第16話 スタンメリー一家殺害事件の生存者Ⅰ

 十二年前の夏、スタンメリー一家殺害事件は起きた。

 ありきたりな町の、ありきたりな一軒家で犯された大罪。ただし、一家、という表現はいささか不適切かもしれない、たった一人だけ生存者がいるのだから。当時にして三歳の、姉を親のように慕っていた少女。神秘的なほど真っ黒な両目に映ったのは、凄惨な赤だ。


 事件は真夜中に起きた。殺害されたのは四十代の夫妻と、妹よりも十歳上の長女一人。それぞれ寝室で、胴体を何か所か刺され頸動脈も切られた状態で発見された。――また、三人共眼球が奪い去られていた。

 殺害された次の朝、生存者である次女の叫び声を聞いた近隣住民が駆けつけたことで発覚した。恐ろしいのは、犯人が未だに捕まっていないという点だ。証拠がほとんど残されておらず、目撃者もいないものだから捜査が難航している。


 生存者レナリア・スタンメリーの無事の要因は、幸とも不幸とも言えないだろう。両親が姉に与えた髪飾りを欲しがりふてくされてベッドに潜った結果、家族の死体を目の当たりにすることとなった。少しの悪意が、地獄を呼ぶ笛となった。皮肉にも自身は見落とされ助かったわけだが、これを完璧な幸だと誰が言えるだろうか。警察が到着したとき、レナリアは姉の死体に抱き着いて泣き叫んでいた。


 少女は警察が保護、程無くして親戚に引き取られた。元来望まれぬ子として親からも疎まれていたが、新たな養育者もレナリアを良く思っていない。しかし、他に頼る先も無いとなればそこに行くしかなかった。その後の人生は、長女のほうが助かれば良かったと平然と言い放つ冷たい家庭で、レナリア・ジオスとして生きていくこととなる。


 ――地獄は、ここで幕を下ろさなかった。否、ここからが本当の地獄だと言えるかもしれない。


 除け者にされていたレナリアは、隣人の老婦にかわいがられた。帰りたくない日は夕食をご馳走してもらい、養育者の子供のバースデーパーティーがある日は老婦の家で過ごす。そもそも記憶が残りづらい三歳の頃の事件だったこともあり、レナリアの精神は隣人を支えに安定していった。――ところが、隣人は出会って二年後に殺された。


 再び日常を壊されたレナリアは、同年代とは足並みをずらしてエレメンタリースクールでの生活を送った。レナリアは精神の殻に閉じこもり、いつも一人きりで過ごしていた。すると、ある教師がレナリアを気に掛けるようになった。教師はレナリアの話に耳を傾け、レナリアの心を開いていった。――ところが、教師はレナリアがエレメンタリースクールを修了する頃に殺された。


 認めたくない現実を意識し始めたレナリアは、ミドルスクールでいじめられた。噂は音よりも早く出回り、人殺し、死神、と中傷を受けた。そのようなとき、シャンリーというたった一人の女子生徒だけはレナリアの味方でいた。シャンリーはレナリアを癒やし、守った。――ところが、シャンリーはレナリアがハイスクールに進級する頃に殺された。


 私のせいだ、とレナリアが明確に認めてしまったのは、このときだろう。ごみ箱からかき集めたかのような言葉で罵倒され、誰も彼もがレナリアを犯人に仕立て上げようとする。レナリアは全てを諦めた。私は殺してない、と主張することさえやめた。手に掛けたかどうかは関係ない、死んだ、その事実だけで十分だ。レナリアの一生は狂った。否、望まれぬタイミングで生まれてしまった時点で、レナリアの一生は他人を陥れるためだけにあるのかもしれない。


「――レナリア、こっち向いて」


 レナリアがアスファルトの上でうずくまっていると、突然顔を上向かされた。逆光の中、メープルシロップに似た髪がふわふわと揺れているのは分かる。甘そうな瞳がきらりと光った。頬を挟む手の平は温かい。泣きそうで泣けない感情と、お姉ちゃんじゃない、と辛うじて理解する脳裏。


「レナリア」

「……何?」

「俺が誰か、分かる?」

「馬鹿にしないで」


 気丈にも、レナリアはテオールの両手を叩いて払った。パシン、と小気味良い音が響く。学校の裏手という閑散とした場では、それに意識を向ける第三者などいない。

 テオールのほっとした表情が嫌いなあまり、レナリアはすくっと立ち上がった。それでも、テオールは十分レナリアを見下ろせる。その身長差に、レナリアはいっそう苛立ちを募らせる。堂々巡りだ。最初はルイルだけが憎らしかったのに、今ではテオールのほうが余程気に食わない。ストーカー宣言を早くも後悔している。


 腕時計を確認すると、集合時刻の五分前だった。じっとりと見上げれば、その意図を測りかねるのだろう、テオールは困り果てた様子で黙ってしまう。どう見ても、臆病者がする仕草だ。何で来たの、とレナリアがわざと問うたところ、約束したよね、と弱々しい返答が返る。

 確かに、約束はした。再来週に遊びに行こう、とレナリアから自殺行為を提案した。と言うのも、校内には部外者が入ってこられないので、犯人がテオールの存在を知るのは難しいのではないかと気づいたからだ。

 しかし、誰が素直に応じると予想できるだろうか。レナリアとしては、テオールは学校の敷地内なら犯人が侵入できないと踏んでいるのだと思っていた。つまり、舞台を敷地外に移してしまえば、テオールは取り決めを反故にしてレナリアから逃げると思っていた。それが実際はどうだ、こうしてのこのこと安全地帯から出てしまっている。


 ――本当に死んじゃったらどうしよう、と一瞬だけよぎる。

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