第19話 ランロッド一家Ⅰ
冬休みが始まった。夏休みほどではないにせよ、十二月中旬から始まる長い休暇だ。寮生のほとんどが帰省し、フィオールたちも例外ではない。凍える体を温めるために寄り添いながら、バスを乗り継いで家路をたどる。フィオールとテオールは、かすかに震えるルイルの手を優しく包み続ける。寒い、寂しい、恐ろしい季節だ。
クリスマスイブの真夜中、ルイルの実の家族は殺された。両親と兄、三人共ナイフで何度も刺されたうえで、両目が取り出されていた。当時七歳のルイルがサンタクロースに会おうとソファーの下で寝ている間に起きた、悲しく残酷な事件。家族で幸せに過ごすための日は、ルイルにとって家族を奪われる恐怖の日となった。以来、ルイルが幸福な白雪に包まれたことはない。毎年、毎年、フィオールとテオールを痛いほど抱き締めながら朝を待つ。ランロッド兄弟は、ルイルが苦しむこの日が一番嫌いだ。
スカイブルーの屋根とオフホワイトの壁。ランロッド家では、夫妻が子供たちの帰りを今か今かと待っていた。
「おかえりなさい」
「おかえり」
フィオールと同じ垂れ目を持ち、春の空のような雰囲気を持つミラン。テオールと同じ、ただし左右で色が違う猫目を持ち、警察官らしく剛健な体を持つジャスティー。息子たちがようやく帰ってきても、ミランは何もしない。一方、ジャスティーは腰をかがめて両腕を広げた。ブラウンの右目と、ブルーグレーの左目が期待に輝いている。――瞬間、フィオールの足はすくんだ。
「お父さん、教会に行くんでしょ?俺たちも急いで支度してくるね」
即座に、テオールがフィオールを背中にかばった。フィオールの中で暴れるのは、捕獲される、という被捕食動物染みた強迫観念と、逃げたい、という被害者染みた逃避願望。息が詰まり、思考が散らばる。テオールの声と体温が、ガラスを一枚挟んだ先の感触に感じる。
テオールの導きに従い、頭をかく父の横をすり抜け、フィオールの自室へ。パタン、とドアが閉まると同時に、強張っていた体から一気に力が抜けた。カチャン、と回る鍵は、いつかにテオールが設置してくれたものだ。内側だけに付いているので、外から開けることは叶わない。ルイルを抱き締め、息を吐き出す。
ルイルと出会う少し前、潔癖症を荒療治しようとした両親によって、フィオールはボーイスカウトに参加させられたことがある。結果だけを言えば、キャンプの初日に帰宅した。募金活動やごみ拾いはまだ遂行できたが、キャンプでは他の子供や指導員との身体接触を強制されたので、泣き叫んで逃げ回った。当時は理性が十分に発達しておらず、嫌悪感と義務感の配分が上手くできていなかったのだろう。
事情を理解した両親によって帰宅が叶い、いの一番に向かったのはテオールのもと。親の体温も拒んだくせに弟にはすがりつき、両親が近づくとテオールを連れて家中を逃げた。このイベントはテオールの記憶にも色濃く焼きついたらしく、以来両親が軽率に近づかないよう気を配ってくれている。
お父さんはたまにしか会わないから忘れちゃうんだろうね、とテオールは言った。事実そうだろう。ただでさえ仕事が忙しく、去年からはフィオールとルイルがボーディングスクールに進級してしまったので、生まれて十四年経つにも関わらずほぼ会えていない。仮にお互いが家にいたとしても、フィオールはテオールとルイルとは過剰なほどに触れ合っているから、息子が接触を許さないことをつい忘れてしまうというのもあるだろう。
頭を撫でさせてもくれない子供を持って、ミランはどう思っているのだろうか。今は当たり前のこととして振る舞っているが、本当はフィオールを疎ましく感じているのだろうか。抱き締めさせてもくれない息子を持って、ジャスティーはどう思っているのだろうか。拒絶されても何も言わずに引き下がっているが、本当はフィオールを煩わしく感じているのだろうか。
「――フィオ?」
突然、ルイルが喋った。
「ねぇ、俺とテオだけでいいんだよね?他の人なんかいらないよね?俺より他の人、取ったりしないよね?」
肩が湿っていく。ルイ、とテオールが声を掛けると、テオもそうでしょ、と涙に濡れた声がした。はっとしたフィオールは、慌ててルイルの体をいっそう抱き寄せた。
「そうだよ。ルイとテオがいればいい。俺には、二人しかいないから……」
「そうだよね?俺とテオだけでいいよね?お願いだから、おじさんとおばさんに触らないで。フィオとテオは俺のだもん。フィオとテオは俺のだもん……」
どろりとした、心地好いものが心に流れ込んでくる。怯えている心を温め、胸の内に燻る後ろめたさを洗い流してくれる。そうだ。ルイルの言う通りだ。両親に嫌われていようと、テオールやルイルと一緒にいられるなら構わない。フィオールの全ては、テオールから始まっている。次にルイルが来て、今はテオールとルイルの二人で続いている。他には何も無くていい。二人が共に生きてくれるなら、他には何も望まない。
ところが、ルイルの肩越しに見えたテオールの顔は、喜怒哀楽がぐちゃぐちゃに混ざったような表情をしていた。なぜ。どうして。ただ、喜んでほしい。同じだと頷いてほしい。
遅れてフィオールとルイルを抱き締めたテオールの体は、気のせいと言えてしまう程度だが震えていた。大丈夫、とささやいた意味は何なのだろうか。ルイルの言葉を肯定する意なのか、遠慮する意なのか、それとも別の何かなのか。
しかし離れたとき、テオールの顔はいつも通りの微笑に戻っていた。フィオールが何も聞けないうちに、ほら、教会に行こう、とテオールは手を叩いてしまう。
クリスマスではなく、十二月に入ってすぐ教会を訪れるのがランロッド家の習慣だ。何でもないありきたりな日を選ぶのは、クリスマスイブが迫るほどルイルが不安定になるから。命日の頃、ルイルはフィオールの部屋から出たがらない。無論ランロッド兄弟を隣に座らせた状態で、夜は家鳴りにさえ叫び声を上げる。毎年忘れず繰り返されるそれは、今年で六回目。
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