第十三話 観音山
日の
越ゆる日は
たらちねの
さやに
長い影を踏む
日暮れに
越える日は たらちねの
はっきり見えるように振ってくれた
※
※たらちね……母にかかる枕詞。母に親しみや尊敬をこめて、という意味合いを持つ(はず。)
* * *
「
「はい。」
(この
と思った。
噂を直接、聞いたわけではないが、あれだけ見物人がいたのだ。
加巴理のことを、今も誰かがどこかで噂しているに違いない。
………あれが、兄に逆らった弟への仕打ちよ。
打たれたのよ、
そう
考えても仕方ないことだというのに……。
(私は、どうしようもなく、弱いな。
はっ、
母刀自と女官三人、加巴理と三虎、衛士二人。総勢八人で、馬に揺られ、母刀自の生家のある、
旅の最中も、加巴理の気は晴れない。
(私は兄から望まれたら、全て差し出すのか……。)
胸に、真っ暗な思いが広がる。
気のせいか、
(では、私は、何のために……。)
母刀自の生家は、ここの
川のせせらぎが聞こえる。
初夏の日差し。
「来たな。」
祖父であり、
祖父は、いかつい顔に深い
「父上!」
母刀自が笑って、馬から降りた。
祖父と会えて、心から喜んでいる母刀自を見ていると、ここにしばらく滞在するのも悪くない、と思えた。
昼餉を食し、屋敷内を案内され、荷ほどきをする。大人たちは何かと動いているが、加巴理と三虎は手持ち無沙汰になった
祖父から、
「ご案内したい場所があります。
と誘われた。
「いってらっしゃい。気が向いたら、あたくしも行くわ。」
祖父、加巴理、三虎、三人で連れ立って、
六歳くらいの
「郷長さま!」
と声をかけて、とことこ側に駆け寄ってきた。
祖父がいかつい顔に微笑みを浮かべ、頭をグリグリと撫でてやると、その
祖父の
「だあれ?」
と言った。祖父が老人らしい低い声で答えた。
「孫であり
「はあい! カハリさま……。」
加巴理が頷くと、目をキラキラさせながら、にこっと笑って、
目が
心が健やかなのだろう。
走った先には、父親と兄らしい人がいる。
何か話し、兄が弟に
「郷長さま! たたら
父親が祖父に声をかけ、三人、ぺこりと頭をさげ、田へ戻っていく。
加巴理はしばらく足を止めて、去りゆく親子の背中に見入っていたことに気がついた。
祖父のあとにつき、無言で歩きだす。
(───
私もあのような家族のもとに、生まれたかった。)
親は選べない。
食べ物も、衣も、比べ物にならないほど、加巴理の方が恵まれているだろう。
遠く肥前国で流行りはじめているという、恐ろしい
それでも………。
それら全てを手放しても、叶うことなら、あのような、仲の良い家族として生まれたかった。
それだけで良かった。
(私は母刀自に温かく抱きしめられ、父上に愛され、母刀自は父上といる時でも、安心した笑顔を浮かべる。
それが私の望みだ。
それだけで良い。
兄上だって、あんなに私を疎ましがらなくたって良いではないか。
少なくとも、私は兄につっかかった事などない。
少しで良い。
兄が今より優しくなってくれたら……。)
加巴理の心に、ぽっかり空いた、穴がある。
(兄上が望めば、何もかも差し出さねばならぬなら。
……私は、何のために生きているのだろう?)
だが、まわりの
小さい山とはいえ、立派な山道。
急な勾配に、ふうっ、と息がもれ、初夏の風が、汗の浮いた額を撫でていく。
木の葉のそよぎが心地良い。
キョッ、キョッ、キョッ………。
ぴょお、ぴょお、ぴょお………。
山鳥が鳴く。
カカカッ、カカカッ………。
木を
こぶしの白い花が、緑の木々の合間に揺れていた。
三虎がぱっと藪を指差し、
「あっ、鹿いた!」
と言ったので、三虎の指さした方向を急いで見た。
たしかに、鹿の背中がぴょおん、と跳んで、ガザザ、と暗い森に消えた。
「いたな。」
三虎と顔をあわせ、ふふ、と笑った。
「弓持ってくれば良かったなぁ。」
三虎が両腕を頭の後ろに組んで言う。
「バカ言え。矢を
「ちぇ。」
いかにも残念だ、というように、三虎が鼻の下をこする。
すぐに頂上についた。
頂上からは、
広がる田畑。小さくなった人々。
遠くに流れる
碓氷山、子持山、
その美しさに言葉を失っていると、
「キンラーマァソ。」
私の隣に立った祖父が、低い声で語りはじめた。
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