Child's Nightmare
青伊藍
第1話 ヴィンストン一家殺害事件の生存者Ⅰ
九年前のクリスマスイブ、ヴィンストン一家殺害事件は起きた。
ありきたりな町の、ありきたりな一軒家で犯された大罪。ただし、一家、という表現はいささか不適切かもしれない、たった一人だけ生存者がいるのだから。当時にして七歳の、サンタクロースを待っていたありきたりな少年。美しいターコイズブルーの両目に映ったのは、凄惨な赤だ。
事件は真夜中に起きた。殺害されたのは三十代の夫妻と、エレメンタリースクールの高学年に所属する長男一人。それぞれ寝室で、胴体を何か所か刺され頸動脈も切られた状態で発見された。――また、死体の隣には、くり抜かれた眼球が置かれていた。
殺害から二日後、夫の無断欠勤を訝しんだ部下がヴィンストン家を訪れたことで発覚した。恐ろしいのは、犯人が未だに捕まっていないという点だ。証拠がほとんど残されておらず、目撃者もいないものだから捜査が難航している。
生存者ルイル・ヴィンストンの無事の要因は、幸とも不幸とも言えないだろう。サンタクロースを待ち伏せするつもりが運悪くソファーの下で寝落ちしてしまった結果、家族の死体を目の当たりにすることとなった。幸せを夢見ていた矢先、目の前に用意されたのは生き地獄だ。皮肉にも自身は見落とされ助かったわけだが、これを完璧な幸だと誰が言えるだろうか。警察が到着したとき、ルイルは両親の寝室で茫然自失としていた。
自我を失った少年は入院が決まったものの、病室でじっと座っているだけで一日を終える。治療、社会復帰、どれもこれも達成できる兆しがない。苦肉の策として大人が取ったのは、と言うより同情心ありきで決定したのは、警察官であった被害者男性の同期の家庭で引き取るという選択肢だ。
夫妻と息子二人、被害者一家と同じありきたりで幸福な家庭に、全てを壊された少年は移された。その後の人生は、長男フィオール・ランロッド、次男テオール・ランロッドと共に、ルイル・ランロッドとして生きていくこととなる。
――夏休み終盤の朝、未だベッドのフィオールは背後のルイルに声を掛けた。ルイル越しに寝ていたテオールはとっくに起床し、今頃朝食を準備していることだろう。
「おい、起きろ」
「……んー……」
「ルイ。俺はトイレに行きたいし顔も洗いたい。腹も減ったしテオにも会いたい。さっさと起きろ。せめて放せ」
「んー……痛っ」
もぞもぞと余計に抱き締められたので、フィオールはルイルの手の甲をつねった。おかげで拘束が緩み、寝癖付きの茶髪をかき混ぜながらベッドを抜け出す。母親譲りの垂れ目はしっかりと開き、眠気は今晩に備えて息を潜めている。今の時刻は、八時に鳴らしたアラームを止めてから十五分後。二人の一日は、この茶番をプロローグとして始まる。
ブランケットを引っぺがしたフィオールによって、ルイルは半ば力業で立ち上がらせられた。その拍子に揺れるは、肩まである銀髪。ただし、人によっては老人の色だと感じるかもしれない。長い前髪の下で瞬く碧眼は、もはや家族とも言えるフィオールとテオールを常に探し、見つけた途端星のように輝く。十六歳にしては背丈が低いうえに童顔なので、十四歳のフィオールと同い年に見える。美青年、と異口同音に評されるだろう、そのアンバランスな精神面を隠してさえいれば。
洗面所で順に顔を洗う。フィオールが自室に戻り着替えてからダイニングに出ると、その弟であるテオールがキッチンでトーストを焼いていた。兄と同じブラウンの、けれどふわふわとした髪に、同色のきらりと光る猫目。気が強そうと言うよりは愛嬌がある顔つきで、モスグリーンのプルオーバーパーカーがよく似合っている。
テオールはフィオールを認めるとへにゃりと笑い、パンくずが付いている手を水で洗った。
「テオ、おはよう」
「おはよう。ルイは?」
「着替えてるんじゃないか?」
「――フィオー、リボンやってー」
二人が言っている側から、半端に着替えたルイルがリビングに来た。いいところのお坊ちゃんを思わせる、白シャツとグレンチェックのスラックス。例によって、リボンタイに手間取っているようだ。三つ年下のテオールのほうがずっとしっかりとしている、フィオールは呆れつつも、大人しくルイルの仕上げをした。
結ばれている間、ルイルはうっとりとした笑顔でフィオールの顔を見詰めている。大嫌いな神様からのギフトがルイルのことだけを考える、この時間が幸せで堪らない。
実際はテオールに対しても同じことを思っているのだが、テオールは学年が違うゆえに引き離されることが多く、表出するのはどうしてもフィオールに対してのそれになりがちだ。リボンの結び方を練習しないのも、わざわざリボンがあるコーディネートを選ぶのも、フィオールに構ってほしいから。そのようなことをせずともフィオールの意識はほぼ常にルイルにあるのだが、それはそれ、これはこれ。望むだけ与えてもらえるなら、際限なく要求する。
フィオールがシャツの入れ加減や引っ繰り返ったポケットを直す頭上で、テオールはルイルの顔にメイクを施していく。
「ルイ、目、閉じて」
「はーい」
下地をむら無く塗り込み、パウダータイプのファンデーションを軽くまぶす。色とりどりのパレットを広げ、パープルのアイシャドウを選択した。あくまでアクセントとなる程度に乗せ、ルイルに目を開けてもらいバランスを確認する。リップは朝食の後なので、とりあえずはこれで完成だ。
メイクをしようと言い出したのは、果たして三人のうちの誰だったか。テオールがいるときに限り、ルイルの顔立ちはいっそう華やかなものとなる。この行為は、テオールがルイルの生活に無理矢理干渉しようとした結果だ。テオールもフィオールのように、ルイルを形作る一要素として生きたかった。また、そうするとフィオールが喜ぶというのもあった。本人が明言したことこそないが、フィオールはルイルの容姿を殊更に好んでいる。滅多に外出しないにも関わらず、フィオールは何かとルイルを飾り立てたがる。
その工程で、テオ、と呼ばれ頼りにされるのは、良くも悪くも「普通」であるテオールにとって貴重な機会であり、自身の価値の証明だ。
三人がそうこうしているうちに、ランロッド兄弟の母親であるミランが庭から戻ってきた。園芸が趣味なので、朝食の前に水やりをするのがお約束だ。親として不正解ではないが、どこか神経質な女性。挨拶をしつつも接近を避けるフィオール、それに追随するルイル、それを誤魔化すために話しかけるテオール。ランロッド家の「日常」は、いつからか一般性に欠けている。
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