第十二話 蘭契
時に手を
酒を
手に手をとって、郊外の川べりをはるかに眺め、
酒を求めて遠く隠者の家を訪れる。
親しく
万葉集
巻第十七
※
* * *
三虎は、
(これじゃ足りない………。)
入魂の泥だんごが玉砕した。
泥だんごでは、駄目なのだ。
(
思いあぐねていると、
「おやこれは。全部差し出す
ばったり、魚顔の
三虎は、ぎり、と奥歯を噛み締めてから、声を張った。
「オレはお前ともう喧嘩しない!」
三虎はぐいと胸をそらし、
「殴りたいなら、殴れ。さあ!」
と言った。伊可麻呂は舌なめずりしながら、桑の木をぬい、原っぱを歩いてくる。
「だが今日だけだ。忘れるなよ。お前もオレも
はっ、と伊可麻呂は笑った。
「だから手心を加えろってぇ?」
「違う。
去年の七月、奈良を中心に大きな嵐が吹き荒れた。
正四位下
天皇の血につらなる方々でさえ、
古くからの大豪族、
「
と母刀自はしっかり言ってくれたが、大人たちの、不安そうな顔を見ていれば、わかる。
いつ、何が。
大人は黙っていても、
それは、この魚顔の伊可麻呂だって、そうだろう。
「そういう口を………。」
眼の前に来た伊可麻呂が、歯をむき出して拳を振り上げる。
「きけないようにしてやる!」
全く防御しないで拳を受けたので、一発で身体が浮き、桑の梢ごしに晴れ渡った初夏の空が見えた。
* * *
うぐひすが鳴いている。
「チッ………。」
鼻の奥に血のかたまりを感じて不快だ。
三虎は仰向けのまま横をむいて、鼻に手をあてて、ぶっ、と血のかたまりを勢い良く外にだした。
「バカスカ殴りやがって………。」
気が済むまで三虎に馬乗りになっていた伊可麻呂は、もう去った。
静かだ。
大怪我はないが、顔といわず、身体といわず、あちこち痛かった。
身体に力が入らない。
しばらくここで一人、仰向けに休む必要があった。
ふと横を見ると、菜の花の茎に、
天道虫は、茎をのろのろと天に向かって登り、黄色い花までたどり着かず、また、地に向け、のろのろと降りる。
天に。地に。
紅い小さな虫は、何回もそれを繰り返した。
「……何やってんだよ。それじゃ、意味ないだろ。どこにも、いけないぞ。」
三虎はつぶやいた。
菜の花が春風に揺れる。
「オレは悔しくない……。」
三虎は誰にともなく、つぶやいた。
「オレは惨めか……?」
いいや。一回は殴られてやらないと、伊可麻呂はしつこく喧嘩をふっかけてくるだろう。
だから必要なことだ。
「こんなの
(オレは、加巴理さまを守りたい。
いつもの加巴理さまを取り戻したい。
宇都売さまでも出来ないなら、オレがどうにかする。)
手を握りしめる。
手に力が入るようになった。
あと少ししたら、顔を洗って血と泥を流し、衣も汚くなりすぎていたら替えよう。
そして、加巴理さまの様子をもう一度そっと確認してから、
姉の
菜の花をのろのろ降っていた天道虫は、ぱっ、と思い立ったように青空にむかい飛んでいった。
* * *
夕刻。
三虎は部屋の
加巴理さまが気がついて、こちらに目を向ける。
三虎は
花かんむり。
白、紫、桃色、黄色。形も大きさもいろいろな花を、緑の茎で編み込み、立派なかんむりとなっている。
「加巴理さま、ん!」
三虎はぐいっ、と花かんむりを加巴理さまの胸に押し付けた。
「オレも、姉上も、心配してる。元気出せ!」
ぱちぱち、と加巴理さまは
「三虎の姉上が作ってくれたのか。」
と、すまなそうに
「違う。それは、オレが作った。」
高らかに言った。
花かんむりは、
「は………。」
加巴理さまが目を丸くし、
「え………。」
「ええ……。」
「おぅ……。」
「まあぁ……。」
母刀自と宇都売さまと女官二人が何か言葉をもらした。
「姉上に教わって、一から、オレが作った。」
堂々と言うと、
「………ぷっ。」
加巴理さまが、ふいた。
久しぶりの、小さな、笑顔。
つられて三虎も笑うと、加巴理さまが、カタン、と倚子を立った。
「こんなの作って、どうするつもりだ。」
苦笑しながら、花かんむりを自分で頭にのせて見せた。ふっ、と照れたように笑った加巴理さまは、もともと玉のような美貌だから、花かんむりが
そして空いた両腕で、三虎をぎゅっと抱きしめた。
「………ありがとう三虎。」
「おうっ! 元気をだせ、加巴理さま!」
「うん。」
素直に返事をした加巴理さまは、身体を離し、早業で、さっと花かんむりを自分の頭から、背丈の変わらない三虎の頭に移し替えた。
「あっ!!」
(加巴理さまには花かんむりが似合っても、オレには似合わねぇ!
絶対、絶対、似合わねぇ!!)
「かっ、勘弁してくれ!」
慌ててとろうとすると、
「とっちゃ駄目! あははは!
私だけにかぶらせて、自分が
うん、似合ってるぞ。」
と楽しそうに加巴理さまが言った。
その、本当に久しぶりの加巴理さまの花咲くような笑顔に、心底嬉しい、と思いつつ、
「くそぉ。」
恥ずかしさで顔が歪む。
加巴理さまの笑い声に、
(こんなはずでは……。)
ただ、ビックリさせて、三虎も姉上も心配してる、と伝えて、元気を出してもらえば良かった。
「きっとね、とても良いと思うわ………。」
と何か含みのある笑顔で言った、二歳年上の姉の顔を思い出す。
(まさか、こうなると予想していたわけじゃないだろうな、姉上!)
三虎は、顔がアザだらけで、母刀自に叱られかけた。だが、
「手は出さなかった、一方的に殴らせてやっただけだ。」
と堂々と言ったら、母刀自はぐっと言葉につまり、悔しそうに口を引き結び、黙って三虎を抱き寄せた。
加巴理さまは、
「三虎。」
と、ただ名を呼び、
その日から、少し、加巴理さまに笑顔が見られるようになったが、まだ、いつもの加巴理さまの明るさは、戻らなかった。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085415610818
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