第35話 新たな日常Ⅱ
何事か、と近隣の生徒がこちらを窺うが、またこいつらか、と言いたげな視線を向けて関心を無くしていく。
ルイルは突然のことに肩を大きく揺らし、対照的にテオールはしまったと言うような表情を見せた。フィオールは、自身が間抜けな顔をさらしている確信があった。どういう展開か、全く分からない。こちらから見上げたレナリアは、無表情だ。何とも感じていないのではなく、激情がかえって静寂をもたらしたかのような。
今まさに開けようとしていたチョコレートと、未開封のそれらがレナリアの手の中に消えた。かと思えば、がっ、とテオールに全てが飛んでくる。
「わっ」
「何するの!?ちょっ、ねぇ!」
ようやく喋ったルイルの静止も聞かず、レナリアはカフェテリアを出ていってしまった。カッ、カッ、カッ、とローファーの音が高い天井に反響していた。
ハリケーンのごとく暴力的な行動に、フィオールは理解が追いつかない。テオールは、確かにレナリアを心配していた。ところが、レナリアは気に入らなかったらしい。自分勝手にも程がある、とフィオールはむかむかとせずにいられない。理性があるなら、力ではなく言葉で伝えるべきだ。ルイルの暴走は泣き喚くことだが、レナリアは物に当たることなのだろう。テオールの事件以前の言動も、この性質から来ていたのか。つくづく辟易する。
うー、とテオールは呻いた。両手で顔を覆い、俯いて肩を落とした。失敗した、と後悔がいっぱいに詰まった声色でこぼす。テオは悪くない、とルイルが当然のように口にするが、テオールは納得できないようだ。事情が把握できないので、フィオールは説明を求める。
「テオ、ジオスと友達なんじゃないのか?」
「正確には、まだ……。距離が縮まるのが嫌……って言うか、怖いみたいで。これまでのことを思えば、当然なんだけど……」
「テオがわざわざ仲良くしようとしてるのに?生意気」
「ルイ」
テオールに咎められ、だって、とルイルは唇を噛んだ。テオールがレナリアと親しくすることを見逃しはしたが、受け入れたわけではない。ルイルは未だにレナリアが嫌いだし、きっと未来永劫そうだ。フィオールとテオールを傷つける存在を、ルイルは決して許さないのだろう。フィオールはそれが嬉しく、それに一生従おうと思っている。元来テオールとルイル以外を必要としていない、ルイルの私怨に付き合う余裕がある。
しかし、テオールは違った。最近明らかになったことだが、テオールはフィオールとルイルの他に存在を必要としている。そして、それはレナリアだ。テオールはフィオールとルイルを傷つける存在を疎むと同時に、レナリアを傷つける存在も黙認しないだろう。フィオールとルイルが喧嘩したら悲しむように、ルイルがレナリアを攻撃することを止めたいに違いない。
もし、とフィオールは考える。もし、ルイルが殺したいほどレナリアを忌み、テオールに縁を切るよう迫ったら、テオールはどちらを選ぶのだろうか。己の命綱であるレナリアを捨て、ルイルのもとに心の全てを戻すのだろうか。それとも、ルイルを捨ててレナリアを取るのだろうか。
レナリアを知らないフィオールなら、前者に決まっていると即答できただろう。しかし、現実は違う。フィオールは、レナリアを知ってしまっている。この状態でテオールがレナリアから離れることを、フィオールはなぜか屈託無く肯定できない。テオールにはレナリアの側にもいてほしいと、ルイルを裏切るようなことを考えてしまう。
「――あれ、お揃いじゃないか」
頭上から、優しそうな声がした。栗色の髪と目を備えた、若い男性。会いたくなかったと思ったのは、フィオールに限らないだろう。
カーゴは同席こそしないが、話す気があるのかトレーを持ったまま立ち止まった。噂をすれば、とはこのことだろうか。後悔先に立たず、も同じく。
「ジオスは一緒じゃないのか?」
「さっきまでいたんですけど、先に出ました」
「そうか。仲がいいんだな」
「違う」
テオールはぼかしながら答えた傍ら、ルイルは食い気味に否定した。おかげでカーゴは困った様子で二人を交互に見やり、そうか、と微妙な返事をした。最悪、ルイルの嫌悪は好意の裏返しだと考えていても奇妙ではない。ほぼ確実に、カーゴは全てを自身の都合で解釈するタイプだ。フィオールたちが何を言おうと、カーゴが本心から信じることはないだろう。端的に言えば、話が通じない。
ふと、カーゴの目線はテオールのトレーに注がれる。一かけらの食べ残しも無い、完食された皿。
「……食べられるのか?」
「え?」
「怪我をしたんだろう?」
「え、あぁ……。はい。あまりひどくなかったので」
「浅かったのか。良かったな」
「ありがとうございます」
テオールは微笑んだ。フィオールとルイルの代わりに教師や配達員と話すことが多いせいか、テオールは外面がいい。唐突な会話でも誰が相手でも、にこやかに対応してしまう。
思えば、レナリアにまともに意見したのもテオールだけだ。フィオールは顔を合わせれば逃げるし、ルイルは感情的な文句しか言えない。レナリアが自発的にチョコレートを食べたのは、テオールに丸め込まれた部分があるからかもしれない。尤も、一つだけ食べてあとは投げ捨てたが。誰も拾わないから、今も床に転がっている。
気が済んだのか、カーゴはあっさりと別のテーブルに移動した。声が聞こえないほど離れたところで、はぁ、と三人揃って溜め息を吐く。固定観念もあるが、カーゴがすっかりと苦手になってしまった。親身な教師であるものの、自分たちだけで生きていたいフィオールたちにとっては天敵だ。さっさとこの場から逃げるため、フィオールとルイルは急いで食事を再開した。
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