第30話 告白
テオールが襲われてから、一週間。ルイルとフィオールが再び見舞いに来ると、テオールはぎこちなく笑った。
「退院、いつだっけ?」
「水曜日だよ。意外と早くてびっくりしちゃった。寮監さん、何か言ってた?」
「俺たちも気をつけろって」
「あの人、意外と優しいよね」
「そうだな」
「……」
「……」
フィオールとテオールの会話は、早くも終わった。普段なら口を挟むルイルが黙りこくっているせいもあるだろう。フィオールは隣に座るルイルに視線を移し、テオールは読みかけの本を開いたり閉じたりと弄んでいる。三人共お喋り好きなわけではないから、沈黙は珍しくない。しかし、居心地が悪い静寂は初めてだ。健全な日の光が差し込む部屋の中、衣擦れの音だけが壁に当たって跳ね返る。
ルイルは、テオールに怒りを覚えていた。レナリアとは交流しないと約束したのに、嘘を吐かれた。何やら親しげにしていたし、ルイルとフィオールを差し置いてレナリアを呼んだのも気に食わない。テオールの一番は、ルイルとフィオールだったはずだ。否、そうであるべきだ。他の誰かを優先するテオールなど、ルイルが大好きなテオールではない。
不意に、テオールが声を発した。
「えっと……今回のことは、本当にごめん。言い訳になっちゃうかもしれないけど、話、聞いてくれる……?」
聞きたくない、とルイルは思う。ルイが一番だよ、と言ってもらえるならともかく、万が一にもレナリアへの好意を口にされるのが嫌だ。自分に恋情を向けてほしいとか、恋人を作らないでほしいという話ではない、もっと広義の意味だ。どのような感情であれ、ルイルでもフィオールでもない第三者に強いものを抱いてほしくない。テオールは、一日中ルイルとフィオールのことだけを考えていればいい。
フィオール同様に、テオールにも致命的な短所があれば良かった。テオールの人格が不完全だったなら、きっとルイルに依存してくれた。そうすれば今回のように死にかけることもなく、穏やかで平和な日常を送っていられていた。
ところが、フィオールは曖昧に頷いてしまう。一応ルイルの顔色を窺ってはいるが、兄として事の次第を聞きたい気持ちのほうが大きいのだろう。となれば、ルイルも先を促さないわけにはいかない。こくん、と頷くと、ありがとう、とテオールのほっとした声がした。そうだ。そうやって、ルイルの一挙手一投足に翻弄されていてほしい。
「黙ってジオスさんと会ってたのは、申し訳無かったと思ってる。でも、ちゃんと理由があって……えっと……何て言えばいいのかな。表面的なことだけ言うと、俺が一緒にいる代わりに、フィオとルイに黙っててもらったって言うか」
「何を?」
「……」
一旦、テオールは深呼吸をした。どのような言い回しが最善なのか、取捨選択しているようだ。ちらちらとルイルたちを見やっては、どうしよう、と呟く。ルイルとフィオールが辛抱強く待っていれば、ようやく決心が付いたらしい、最後まで聞いてから判断してね、とテオールは姿勢を正した。おのずと、緊張が走る。ルイルの心臓は、大袈裟な脈を刻む。知らずのうちに、フィオールの手を強く握った。
「一回目は、隣に住んでたおばあさん。二回目は、エレメンタリースクールの先生。三回目は、ミドルスクールでできた友達」
「……ねぇ、まさかとは思うけど、あいつの真似?やめてよ」
「ごめん、他に言い方が見つからなくて」
「ルイ、そこは一旦置いとけ。テオ、その三人がどうした?」
「……死んだ、らしい」
テオールの言葉を合図に、また沈黙が生まれた。しかし、ルイルはにべもなく言い放つ。
「だから?その人たち、俺たちに関係ないよね?」
「ルイ、最後まで聞いて。今言った三人は、ジオスさんが仲良くしてた人たち……」
「じゃあっ、何であいつと出かけたの!?」
ルイルは問うた。かっとなり、一週間前にぶつけた怒りをもう一度投げつけた。レナリアの関係者が死んでいるなら、原因はレナリアにある、テオールは近づいてはいけない。幼い子供でも避けることを、なぜテオールはやってしまったのか。テオールは賢いから、こうして襲われるまで気づかなかったというわけではないだろう、全くもって理解に苦しむ。それほど、己の無事よりもレナリアとの時間のほうが大切だったのか。考えれば考えるほど、ルイルが好きではないテオールができあがっていく。そして、レナリアへの恨みがこんこんと募る。
