第8話 レナリア・ジオスⅡ
カツン、とレナリアは食事を始めた。フォークでキャベツを刺し、大口を開けて食らいつく。小さな体躯と少女趣味な服装には似合わない、豪快さ。しかも、カツン、カツン、と無意味にフォークを突き刺す仕草もある。パスタはぐちゃぐちゃと弄んでから持ち上げ、フライドポテトは千切ってから口に入れる。紙パックに刺さっているストローは噛み癖があるのだろう、先端が平らに歪んでいた。行儀もマナーもあったものではない。明らかに、情緒がおかしい。
「カーゴ先生って、嫌な目してませんか?かわいそう、って上から目線で値札を付けてきてますよね。私、本当に嫌いです。私がどれだけ不幸か、あんな奴に分かるわけない……!」
カツン、カツン、とフォークが食器の何も乗っていない場所を叩く。かと思えば、食べないんですか、とレナリアは軽い調子で尋ねた。その姿をじっと観察したままのルイルを挟み、フィオールとテオールは顔を見合わせる。そうして、テーブルのもう一方からも食器の音がし始めた。
かわいそう、その言葉に軽蔑が想起される。ルイルを見るカーゴの目にあったのは、憐憫だ。漂白剤のような、白くて臭くて痛い「善意」。普通の幸せを崇拝しているあの大人は、それを享受できているかどうかルイルを試した。早くに両親を亡くして他人の家に引き取られた、たったそれだけしか知らないくせに、ルイルの不幸を決めつけ手を掴もうとした。そして、それはレナリア・ジオスという同族と傷を舐め合うことだった。
確かに、ルイルは不幸だった。あのような事件に巻き込まれて、幸だったと言えるわけがない。されど、今のルイルは違う。フィオールやテオールと共に笑い、遊び、泣くことができている。きっと、ルイルは普通の幸せは謳歌できない。ランロッド兄弟と過剰なまでに寄り添っていることが、現状のルイルにとっての幸せだ。だから、カーゴの偽善はいらない。
ぽとり。レナリアが手に取っていたフライドポテトは、肌を滑り落ち床に着地した。あーあ、と棒読みで嘆きつつも、レナリアは拾わない。一切の興味を失ったのか、フォークを持ってパスタの続きを食べ始める。
「ルイル先輩、ランロッド君のおうちに居候してるんですよね?いじめられて……ないですよね。ランロッド兄弟さんとはどういう関係なんですか?家族?友達?」
「……家族だし、親友」
「わぁ、いい響きですね。羨ましいです」
「あげないから」
「いりませんよ。私、親友はもういないので。親友なんか、作らなきゃ良かった。そしたら……」
その先は続かなかった。カツン、カツン、とフォークの音だけが鳴る。カツン、カツン、カツン、カツン。
「ねぇ。それ、やめて。フィオが食べれなくなる」
ルイルは言った。フィオールの皿の上には、未だ三分の一も減っていない料理があった。危惧していた以上に、レナリアを見ていると手が動かないのだろう。その視線は、トレー上で待機している林檎に注がれている。本当に現実を見ているのか分からない距離感で、その双眸は瞬きもせず赤い皮を見詰めていた。そこにどのような像を結んでいるのか、ルイルは知りたいと同時に知りたくない。
時折、フィオールはこうして現実から離れる。ルイルやテオールが一度呼んだだけでは、あちらの世界から戻ってこられない。二、三度呼びかけ、肩を揺さぶり、ようやくはっと我に返る。
今回も、フィオールはルイルに触れられてからフォークを置いた。そのまぶたは、ゆっくりと下りていく。
「いらない……。ジオスのせいじゃないから。ごめん……」
フィオ、とテオールの心配そうな声がする。しかし返事をする気力もないのか、フィオールはテーブルに両肘を突き、両手で顔を覆った。深く息を吐いて落ち着こうとしているのが分かったから、ルイルはその後頭部を撫でる。その間、レナリアは口も手も止めて静かにしていた。ただしそれは思案げな沈黙で、そうですか、と誰にとも向けていない相槌が続く。初めてフィオールに向けられたその視線を、今度はテオールが誘導する。
「ジオスさん。えっと、何で俺たち……じゃない、よね。何で、ルイに声を掛けたの?」
その疑問は、ルイルも感じるところだ。まさか、本気でカーゴの言に従ったわけではないだろう。まともな会話をしていない現時点ですでに、レナリアは教師の助言を素直に聞くタイプでないと分かる。また、仮にルイルと思考を同じにするなら、第三者から似た者同士だと言われたくらいでわざわざ接触はしない。
なぜか、レナリアは笑った。意味深長な笑い声に、フィオールが思わず顔を上げる。レナリアは、先程までとは打って変わってテオールをじっと見ている。見定めるような、獲物を狙うような目つき。テオールはすっと顔を背けた。すると、レナリアの視線はルイルに移動した。ぞっとするほど黒い双眸が、ルイルの青い双眸を覗き込む。誘い出されるこの感情は、恐怖だろうか。
「ランロッド先輩、いいお話をしてあげます。――昔々、あるところにかわいいかわいい女の子がいました」
突如始まった、昔話。いつの間にか生徒がまばらになったカフェテリアの一角で、レナリアの軽薄な声が朗々と紡がれていく。毒々しい真紫の髪、穴のように黒い目、潔癖なロリータファッション。ルイルだけを対象とした、悪魔とも天使とも思える少女の昔語り。聞いてはいけない、聞かなくてはいけない、相反する二つの予感がルイルの脳裏で騒ぎ立てる。
「女の子には、女の子をかわいがってくれるお父さんとお母さんと、歳の離れたいらない妹がいました」
「……」
「ある夏の日。――女の子は殺されてしまいました」
「……!」
「お父さんとお母さんも殺されました。生き残ったのは、女の子の髪飾りをねたんで壊して、お母さんに怒られたからふて寝していた妹だけでした」
カツン、カツン、カツン。フォークの音が再び響く。何がおかしいのか、含み笑い。その両目は光を失い、前のめりにルイルだけを見ている。は、とルイルの呼吸が乱れた。止めるべきなのに、創造された空気の中で身動きを取ることができない。地面で溶けたキャンディーのごとく、べったりとした重力が肩を押さえつけている。息が苦しい。頭が痛い。レナリアの語りが、脳裏をぐるぐると旋回する。
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