第41話 離反

 テオールが中途半端に終わったのは、カーゴが殺人犯として素人であったからだ。対照的にフィオールが大胆にも誘拐されたのは、やはり素人ゆえに加減が分からなかったからだろう。フィオールに軽く話を聞いた限り、口封じのために焦っていたのかもしれない。無論、どちらにせよ八つ当たりだが。筋道が通っていない、感情的で衝動的な犯行。


 テオールの腹部には、縫合の痕がくっきりと刻まれている。頭を強打する以外の暴力を受けなかったフィオールはまだしも、レナリアの体中にも様々な痣が残るかもしれない。

 目に見える傷以外にも、ルイルも含めた四人には死を確信するほどの恐怖が植えつけられた。二度とこのような事件には巻き込まれたくない。「普通」であるテオール以外の三人は、今後の生活に精神的な支障を来すだろう。


「この子に非があるかどうかは、この際関係ないんだ。仲良くしてるとテオールたちが殺される。分かるな?俺は息子を失いたくない」


 ジャスティーの言い分は、子供を持つ大人として尤もなものだ。事実であるか迷信であるかはどうでも良く、無視できないリスクがあるから子供を遠ざける。路地裏に行ってはいけない、と言い聞かせるのと同じ。

 だが、テオールはそれを受け入れたくない。レナリアが苦しまない限り側にいると決めたし、そうしないとテオールは辛い。フィオールとルイルのたった三人で生きることが嫌なのではないが、とてつもなく不安になるのだ。レナリアと共に過ごすことで味わってしまった安寧は、そう簡単に手放せるものではなかった。レナリアを失うなど、今となっては考えられない。


「極力学校から出ないようにする。キャンパスでも、一人で出歩くのはやめるよ。だから、レナリアと友達でいるのは許してほしい。初めてなんだ、ルイル以外で。すごく大切な子なんだ」


 お願い、とテオールは強く懇願した。父の双眸を真っ直ぐに見詰め、許可を求めた。

 テオールとて、両親を裏切りたくないという良心を持ち合わせている。フィオールとルイルがああである分、己が親孝行を果たそうとずっと頑張ってきた。成績も、生活態度も、できる限り親の理想を体現した。全てはフィオールとルイルの代わりとして、己の役柄を演じきるために。

 そのようなテオールの我儘など、もしかしたら初めてのことかもしれない。我ながら、予想以上に頑固な部分があったと苦笑してしまう。最初は恐れにも似た憐憫だったのに、いつの間にか執着に変わっていた。


「……忠告はしたからな」


 ジャスティーは、溜め息を吐いた。些細なことでも報告しなさい、と言い残し、病室を後にする。どうにか認めてもらえたようだ。


 肩の力が抜け、テオールは椅子に座った。もし駄目だと言われたら、己はどうしただろうか。親に隠れ、こっそりとレナリアとの日常を続けただろうか。フィオールとルイルにさえ内緒にしていたことを思えば、そうしても不思議ではない。それほど、テオールにとってレナリアは偉大だ。


 ――ふと、目が合った。ぼんやりとした黒い目が、テオールの目を見上げている。


「えっ、起きてた、の?いつから……いや、それよりも、大丈夫?体はどう?」

「……う……」


 テオールはミネラルウォーターを取り、蓋を開けてレナリアの口元に添えた。その薄い上体を支え、レナリアが辛うじて喉を潤すのを見守る。

 再び仰向けに転がったレナリアは、テオールに背中を向けようと身をよじった。しかし痛みが走ったのだろう、小さな悲鳴と同時に動きが止まる。頭だけを無理矢理背け、テオールの視線から逃れようとしたが。動かないで、と言うテオールには応えず、一言。


「私のせい、だって」

「レナリアのせいじゃない。カーゴ先生が勝手にしたことだよ」

「嘘。あいつ、私がシャンリーを殺したって言ってた。私が殺した」

「レナリア、聞いて」

「お姉ちゃんも私が殺したの?私が刺して、目、取ったの?だからテオールを助けてくれなかったの?」

「俺は助かってるよ。ほら、ここにいるでしょ?」


 レナリアが言う「テオール」はフィオールのことだと分かっているが、テオールは敢えて訂正しなかった。シーツの上に乗っているレナリアの手を優しく握り、反対の手でその頭を撫でる。

 こっち向いて、と慎重に力を入れて向きを戻した。真っ黒な焦点はゆらゆらと震えている、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返す声も。

 ――かと思えば、違う、と一回り大きな声を出した。テオールの手を強く握り返し、反対の手で己の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。もだえ、皺一つ無かったはずのシーツも乱れていく。


「違う、私、違う、殺してない、殺してない!」

「うん。レナリア」

「お姉ちゃん!私じゃない!嫌だ、来ないで!違うの!!」

「レナリア、起き上がれる?大丈夫、大丈夫だよ」


 テオールは、レナリアをそっと起き上がらせた。触れる程度に抱き締め、丸い後頭部を何度も撫でる。レナリアの体は、じたばたと暴れた。何かを追い返したがっているかのように、テオールの背で両手がふらふらとさまよっているのが分かる。


 十中八九、レナリアは事実を正しく理解できていない。レナリアのせいだと言われる一方で犯人は別にいると慰められ、正反対の事象に脳がパラドックスを起こしている。テオール、行かないで、と唯一残されたたった一人を求める。喉が枯れているせいで、ひゅー、ひゅー、と嫌な呼吸音が鳴っている。

 テオールは、ますますレナリアをかき抱いた。体中に打撲を負っていると知っているが、痛みでも何でも使ってレナリアを現実に呼び戻したかった。

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