第23話 亀裂Ⅱ

 角を曲がると、ルイルは待ちくたびれた表情をぱっと輝かせた。リュックの肩紐を差し出し、フィオールが背負いやすいように傾ける。フィオールの心臓は、どくどくと脈打っているままだ。ルイ、とフィオールは口にしてしまい、後悔する。


「何?」

「……さっき、カーゴ先生に会った」

「何されたの?」

「いや、何も……。けど、ジオスによろしく、みたいなことを言われた」


 歩きながら嘘を吐く。本当は、テオールのことを報告するつもりだった。ところが、できなかった。それを知ればルイルが傷つくと分かっているし、テオールとレナリアの仲を壊したくなかったというのもある。


 うるさいね、とルイルは言った。フィオールと手を繋ぎ、嫌い、と悪感情を吐き出した。正真正銘、ルイルはカーゴを嫌っている。似たような経験がエレメンタリースクールの頃にあった。クラスメートと馴染めないことを心配した教師を、ルイルはとにかく避けた。お気に入りのおもちゃを奪われることを恐れるかのごとく、フィオールを連れ回して逃げた。テオールを守ろうとするフィオールと同じだ。敵味方の区別が付かず、己の世界への侵入者を排除しようと躍起になる。フィオールとルイルは似た者同士なのだろう。フィオールをそうさせたのが一体何なのかは、全くもって分からないが。


 校舎の外では、ポツポツと雨が降っていた。冬は雨天が多いから、雨具を手放せない。フィオールは折り畳み傘を開き、ルイルと共に入った。いつも、いつも、ルイルは傘を持ち歩かない。フィオールにとって、ルイルと分け合うのは当然のことだ。はみ出た肩は濡れるが、ルイルとくっついているから寒くない。テオールはどうだろうか。冷える肩に構わず、レナリアと同じ傘の下で歩くのだろうか。


「あいつと仲良くしないでね。俺と一緒にいて。あいつはいらないでしょ?嫌いでしょ?」


 しきりに口を動かすルイルは不安げだ。フィオールをじっと見下ろす瞳には、ほの暗い炎がちらちらと揺らめいている。最愛の自我までも支配しようとする、無邪気で身勝手な渇望。

 いいな、とフィオールは思った。さっきまでの憂鬱を塗り潰す勢いで、危うい心地好さが心を満たしていく。感じるのは、許しだ。レナリアに見られているときとは真逆に、フィオールの罪に免罪の余地が与えられる感覚。フィオールがルイルから離れられない理由の一つには、このどうしようもない解放感が含まれているのだろう。


「ルイとしか仲良くしないよ。ルイとテオとしか、俺は一緒にいない」

「本当?嘘じゃない?」

「うん。本当だよ」

「良かった。――テオも絶対そうだよね?」

「……そうだな」


 どうだろうか。テオールが求めているのは、フィオールとルイルだけなのだろうか。窓枠に切り取られたあの微笑みは、フィオールの脳裏にくっきりと焼きついている。フィオールとルイルを呼ぶ声で、レナリアの名前も呼ぶのだろうか。フィオールとルイルを撫でる手で、レナリアの髪も撫でるのだろうか。分からない。テオールが何を考えているのか、全く想像できない。

 このような事態は初めてだ、と思いかけ、ふと疑う。果たして、これまでテオールの思考を完璧に理解できていただろうか。その優しさは知っていても、テオールの心の内は知ったかぶりでしかなかったのではないか。テオールの心中はルイルの想像と寸分違わず一致すると思っていたが、本当にそうだろうか。フィオールがそうだからと言って、テオールもそうだとは限らないのではないか。大人びた言動は単に一歩退いているだけで、困ったような笑みは単に本音を押し殺しているだけなのではないか。


 私室に入り、一時間後。テオールの迎えに行く頃の少し前に、フィオールはわざと行動を起こした。


「トイレ、行ってくる」

「じゃあ、ついでにテオ、迎えに行こうよ」

「いや、まだ早いだろ。俺が戻って少ししたらにしよう」

「はーい」


 ルイルはフィオールを疑わない。そして、テオールのことも疑わない。フィオールも、テオールを疑ったことはない。疑念は愛情の裏切りだと思う。


 部屋を出たフィオールは、トイレではなく階段へ向かった。駆け下り、傘立てから半乾きの折り畳み傘を掴んで外へと踏み出す。雨脚はいくらか強くなり、ザァ、とノイズが鼓膜をはっきりと揺らす。

 帰寮する生徒のさざ波に逆らいながら、己とお揃いの髪色を焦った気持ちで探した。似た背格好を見つけては、違う、と判決を下していく。ルイルがいない時間はまず実現しない、テオールを一人で早めに迎えに行かなくては、レナリアの件を問い詰めるのは不可能だった。

 目を走らせながら、思い返す。進級してすぐの頃から、テオールが一緒でない週末が何度かあった。それらしい理由ばかりだったから納得していたが、まさかレナリアと会っていたのだろうか。フィオールとルイルに嘘を吐いてまで、テオールはレナリアとの時間を捻出しているのだろうか。なぜ。どうして。


 ようやく、夕日に照らされた小麦畑のような髪を見つけた。


「テオ!」

「……フィオ?何かあったの?」


 いつもと違い寮の玄関にいないからだろう、テオールは首をかしげた。ルイルがいないせいか、どこか緊張をはらんだ声だ。テオールは、フィオールとルイルの異変を誰よりも早く察知しようとしてくれる。その分、隠し事の上手いやり方を知らずのうちに身に着けてしまったのかもしれない。

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