第17話 スタンメリー一家殺害事件の生存者Ⅱ

「……」

「えっと、どこ行く?できれば、軽く何か食べたいんだけど……お昼、食べ損ねちゃって」

「じゃあ、案内して」

「あ、うん」


 二人はのんびりと歩き始めた。沈黙は気まずい。だが、特別話すこともない。バスで移動した後、段々と人通りが増えてくる道を進んでいく。今日は、漠然とイーストストリートに出るとしか決めていなかった。学校の最寄りの繁華街であり、学生向けの店が多くある。レナリアは初めて来る場所だ。久々の人混みに怖じ気づきながら、テオールの斜め後ろを付いていく。


 どくどくと心臓がうるさい。人々の視線がこちらに向いている気がする。否、レナリアのファッションが異質なせいだろうが。それでも、こういう服しか持っていないのだから仕方無い。

 所々くたびれた、無駄に装飾が施されたワンピース。両親とのショッピングから帰る姉は、決まって新しい衣装を買ってきていた。どんどんと増える衣服はクローゼットに入りきらず、両親の決定によってレナリアのそれにまでしまわれる始末。されど、おかげで現在のレナリアは服に困っていない。サイズは少々合わなくなってきたが、まだ姉と一緒にいられる。

 あんたが死ねば良かったのに、と言ったのはいとこだ。レナリアの姉を慕っていた彼女は、生き残ったのがレナリアである現実を否定した。そのとき、レナリアは反論しなかった。事実そうだと思っているからだ。助かるのは姉であるべきだった。不慮でできてしまった子供は、さっさと死んでしまうべきだった。今生きているのは、単に死ぬ度胸が無いがゆえ。包丁もロープも、いざ使おうとしたら手が止まってしまう。


 ――くいっ、と腕が引かれた。


「ここにしない?」


 示されたのは、客がまばらなコーヒーショップ。立て看板にランチメニューが書いてある。手招いているつもりか、黒いシルエットが立っていた。毛糸をもつれさせたような、ぐちゃぐちゃと輪郭を変え続ける、レナリアにしか見えない「人」。両目と左手が無い。あれは、先生だ。そういえば、コーヒーをよく飲んでいた。背中を向けたかと思えば、ふらふらと店内へ入っていく。立ち止まり、再びレナリアを招いた。


「好きにすれば?」


 恩師から目を逸らさず、レナリアは了承した。入った先の内装は、木材を基調としている。ほのぼのとした雰囲気が味わえ、レナリアの荒んだ気分もいくらか落ち着く。

 手慣れた様子でテーブルに座ったテオールは、メニュー表を手に取った。隣に座る「存在」には当然気づかず、あくまで向かい側のレナリアに見せながら、何を注文するか悩んでいる。伏せたそのまつげは長く、そういえば女子が騒いでたな、とレナリアはおぼろげな記憶を思い出した。直後、はたと目が合う。


「俺はこのサンドイッチにするけど、ジオスさんはどうする?」

「いらない」

「お昼、学校で食べてきたの?」

「食べてないけど、いらない」

「――じゃあ、スープ頼もう。何か食べたほうがいいよ」


 突然、テオールは受け答えを無視した。だから、とレナリアが言い募るよりも早く、店員を呼び注文を済ませてしまう。言っていた通り、サンドイッチとコンソメスープを頼んだ。間髪入れず、レナリアの脳内はクエスチョンマークでいっぱいになる。テオールは話を聞いていなかったのか。否、じゃあ、と言っていたから理解はしていただろう。そのうえでレナリアの分も勝手に注文したのか。訳が分からない。余計なことを、とレナリアはテオールをにらんだ。


 真面目な双眸で正論を言われると、まるでレナリアが悪いかのように感じられる。食べないと駄目、と言われるのは初めてだ。引き取り手の一家から食事を強制されたことはない。むしろ、食事など用意されない。余り物を食べるか、一応与えられているお小遣いから買うことにしていた。

 幸いにも、養育者はスタンメリー家の遺産を度が過ぎて横領する人ではなかった。しかし、レナリアの生活水準には最低限未満の干渉しかしなかった。一応の屋根裏部屋、一応のスマートフォン、一応のお小遣い。使えるお金はたんまりと寄越されるわけではない、レナリアは自然と食を疎かにしていった。空腹を感じれば食べる、感じなければ一日中何も食べない。服もそうだ。姉のものがあるから買い足さない。唯一染髪にはこだわっているが、他の部分は無頓着。髪型とて、気づいたらばらばらに切ってしまっているというだけ。

 隣人も、恩師も、親友も、レナリアの生き方を否定することはしなかった。さりげなく行動を誘導することはあれ、面と向かって反論することはしなかった。レナリアは、それに不服を抱いていない。何も聞かず、ただ側にいてくれる三人のことが大好きだった。その死後に影絵のような幻覚を見てしまうほど、三人のことを愛していた。


 レナリアは、一冊のノートを机上に出した。


「……勉強するの?」

「違う。読んで。知りたいんでしょ?」

「……?」


 テオールの手が、それを取ってめくる。直後、その顔ははっとレナリアを見た。レナリアが何も言わずにいれば、テオールは黙って読み進めていく。――このノートには、これまでの事件をまとめてある。親友に勇気づけられて、親友が死んだ後はただの意地で集めた、新聞記事とレナリアの記憶。

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