第40話 来訪

 テオールは、安堵の溜め息を吐いた。改めて、フィオールが学校を出たことに気づかなければと思うとぞっとする。救出が間に合ったのは、フィオールのスマートフォンを見つけたおかげだ。戻ってくるのが遅いことに嫌な予感がし、テオールとルイルが捜しに行った先で電話を掛けると、なぜかカーゴのクラスルームにあるデスクから着信音が鳴った。そのタイミングで昼のカーゴの違和感に気づき、警察官である父親に連絡しなければ果たしてどうなっていたことか。

 突発的な犯行か、カーゴの自宅のベースメントを現場とされたのも幸いだった。また、いい加減な根拠で依頼した捜索を実行してくれたジャスティーには感謝している。身内に警察関係者がいなければ、フィオールとレナリアは亡き者にされていただろう。


 コン、コン、と期待してドアをノックし、返事が無いことに落胆しつつ勝手に開ける。

 一週間と経たずに再訪した白い部屋の中、白いベッドの上で、レナリアは眠っている。包帯やガーゼに覆われた肌は、カーゴの所業を痛々しく証明していた。救出から半日後の昼、レナリアはまだ目覚めない。起こさないよう、テオールはその頬を手の甲でそっと撫でた。


 フィオールと再会した後も、引き離されそうになるとルイルは喚いた。それこそ助け出した当時のレナリアのごとく、フィオールを呼んで暴れた。

 テオールは、それが間違った行為だと考えてはいない。むしろ、他でもないフィオールが望む行為だと分かっている。しかしこうも思うのだ、ルイルのように癇癪を起こせない己は、やはり二人に最後まで求められうる存在ではないのではないかと。二人から求められるためには、感情がちっとも足りていないのではないかと。


 そのような諦観に襲われたとき、テオールの脳裏に浮かぶのは決まってレナリアだ。レナリアは、テオール以外の選択肢を持たない。そして、それは今回の出来事で証明された。今朝目覚めたフィオールによれば、レナリアはフィオールをテオールと見間違えていたらしい。フィオールの存在を認識してから本物のテオールと会うまで、すぐ側で向かい合っても思い違いをしたままだったと言う。それはまさに、レナリアの心にテオールしかいないという証拠ではないのか。

 まだ快復していないフィオールからこの話を聞いたとき、テオールは頬が緩むのを抑えるのに苦労した。フィオールとレナリアが文字通り死にそうになった事件だというのに、思わぬ収穫に心が満たされてしまった。


 不意に、誰かがドアをノックした。テオールが開けると、そこにいたのはジャスティーだ。予想外の父の登場に、テオールは首をかしげた。今朝ぶりだ。てっきり、フィオールの様子を見たら仕事に戻るかと思っていたのだが。


「どうしたの?レナリアなら、まだ寝てるよ」

「そうか。フィオールのところにいなくていいのか?」

「……うん。事情聴取があるし、ルイもいるから」


 どきりとした。醜くて汚い、テオールの価値観を覗かれたかと勘違いした。しかし何の気無しに口にしただけらしい、ジャスティーは軽く頷くだけで病室に立ち入る。

 容疑者を簡単に押さえつけそうな大きな体で、レナリアの小さな体を見下ろす。その視線は、何を考えているのかこちらが不安になるほど冷え切っている。


 冬休み、ジャスティーはレナリアから距離を置くようテオールに忠告していた。関わるな、首を突っ込むなと、息子を心配して真摯な態度で訴えていた。テオールは、それに頷いた。本当は離れる気などなかったが、やり過ごすために形だけ了承した。もし今レナリアが目覚めたら、ジャスティーがどのような行動に出るのか恐ろしい。


 テオールが刺されたとき、事情聴取のタイミングの都合で一言も交わさなかったとレナリアは言っていた。当時ジャスティーから追及されたテオールも、己がレナリアを無理に誘ったのだと言い張った。

 しかし、今度ばかりはどうだろうか。フィオールまで巻き込まれた現状に、ジャスティーはレナリアをはっきりと糾弾してしまうのではないか。警察官とは言え被害者の親だ、感情的にレナリアを傷つけるのではないか。


 テオールのこの思考を知ってか知らずか、ジャスティーの視線はテオールに向いた。


「――そんなに大事なのか?」


 やはり、問われた。何が、と聞かずとも分かる、レナリアのことだ。

 テオールは、両手をぎゅっと握り締めながら見詰め返した。逸らしたら、レナリアと一緒にいられなくなると思った。


「大事だよ。友達なんだ。……少なくとも、俺はそう思ってる」

「全部、知ってるんだろう?警察官がこんなことを言うべきじゃないが、この子は周囲の人を……不幸な目に遭わせる。心霊的な話じゃない、統計学的な結果だ」

「今回は違う!今回は、カーゴ先生の復讐だったんでしょ?レナリアは何も悪くない、もちろん、これより前の事件も……」


 カーゴは、レナリアの死んだ友人の兄だった。両親の離婚によって兄妹でファミリーネームが違うので、恐らくレナリアはそれに思い至っていなかったのだろう。

 レナリアの進級は偶然だとしても、カーゴの親切はその対価に復讐を求めたものだった。妹が死んだのはレナリアのせいなのに、警察はレナリアを捕まえない。だから、己の手で真実を捏造しようとしたのかもしれない。

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