第9話 レナリア・スタンメリー

 歳を重ねるほど奥へ奥へと追いやることができているのに、その鮮度はちっとも落ちないあの日の記憶。

 目覚めると、クリスマスツリーの下にプレゼントは無かった。吸い込んだほこりに一つくしゃみをして、プレゼントを一緒に開けると約束していた兄の部屋に行った。

 ドアは開いていた。赤い水がこぼれていた。ベッドの上には、真っ赤に汚れた兄がいた。死んでいると思い至ったが、単なる病気だと思い込んで両親を起こしに行った。

 ドアは開いていた。赤い水がこぼれていた。ベッドの上には、真っ赤に汚れた母がいた。その隣には、真っ赤に汚れた父がいた。赤い水を踏んできたから、自分の足も真っ赤になっていた。真っ赤な家族に触ったから、自分の手も真っ赤になっていた。

 クリスマスプレゼントは、三人の目。気づくと足の力が抜けて、パシャリと赤い水が跳ねて、次に目覚めたときにはフィオールとテオールが側にいた。


「ねぇ、ルイル・ヴィンストン先輩。この後、どうなると思いますか?妹の話はここで終わると思いますか?意地悪な親戚に引き取られて、それでお終いだと思いますか?」

「……何、で……」

「ヴィンストン先輩の話、本当に終わってますか?終わってるんだとしたら、私が終わらせません。同じ不幸から始まっておいて、自分だけハッピーエンドなんてありえないです。まずはランロッド君を……」

「――やめろ!!」


 ガタンッ、とルイルは立ち上がり叫んだ。涙に濡れた声で、ルイルはレナリアに怒鳴った。しん、とカフェテリアが完全に静まり返る。しかし、誰も彼もがルイルを認めると日常に戻っていく。まるで、このテーブルだけが別世界にあるかのようだ。すぐ隣で繰り広げられている恐ろしい「物語」に、誰一人として気づかない。

 あは、とレナリアは笑った。ルイルの動揺に満足したかのような、ルイルの懇願を蔑んだかのような、虫唾が走るほど嫌な笑い方だった。地獄の底で同族を手招いている、犠牲者の顔。


「――スタンメリーさん、であってる?」


 そう切り返したのは、テオール。レナリアの本名を、どこかためらいつつもはっきりと口にした。


「……知ってるんだ」


 一瞬、レナリアの目の温度が氷点下まで下がる。


 ヴィンストン一家殺害事件の三年前、別の町でも一家殺害事件が起きていた。俗に言う、スタンメリー一家殺害事件。――レナリアは、その生き残りなのだろう。そして、一見快復しているルイルをひどく妬んでいる。


 刃物で何度も刺された死体、取り出された眼球、一人だけ見逃された子供。二つの事件は、あまりによく似ている。同一人物による犯行だとして、スタンメリー一家殺害事件のあらましもルイルは確認を取らされていた。また、ランロッド兄弟もそれを知っている。

 警察官であったルイルの父親は、スタンメリー一家殺害事件の捜査に携わっていた。それゆえ、犯人を特定する何らかの証拠を発見したか、犯人の正体を知ったか、とにかく犯人にとって不利な状況を招いたので殺されたという仮説が立った。なお、ヴィンストン一家とスタンメリー一家に面識は無かった。正真正銘、スタンメリー一家殺害事件にルイルの父親が関わったのが最初だ。


 テオールの手が触れたことで、ルイルはわずかに冷静さを取り戻した。ふと、フィオールを見る。――どこか、様子がおかしい。レナリアを、否、レナリアの眼球を食い入るように見詰め、指先を震わせている。フィオールの意識は、レナリアの何かに捕らわれている。フィオ、とルイルが漏らした声も、フィオールには届いていないようだった。


「ひどいことを言うけど、俺たちは事件から離れたつもりだし、これからも関わらないつもりなんだ。忘れられるわけじゃないけど……スタンメリーさんの道連れに、しないでほしい」

「……」

「だから、今日はもう行くね。……俺で良ければいくらでも話を聞くけど、ルイとフィオは巻き込まないで」


 テオールの拒絶は、ルイルの心を満たした。フィオールも、ルイルが手を引けば立ち上がってくれた。波立った精神が一瞬で凪ぐ。やはりフィオールもテオールも、結局はルイルのものとして行動を選択している。ルイルが望めば、フィオールとテオールはどこまでも一緒にいてくれる。


 ごめんね、とテオールは言った。自分のせいでルイルとフィオールが嫌な思いをしたと考えているのだろう。テオのせいじゃないよ、とルイルは応えた。むしろ、テオールがレナリアよりもルイルを取ったことで安心できた。他の誰かがルイルと同じ過去を持っていようと、テオールはルイルを選んでくれる、その証明はルイルの恐怖心をいとも容易く晴らし、空っぽのガラス瓶にどろどろとした水を注いだ。

 きっと、フィオールも同じだと思う。フィオールも、きっとルイルが一番だと思っているに違いない。だから、フィオ、とルイルは呼んだ。レナリアの何かを見てほしくなくて、ルイルはフィオールに前を向かせた。


 嫌だ。レナリアを見ないでほしい。フィオールにとっては、ルイルの青い目がこの世の何より美しいのではなかったのか。何処の馬の骨かも知れない者の目を、記憶に色濃く残さないでほしい。フィオールには、ルイルとテオールしかいないに決まっている。他の者が、たとえ悪いものとしてでもフィオールの中にいるのは許せない。フィオールが心を明け渡すのは、ルイルとテオールにだけだ。フィオールはルイルのものだ。フィオールの身も心も、ルイルは決して渡さない。

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