第十三話  孤悲に死ぬべし

 広河ひろかわは逃げも隠れもしない。

 腕を組み、小屋の扉にもたれ、無表情に、


「斬れるのか。」


 挨拶のように気軽に言う。


「何もかもが迂腐うふ(愚かでくだらない)だ。

 この迂腐うふ母父おもちちの間に産まれ、おまえも私も、何をこんなに苦しんでいるんだろうな?

 ───血を分けたおまえが、私を斬れるのか?」




   *   *   *



 大川おおかわは、沸騰した湯でぐらぐらと全身を煮られるような怒りで、目の前が白くかすむ。


(左肩から腰まで斬りおろしてやる。

 刃が背に抜けるほど!)


「……斬れる!」


(殺してやる!)


 まさに剣を振り上げた瞬間、

 目の端にひらりと手古奈てこな(蝶)のように揺れる薄桜色の領巾ひれが見えた。

 比多米売ひたらめが、広河を背にかばい、兄弟の間に割って入ったのだ。

 大川は剣を振り上げたまま、身体の動きを止める。


 どけ、

 と言おうとして、

 なぜかばう、

 と思って、

 やっと会えた、

 と恋しい気持ちが胸にあふれて、


比多米売ひたらめ……!」


 名が口からこぼれた。


 桜色のほうがぼろぼろだ。

 このおのこに酷い目にあったんじゃないの……?

 私がこの男を罰するから、


「どけ……!」


 比多米売と目があう。

 剣の下に身をさらす恐怖に顔が強張こわばり、顔色が真っ白だが、震えてはいない。

 両腕を広げ、背に広河をかばい、

 まっすぐこちらを見ている目に、涙があふれている。


「どけません……!」


 迷いのない言葉だった。


「どけ……!!」


 おまえの恋うてるおのこは私のはずだ。

 なぜ、私ではなくそのおのこをかばい、涙を流す。

 なぜ……!


「どけません!」


 重ねて比多米売が言う。


「うぁ……!」


 剣をふりかざす。

 比多米売は、ぎゅっと目をつぶった。それでも動かない。


「なぜだ!」


 大川は、右側、比多米売にも広河にも届かない距離に剣を振り下ろした。

 しものおりた地面にざくりと剣が突き刺さり、土が飛ぶ。


「なぜだ──────ッ!」


 絶叫する。

 立っていられず、地に両膝をつき、手から剣が落ち、くらりと身体が前にかしぎ、両手を冷たい土につけた。


 問うが、答えは返ってこない。


しまいか。」


 広河が淡々と言い、比多米売をすいと両腕で抱き上げた。


「女官を一人貰いうける。あとで相応そうおうの品を宇都売うつめさまに届けよう。」


 と歩き去ろうとし、こちらを見て足を止め、


「他のおみなまでは望まない。安心しろ。このおみないもだと言うのなら、今生こんじょうの縁はなかったものと諦めろ。」


 言い残して、去っていった。

 その間、比多米売は広河の肩に顔を埋め、一言も喋らなかった。


 遠くで二頭の馬のいななきが聞こえ、馬の足音が遠ざかっていった。


 しらしらと夜が明け、霜のおりた地を朝陽が細く照らす。


「大川さま……。」


 遠慮がちに三虎が声をかけてきた。

 手に大川の剣を捧げ持っている。

 地面を見つめていた大川は、緩慢な仕草で地面から手を離し、膝立ちになり、三虎から受け取った剣を鞘にしまった。


 次に三虎は、木綿の手布を取り出し、大川にむかって捧げた。


「?」


 ぼんやりと三虎の顔を見る。

 三虎が小さい声で、


「酷い顔です……。」


 と言った。大川は一回目をしばたたきき、のろのろと右手を頬にあてた。

 濡れている。


(そうか……。)


 ずっと泣いている。泣いていた私は。


「うっ……、ぐっ……。」


 驚くほどの早さで嗚咽が込み上げ、


「ああ、あ……!」


 大川は泣き伏した。


 比多米売は行ってしまった。

 もう届かない。

 あの赤い唇で熱く口づけしてくれたのは、つい一昨日なのに。

 うっとりと微笑みながら、私の手をとってくれたのは比多米売だったのに。

 なぜ、私ではなく兄を選んだ。

 なぜ、

 なぜ……。

 私の胸に飛び込むこともできたはずだ。

 そうしたら、兄がなんと言おうと、守り通したのに。

 何もかも捨てて、二人でどこまでも逃げたのに。

 なぜ……。




   *   *   *




 三虎は、十五歳の大川さまが地に額を押し付け、身をよじり、土をかきむしり、慟哭どうこくするのを見た。


「あああああ、あああああ……。」


 ───号哭ごうこく天上てんじょう雲霄うんしょうす───


号哭ごうこく……大きな泣き声は立ち昇って天上を突き、雲霄うんしょう……大空にこだました。)


 三虎は己の涙をぐいと手で拭き、朝陽が昇る東の空を見た。


 こんなに取り乱し、獣のように泣く大川さまは、三虎の知る大川さまではなかった。


(あのおみな……。)


 薄明かりで良く顔は見えなかったが、丸顔で口の大きなおみな


 あのおみなが知らないうちに三虎の守りを抜け、くちなわ(蛇)のように大川さまを一呑みしてしまった。


 そして大川さまを全く変えてしまった。


 たった一晩だ。

 その前には、断じて、あのおみなの影は大川さまの近くになかった。

 ………もし、大川さまが、もっと普通の武骨な見た目のおのこだったら、あのおみなは、一晩で驕溢きょういつ(おごって分に過ぎたことをする)しただろうか?


 大川さまが、人並み外れて美しいおのこだから、くちなわおみなは欲を抑えられず、喜々として一呑みしたのだ。

 

 大川さまの綺羅綺羅きらきらしい風貌は、本人の望んだものではない。むしろその風貌のせいで、大川さまは傷ついたのではないか……?


 おみなはそうやって、大川さまをたぶらかしておきながら、掉尾ちょうび(最終局面)で広河さまを選び、大川さまに悖戻はいれい(道理に逆らい、人の道にそむく行為)をはたらいた。


 なんてひどおみなだ。


 そんなおみなを広河さまが掠奪りゃくだつして行った。

 酷いおみなでも、大川さまの御手おてがついたおみなだ。

 広河さまが勝手に、おみな掠奪りゃくだつしていって、良いわけがあるか……!


 最悪だ。こんな、大川さま……。


(オレは……何の役にもたてなかった。すまない……、大川さま。)


 三虎は、血がにじむほど、唇を噛み締めた。





 しかし、三虎はまだやる事があった。


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