第43話 葛藤

 ルイルが持つ実の家族との記憶は、一作品としてフィルムに収まっている。隠し事をすぐさま見抜いてしまう父、兄弟の戯れをにこやかに見守る母、明るくてルイルに甘い兄。掛け替えのない三人と過ごした、約七年の映画。ワードローブにしまったそれに代わってカメラが撮るのは、新たな家族であり親友の体温。ルイルを溶かすほど甘やかし、底無しに空いた孤独と恐怖をぎゅうぎゅうに埋めてくれる存在。


 ルイルにとって、フィオールとテオールは世界の全てだ。世界はフィオールとテオールがいるから成り立ち、フィオールとテオールがいるから世界は終わらない。


 しかし、それは突如として変容した。テオールはルイルとフィオールの次にレナリアを求め、今ではルイルたちよりもレナリアを選んだ。

 そのとき、ルイルは目の前がくらむほどに戸惑った。信じられなかった。信じたくなかった。だが、あの夕焼けを見てからは否定できなくなってしまった。夕日に照らされて息を分け合うテオールとレナリアの姿は、冬の暗くて寒い夜、フィオールとテオールにすがりつく自分のそれと重なった。テオールの望む幸福はルイルが望むそれと同じで、けれど内容は全く違ったのだと、今更ながらに理解した。


 以来、ルイルはテオールとの付き合いに冷静になった。否、ルイルにとってのテオールが救いであったように、テオールにとってのレナリアも救世主であるのだと思い至ってしまった。

 それに、ルイルにはまだフィオールがいる。ルイル無しには絶対に生きていけない、フィオールという欠陥品の宝物がある。フィオールがいる限り、ルイルの世界は終わらない。まるで初めからそうだったかのごとく、ルイルの世界はフィオールを軸にして、朝焼けと夕焼けを繰り返している。


 ランロッド夫妻をさっさと追い出し、テオールがレナリアのもとへ行ってしまい、事情聴取が終わってやっと静かになった病室。ルイルは狭いベッドに体を押し込み、隣で上体を起こしているだけのフィオールの手を弄んでいる。

 目覚めて以降、フィオールはいつにも増して上の空だ。ただしこれまでのように危ういものではなく、何かをじっくりと吟味しているかのような沈黙。その脳裏に何を見ているのか、ルイルは不安に思って仕方が無い。


「……ジオスの病室がどこか、知ってるか?」

「……知ってるけど、何で?フィオもあいつのところに行くの?俺と一緒じゃ駄目なの?」


 ルイルはフィオールに迫った。何で、行かないで、とフィオールにすがった。いつもならすぐに抱き締め返してくれるのに、今はそうしてくれない。なぜ。どうして。怖い。フィオールが触れてくれないことが、どうしようもなく恐ろしい。ルイルの中で生きる穴が、徐々に心を蝕んでいく。嫌だ。嫌だ。一人になりたくない。映写機にかつての記憶を乗せたところで、もう兄の顔も思い出せない、そんな現実を認めたくない。


「そういう話じゃない。二人に、話さないといけないことが……」

「……二人、って誰?」

「……ルイと、ジオスに。ちゃんと、言わないといけないことがあるんだ」


 フィオールの目は、きゅっと閉じた。辛そうな、ルイルが初めて見る顔。くしゃりとシーツを握り締め、ルイルの手を握り締め、断頭台に上るかのごとく強張っている。

 そのような態度を見せられては、分かった、としかルイルには言いようがなかった。フィオールが悪夢にうなされた夜と同じ、思い出さなくていいんだよ、という甘言は通用しないと感じたからだ。

 本当は、余計なことに気を取られてほしくない。ルイルと一緒にいることだけを考え、求めていてほしい。そして、ずっとそうなるようフィオールとテオールを煽動してきた。だが、テオールにはそれが破られてしまったように、今このときにそれは許されないのだろう。


 フィオールの手は離さず、ぺたぺたと無機質な廊下に出た。見張りの警察官に、ジオスの部屋に行きます、と言い置き、二つ隣のドアをノックする。聞こえた返事は、テオールの声。やっぱり一緒にいるんだ、と再認識してしまえば、ルイルの心は軋む。


 レナリアと出会うまで、テオールはルイルのものだった。それゆえに、ルイルはレナリアを憎んでいた。そう、憎んでいたのだ。

 ところが、そうは言えなくなってしまった。なぜなら、テオールがレナリアを望んでいると知ってしまったから。ルイルはフィオールとテオールを手放せないが、二人に不幸になってほしいわけではない。ただ、二人の幸せはルイルと一緒にいることだと思っていただけ。では、それが間違いだとなればどうなるだろうか。

 テオールの幸せにレナリアも必要だと説かれれば、ルイルはこれ以上レナリアを否定できなくなった。レナリアが大人しくなってしまったから、余計に。

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