テオールが変わってしまったのは、レナリアのせいだ。レナリアがいなければ、テオールはルイルの大好きな姿で居続けられた。レナリアのせいで、ルイルとランロッド兄弟の幸せな日常は壊れてしまった。
ごめん、とテオールは再度謝るが、その程度の言葉では足りないし、信頼できない。だが、ルイ、とフィオールまでルイルをたしなめる。
「話が進まないだろ。テオ、それが俺たちに隠したかったことか?」
そう言われても、という顔をフィオールは作った。それもそうだろう、どこの誰とも分からない人々の死を明かされようと、ルイルたちに影響は出ない。精々、気の毒に思うだけだ。すると、そうだけどそうじゃなくて、とテオールが続ける。
「この三人を殺した犯人は、ジオスさんの家族を殺した犯人と一緒かもしれない。追いかけられてるんだよ、ジオスさんは。数年置きに親しい人が殺されてる」
「だから、かわいそうだって?」
「違うよ。よく考えてよ。ジオスさんの家族を殺した犯人は、ルイの家族を殺したのと同一犯だって言われてるでしょ?つまり、ルイと俺たちも……」
狙われてるかもしれない、と小さな声。
ふと、フィオールが息を飲むのがルイルにも伝わった。一回、二回、と瞬きを繰り返し、テオールの言葉をゆっくりと飲み込んでいるかのように見えた。はく、とその唇が空気を食む。何を呟いたのか、ルイルには分からない。
だから、代わりに笑った。我ながららしくないことに、そんなわけ、と口にして嘲笑した。今の話は、かもしれない、でしかない。証拠はどこにもない。それこそ、レナリアが真実を語っているとも思わない。テオールを引き込むために、テオールが同情しやすい作り話をしたということもありえる。ルイルたちが一人ずつ死んでいくなど、悪意を込めた嘘だ。
ルイルは、想像さえしたくないあまりに現実から逃げた。テオールが襲われたのは事実で、それをレナリアのせいにしておきながら、最悪の事態は拒絶した。
「……何で、黙ってた?」
そう言ったのは、フィオールだ。普段と異なり、覇気が無い声で尋ねた。テオールを咎める傍ら、自身の過ちを見て見ぬ振りしているかのごとく。その痛ましい目は、テオールの腹部を静かに見ている。人混みの中、白昼堂々ナイフを突き刺されたそこ。人の波にもまれ、犯人が誰か定かでなかったと言う。
突如倒れるテオールを目にして、レナリアは何を考えたのだろうか。不幸の実現にほくそ笑んだのだろうか。それとも、想像を叶えた現実に恐怖したのだろうか。テオールの病室に現れたレナリアは、沈んだ表情をしていた。果たして、それが意味することとは。尤も、それがどのような種類であろうと、ルイルはレナリアを受け入れられないだろうが。
ルイルが納得しがたい思考を繰り広げる一方、テオールはばつが悪そうに俯く。
「怖がらせたくなかった」
「だからって、テオが一人で危ない目に遭う理由にはならないだろ……!」
「……」
長い、長い沈黙が生まれる。テオールを追い詰めるための、合理的な静けさだ。フィオールはじっと待っている。ルイルもじっとしている。テオールがまだ何かを隠していることに感づいた二人は、続きを催促する。
分かっている、テオールは被害者だ。責め立てるべきは他にある。それでも、重症を負ったことと重症を招いたことは別だった。確かに、レナリアの因果を知ったら怖く感じただろう。己の存在が最愛を危険にさらしているのではないか、ルイルとてそう考えたかもしれない。ただし、それは被害に直接繋がるわけではない。学校から出ないとか、警察官であるジャスティーに相談するとか、予防線を張ればいい話だ。対して、テオールは自ら危険を被る真似をした。なぜ、予測を知らせるよりも的中させるほうを選んでしまったのだろうか。他に大きな理由が無ければ納得できない。
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