汚染している。ミドルスクールの頃は、このような恐怖は生まれなかった。別のクラスを受けていようが宿泊行事に参加しようが、再会を心待ちにしつつも他のことに集中できた。それがどうだ、この一年間は不意にうずくまりたくなるほど辛い。原因として考えつくのは、単純に期間の長さだが。

 というわけで、いよいよ今年度にテオールも進級するのは万々歳。しかし、なぜ在校生は新入生よりも一週間早い入寮日なのか。混雑や混乱を防ぐためだとは分かるが、親の送迎の手間もある、兄弟は同じ日にしてくれてもいいのではないだろうか。三ヶ月にも渡る夏休みを密着して過ごした反動か、待ち構えている一週間がまるで宿敵かのように憎い。


 ぐだぐだとごねる兄を見かね、テオールは徐に両腕を広げた。照れのせいで強張っている顔はご愛敬だ。テオールはいつも受け身なので、自ら愛情を表現するのは慣れていない。それでも、兄を鼓舞するために息を吸う。


「俺が進級したら色々教えてね、フィオ先輩」


 すると、フィオールの顔は見る見るうちに輝いた。優しげな目を目一杯見開き、愛しい弟にがばっと抱き着く。


「うん、うん、何でも聞けよ。入寮日は校門で待ってるから」

「目立たないようにしてね。ルイもだよ」

「はーい。フィオ、俺もテオにぎゅってしていい?」

「上から来い」

「やった!」


 生まれたばかりのエナガのごとく、三人はぎゅうぎゅうと抱き締め合った。テオールが少し潰れているとも言えるが、嫌がってはいない証に他の二人をしかと抱き締め返している。お互いに伝わる体温は、春の日差しのように心地好い。十秒ほど無言で維持し、お母さんが待ってるよ、というテオールの一声で終了した。フィオールとルイルはガレージで待ちくたびれた車に乗り込み、見えなくなるまで手を振る。


 ルイルは、ご機嫌でフィオールの手を弄び始めた。また二人暮らしが始まって嬉しい、という表情。もちろん、テオールが進級することも含まれての喜色だ。ランロッド家での暮らしは悪くないが、少々煩わしい。ランロッド兄弟の両親はルイルを決して蔑ろにしない反面、ミランだけはその精神面を矯正しようと試みている。しかし余計なお世話だ、ルイルは今の自分に不満も後悔も抱いていないのだから。


 六年前、フィオールたちと初めて会ったときのルイルは、何もできない、ただ呼吸をしているだけの少年だった。食べるのも着替えるのも、誰かが手伝わなくてはやらない。モノクロの視界で、赤だけが鮮明に映った。今にしてみれば、それは幻覚だったかもしれないが。

 重要なのは、フィオールとテオールが率先してルイルを世話した結果、ルイルは二人に依存するようになってしまったということだ。自室はあるのに、単なる荷物置き場と化している。自由はあるのに、二人のどちらかと同じ選択をする。植物でいるよりはましな一方、立派に生きていくためには不健全だろう。だが、ルイルは変わりたいと思えない。社会に認められないという疎外感より、フィオールとテオールを失う恐怖心のほうが勝っている。


 寮監から鍵をもらったフィオールは、三ヶ月ぶりの部屋を開け放った。すると、ほこりがわずかに舞い上がる。潔癖症の嫌いがあるフィオールは顔をしかめ、鼻と口を右手で覆った。まずは掃除だな、とルイルにも聞こえるよう呟き、十五分ほど掛けてきれいにしていく。


「ねぇ、フィオ。テオが来たら、一緒に寝れるかな?」

「難しいんじゃないか?寮監に小言言われても厄介だし、一緒に寝るのは冬休みまで我慢しろ」


 教科書、服、タオルなどの必需品をワードローブにしまう。フィオールの場合は、他にカフェテリアで食べられないときのための携行食に、トイレで使用する除菌スプレーも。と言うのも、フィオールの欠陥の一つに潔癖症があるからだ。人肌や他人の粘液はもちろん、突き詰めると他人が触った物にも触れることができない。

 実際は自ら暗示を掛けつつそれなりの日常生活を送っているわけだが、たまに悪化する日がある。そういう時期は、クラスルームで椅子に座るだけで精一杯だ。不特定多数が食事するカフェテリアなど、不潔以外の何物でもない。ルイルがよそってくれた場合は、最終的に残すにせよ少しなら食べられるが。


 フィオールが受け入れられるのは、テオールとルイルだけだ。実の両親さえ、触れ合ったのは思い出せないほど幼い頃が最後。出立の際にしたハグも、例えば相手が母親であるミランだったら突き飛ばしていた。原因は不明だ。確実に言えるのは、テオールとルイルがいなくては生きていけないということ。二人がいなければ、フィオールの心は孤独に荒らされ壊れてしまうだろう。


 フィオールとルイルは、どちらからともなく目を合わせた。ルイルが微笑み、テオが来るの楽しみだね、と言う。フィオールは、そのまばゆい銀髪に目を細めた。あどけない笑顔が咲く度、涼やかに踊るそれ。手を伸ばし優しく撫でれば、ルイルは幸せそうに目を閉じる。

 窓の外、真上を通過した太陽。時間が過ぎるほど室外の雑音は増し、室内のよどみを際立たせる。一週間待つだけだというのに、テオールの到着が待ち遠しい。


 この世界のキャストは、ランロッド兄弟とルイルのたった三人だ。クラスメートや教師はもちろん、実の親さえエキストラでしかない。フィルムが巻き直される音の長さと同じだけ、三人の日々は何者かによって撮影されていく。広い世界の片隅しか知らない、無力な子供たちの物語。カメラからフィルムを抜き取り、現像し映写機に装填する存在は、果たして誰なのか。過去から続くこの脚本を、果たして破り捨てることができるだろうか。

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