第31話 テオールの悪夢
果たして、テオールは息を吸った。懺悔するかのごとく、重々しい声色で観念した。
「――……ジオスさんが、欲しかったから」
「……え……?」
「ジオスさんに側にいてほしくて……。俺に頼ってほしかった」
一言明かしてしまえば、テオールは開き直ったかのように次々と口にした。一方、ルイルとフィオールは理解できないと言うような顔をする。なぜその欲求が出てきたのか、特にルイルは思考が停止するほどに困惑した。否、嫌悪した。テオールは、ルイルとフィオールが一番だと常々言っていたはずだ。ルイルとフィオールだけがいれば、テオールは満足していたはずだ。
不意によぎるのは、潜在的に抱えていた不安。テオールは、ルイルとフィオールに盲目的ではない。ルイルとフィオールは互いに、そしてテオールに対しても絶対的な欲求を抱いているが、テオールはそれと同時に世界を見ている。ランロッド夫妻を見て、意図的に社会的に行動している。ルイルとフィオールから一歩引き、あたかも第三者として微笑んでいる。
思い返してみれば、テオールからルイルとフィオールが求められたことはないかもしれない。テオールが助けを求めて泣いたことは、ない。まさか、それにふさわしいのはレナリアだとでも言うのだろうか。長年一心同体に生きてきたルイルよりも、突如現れたレナリアのほうがいいとでも言うのだろうか。
「フィオとルイが俺を捨てないか、怖くて……」
「捨てるわけ……!」
「――そんなこと、分からないじゃないか!フィオとルイはお互いが必要だよね。でも、俺は違う。俺は、二人がいなくても生きていける。ずっとそうだった。二人が側にいなくても生きてこられたんだよ!」
テオールが何を言っているのか分からない。ちぐはぐだ。矛盾している。ルイルたちに見捨てられるのが怖いなら、なぜ一人で生きていけるなどと断言するのだろうか。ルイルやフィオールと同じように、大袈裟なほど弱さを表して、一緒にいてほしいと懇願すればいいのに。その答えは、すぐさま教えられる。
「フィオたちと一緒にいたいのに、フィオたちは俺が必要不可欠じゃなくて、俺もそうじゃなくて……。じゃあ、俺たちが一緒にいなきゃいけない理由って何?そんな理由、俺と二人の間には無いよね……?理由が無いのに、ずっと一緒にいることなんてできるのかな……?」
ルイルがテオールの言い分を飲み込むのには、時間が掛かった。何度も何度も繰り返し、ほんの少しだけ理解できたかどうか。と言うのも、ルイルは一緒にいることに理由を必須としていない。一緒にいたいから一緒にいる、たったそれだけの問題だ。複雑な思考はいらない。きれい事の建前もいらない。考えすぎだ、と言いたくなった。ルイルが求めている、それ以上の理由はこの世のどこにも存在しない、存在してはいけない。
ぎゅう、とルイルの手は握り締められた。フィオールの手が、耐え忍ぶようにルイルの手を強く握った。ルイルが見やったその顔は、涙をこらえているようだった。
「……家族って理由じゃ、駄目なのか?」
「それ、お母さんとお父さんにも言える?家族だからずっと一緒にいようって、お母さんとお父さんにも言えるの?」
「……言えないけど……!」
テオールは正しい。疑いようもなく、言えない。ルイルとフィオールの幸福に、ランロッド夫妻は必要ない。むしろ邪魔だ。だが、だが。
「何で、あいつはいいの?俺たちより、あいつのほうがいいの……?」
ルイルは譲りたくなかった。涙混じりの拙い言葉で、テオールを必死に引き止める。理屈立てて説得するのは無理だ、考えたことがないのだから。ルイルにとって、テオールが側にいるのは当然のことだった。奪われてはいけないし、奪わせたくないし、奪われるつもりもない。
ところが、テオール自ら離れようとしている。とっくの昔から、テオールはいつかルイルから離れるつもりがあったのだろうか。一体、いつから。ルイルはどこで間違えたのだろうか。フィオールだけで我慢していたのが悪かったのだろうか。「いい子」でおらず、テオールを無理矢理にでも縛りつけてしまえば良かったのだろうか。不安や孤独を覚える隙が生まれないほど、誰にも知られない場所に閉じ込めてしまえば良かったのだろうか。嫌われても構わず、テオールの人生を滅茶苦茶にしてしまえば良かったのだろうか。
ルイルを見据えたテオールの双眸は、全てが決着した後だと訴えてくる。
「ジオスさんのほうがいいわけじゃない。けど、ジオスさんは俺から離れないから。ジオスさんにはもう俺しかいないんだよ、全員、死んじゃったんだから」
テオールは、うっそりと笑った。ルイルが初めて見る、ぞっとするほど美しい笑顔だった。これまで、テオールはその顔を一切見せてこなかった。否、ルイルとフィオールには向けようがなかったのだろう。依存はルイルとフィオールからの一方通行で、テオールはそれに不安定な自信を覚えることしかできないでいた。
確かに、テオールが注いでくれていた愛情は本物だろう。今でさえ、ルイルたちへの愛情が枯れたわけではないのだろう。ただ、質が違うだけ。ルイルとフィオールが注ぐものとは、濃度も粘度も異なるというだけ。
それでも、とルイルは未練がましく思わずにはいられない。レナリアを選んだテオールの選択を、間違っていると非難せずにはいられない。三人で持っている気持ちは、寸分違わず同じものであってほしかった。三人の心は、未来永劫通じ合っていてほしかった。テオールを失いたくない。レナリアに渡したくない。テオールもいなければ、ルイルの幸福は完成しない。役者が欠けた映画など、作品として成立しない。
それから三日後、テオールは退院した。ランロッド夫妻と共にルイルとフィオールが迎えに行ったとき、テオールはぎこちない微笑を浮かべた。まるで、ルイルのことを変わらず愛しているかのような笑み。
だが、ルイルはそれに応えられなかった。否、応えなかった。フィオールがテオールと一応の仲直りをする間も、ルイルはただ黙っていた。
認めたくなかった。受け入れたくなかった。フィオールと違い血の繋がりさえ持たないルイルは、これを許したらテオールと本当に離れ離れになる気がした。だから、何も言わなかった。だから、目を合わせもしなかった。テオールがレナリアのもとへ行くのを、何も言わずに見送った。フィオールの手だけを、ただただ力強く握っていた。
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