第39話 犯人Ⅲ
「――動くな!!」
ゆっくりと、カーゴの頭が背後を向く。
――瞬間、発砲音。ドサッ、とカーゴは倒れた。じわり、と広がる、真っ赤な血溜まり。
「被害者二名を発見」
「犯人は死亡しています!」
「もう大丈夫。歩ける?」
「抱えるぞ」
ぞろぞろと、同じ服を着た大人たちがやってきた。フィオールの手首のロープは手早く解かれ、体はふわりと持ち上げられる。ショッピングモールでよく見る親子連れのように、膝裏に腕を回して抱き上げられていた。
現状を理解するに連れ他人に対する嫌悪感が湧き上がるが、先程吐いたおかげでどうにか耐えられる。そもそもこの場所から逃げ出したい思いのほうが大きい、フィオールは大人しくその身を預けた。背後では、別の大人によってレナリアが抱えられるところだ。
ところが、レナリアは両手を伸ばし抵抗した。
「テオール!!嫌ぁぁぁ!!」
「落ち着いて、もう大丈夫だから!」
大の大人には敵わない、レナリアは無理矢理持ち上げられ、背中を押さえつけられる。そのうえでフィオールを取り戻そうと必死になる姿は、哀れとしか言いようがなかった。可哀想だ。助かったことに気づけず、未だ恐怖の中であがいている。
フィオールは、テオールを思い出した。どうすればいいのか、夕日に影を伸ばす二人の様子を思い返した。
大人の肩越しに、上り階段で揺られながら、レナリアの手を何とか掴む。自身の罪を取り戻してしまった今、レナリアを放っておくことはできなかった。ざわめきと明かりが近づくこの瞬間、レナリアの視界にも現実を認識させなくてはいけない。テオールは、この少女を何と呼んでいたか。
「……レナリア。大丈夫。助かるよ」
「テオール!行かないで!」
「大丈夫」
きっと全身が痛いだろうに、レナリアはテオール、もといフィオールを無我夢中で求める。嫌だ、死なないで、嫌だ、と何度も何度もテオールを呼ぶ。すでに声は枯れて、口元の血は乾いていた。本来の白さを失ったワンピースは靴跡と土でぐちゃぐちゃに汚れ、ぼさぼさな髪には吐瀉物がくっついている。
フィオールが目覚める前、レナリアがいつから暴行を受けていたのかは分からない。レナリアが何十回、何百回と蹴られたのは確かだ。出血するほど、嘔吐するほど、レナリアは強くひどく蹂躙されたのだろう。
フィオールは、それを助けることができなかった。むしろ、フィオールがレナリアに助けられた。フィオールはずっと忘れたまま逃げ続けてきたのに、レナリアはフィオールを救った。たとえテオールと勘違いしていたとしても、救われた、その事実はフィオールの心に重くのしかかっている。
地上に出ると、青い光が目を刺した。いつもなら耳を塞ぐほどの話し声も、今だけは安心を保証する材料になる。レナリアの叫び声が聞こえたのだろう、恋しい二人が顔を出した。
「フィオ!!フィオ!!」
「レナリア!?フィオ!!」
テオールとルイルが一目散に駆けてくる。フィオールの顔を確認すると、ルイルは大声で泣き始めた。運んでいる警察官の歩調を滞らせる勢いで、フィオールに抱き着き生還を確信する。テオールは、フィオールの涙を拭ってすぐにレナリアを見た。テオール、テオール、とフィオールを求めるその手を握り、レナリア、と名前を呼ぶ。ここにいるよ、とレナリアの隣を歩く。レナリアは、ようやっと現実を視認したようだった。
「テオール……?テオール、テオール!」
「うん、いるよ。ここにいる」
「フィオ、フィオ、どこ行っちゃったのって、フィオ……!」
「うん……」
あれ、とフィオールは思った。かくんっ、かくんっ、と頭が揺れ、まぶたが落ちてきてしまう。
ストレッチャーに寝かせられたところで、いよいよ駄目だった。ルイルの手を握り返そうとするが、力が入らない。眠い。清潔な救急車の中で、段々と意識がかすんでいく。フィオ、と言うルイルの顔もよく見えない。
沈んでいく。暗闇に落ちていく。レナリアは助かっただろうか、と脳裏の上澄みで考える。優しいテオールは、ルイルが付いているフィオールではなく、たった一人のレナリアと共にいるはずだ。テオールの無事を確かめられれば、レナリアも眠ってしまうだろう。
そういえば、と先程までの様子を思い出す。レナリアは、叫ぶ一方で泣いてはいなかった。暴力を振るわれるうちに出た生理的なものの痕はあったが、テオールを探して涙を流すことはしていなかった。これまで生きる中で、とっくに全て流しきってしまったのだろうか。だとすれば、一体どれほど涙に溺れた日々を過ごしてきたのだろうか。
三人、親しい他人が殺されたとテオールは言っていた。手に入れる度必ず奪われてきた、大切な存在。最後までテオールを呼び続けたレナリアの感情は、果たしてどれほど深かったのか。それに関わるフィオールの罪とは、一体。
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