第十一話  橘山 池のにほ鳥


 橘山たちばなやま 池のにほどり 


 ぐくもる 


 君を離れて 恋に死ぬべし





 橘山たちばなやま 池能尓保杼里いけのにほどり

 羽具久毛流はぐくもる

 伎美乎波奈礼弖きみをはなれて 孤悲尓之奴倍之こひにしぬべし




 橘山たちばなやまの池の水鳥のように、あなたは私をその羽で優しく包んでくれた。

 あなたから離れては、私は恋に死ぬだろう。




   *   *   *




 ひつじはじめの刻(午後1時)。



 うまやから走り出た大川と三虎は、広庭ひろにわで侵入した賊への対応をしていた八十敷やそしきに直接話をした。


 卯団うのだんを使うことは、あっさりと認められたが、酉団とりのだんも使わせてほしい、と言うと、八十敷やそしき躊躇ちゅうちょした。

 さすがに、動かす人数が多すぎると思ったのだろう。

 だが、その場にいた酉団長とりのだんちょう布多未ふたみが、


「大川さま。酉団とりのだん、好きに使ってください。父上、ここは、大川さまの望むままに。おのことして、そうするべきです。」


 と迷わず、涼やかな口調で言った。

 八十敷やそしきは微笑み、頷いた。


 大川は衛士を集め、


「どんな細かいことでも良いから、何か変わったこと、不審なことはなかったか。」


 と訊いた。

 北門の門番をしていた衛士えじ薩人さつひとが、


うまの刻(午前11時〜午後1時)、門を通った腐渣ふさ(この場合は野菜くずなどの炊屋かしきやからでる調理ごみ)買いが、見かけないおのこでした。」


 と言い、同じく衛士の川嶋かわしまが、


「そうか? 顔を布でおおっていて、目元しか見えなかったろう?」


 と言ったが、


「右目に大きい刀傷がありました。間違いありません。初めて見たおのこです。

 荷車に腐渣ふさが山と積まれていたので、人ひとり隠して運び出すのは容易たやすいと思います。

 荷車は北へ向かいました。」


 と冷静に言った。薩人さつひとは二十一歳。もう卯団衛士となって六年目。信用ができるおのこだった。


 大川と三虎、布多未、卯団うのだん酉団とりのだんの衛士、総勢三十五人は道を北にむかい、利根川を渡り、勢多郡せたのこほりに入った頃、道に打ち捨てられた腐渣ふさの荷馬車を見つけた。

 人の気配はなく、腐渣ふさは全て道の脇に捨てられ、からとなった荷馬車には、木の札がひとつ置かれていた。

 木の札には、墨で一言、


 北橘 赤土


 とだけしるしてあった。


「どういう事だ!」


 皆がざわざわとする。

 卯団大志うのだんのたいし荒弓あらゆみが、

比多米売ひたらめをさらって、ここで馬に乗り換えたのではないか?」


 と言い、衛士の老麻呂おゆまろが、


「なぜ、こんな手のこんだことをする? 上毛野君かみつけののきみの女官をさらうなんて、命を危険にさらす真似をして、さらに足跡をわざと残して、賊は何を考えている?」


 ともっともな疑問を言う。

 荒弓がため息をつき、


「罠かもな。しかし、我々は、これを手がかりに探すしかない。北橘は、ここはちょうど北橘郷きたたちばなのさとだ。赤土は……、誰か分かる者はいるか。」


 と訊いた。酉団衛士とりのだんえじ葉加西はかせが、


「赤土の小屋、という事かもしれません。わらを貯蔵する、郷人さとびとが作った粗末な小屋が、赤土で作られている事があります。」


 と言い、大川は、


「探す。赤土の小屋はどこにある!」


 と大きく、大人数のはじまで響く声で言った。

 二十一歳、山のような堂々とした体型の衛士となった葉加西はかせは、鼻ぺちゃの顔を曇らせた。


郷人さとびとに尋ねないとわかりません……。数がいくつあるか……。相当にあるでしょう。」


 そこからは、もう……。

 勢多郡せたのこほり北橘郷きたたちばなのさとの郷長の屋敷におしかけ、びっくり仰天の様子の、赤ら顔の郷長から赤土の小屋の在り処を訊き出し、手分けして、近くの小屋、遠くの小屋、片っ端からあたっていった。


 あっという間に日が暮れた。


 あっという間に深夜となった。


 郷長の屋敷は夜でもたきぎが焚かれることになり、さとは沢山の人馬が出入りを繰り返し、深夜でも明るい郷長さとおさの屋敷は異様な雰囲気となった。

 郷人さとびとはわらわらと郷長の屋敷の庭に見物に来た。


「ここではないのか……、くそっ!!」


 郷長の屋敷の居間で、衛士たちの報告を聞く大川が苛立った声をだす。

 深夜で鐘はならないので、はっきりとは分からないが、もうとらの刻(午前3〜5時)になるだろう。


 居間の床には、大きな木の板に、簡単な北橘郷きたたちばなのさとの地図が描かれていた。

 速攻で作らせたものだ。

 その地図のあちこちには、墨でバツが記されている。

 赤土の小屋、……全て確認を終えてしまった。

 比多米売ひたらめは見つからない。


 布多未ふたみが、


北橘郷きたたちばなのさとの赤土以外の小屋も、あたるぞ。今、ここに戻ってきている衛士、全員であたろう。オレも動く。皆、疲れているとは思うが、よろしく頼むぞ!」


 と張りのある声をだした。


「おう!」


 と皆がこたえ、布多未と荒弓が細かい指示をだし、皆、散った。

 衛士は皆いなくなったが、静かではない。

 庭では、なんの祭りのつもりか、集まった郷人に、


「あったまるからねえ。」


 と、干し柿とあわひえを煮た重湯おもゆおみなたちから配られて、

 郷のおのこたちは、


「ありがたいねえ。」

「さすが郷長さまだあ。」

「で、捜し物はいつ見つかるかねえ。」

「赤土の小屋なあ。」


 とわいわい喋り、郷のおみなたちは、


「見た? 居間に座ってる若さま。すっごい怖い顔してるけどさ……。」

「見た。あんな綺麗な顔したおのこいるんだねぇ。」

「あたしのつまがあの顔だったら……。」

「キャッ! あんた、バカだねぇ。そんなわけないじゃない、くすくす……。」

「あたし見てない!」

「見ときなぁ。あの顔見たら、一日二度の飯食うのだって忘れちまうよぉ。」


 とわちゃわちゃ笑いさざめく。


 そんななか、赤ら顔の郷長が、善良そうな一人のおのこを連れて、大川と三虎に遠慮がちに近づいてきた。


「あのう、この者がですね……、ちょっとお耳にいれたい事があると……。」


 三虎が、


「なんだ。」


 と言う。郷長に連れられた、痩せた三十代の郷の男は、ぺこぺこと頭を下げたあと、喋りだした。


癸卯みずのとうの年(763年、二年前)の凶作から使ってない小屋が、橘山たちばなやまの中腹にあるんです……。」


 三虎が口を挟む。


「赤土か。まだ探してない小屋か。」


 赤ら顔の郷長が、


「はい、赤土で、まだそこは探してないです。使ってないところでしたので……。」


 ともごもご言った。痩せたおのこが、


「うちの息子と娘が、その小屋に、最近よく馬が繋がれてる、なかに藁を運び込んでるようだ、と言ってたのを思い出して……。

 なんで使ってない小屋にわざわざ藁を運ぶんだ、馬なんて貴重なもの、ここらへんで使ってるヤツがいるわけないだろ、って笑って取り合わなかったんですが……。」


 大川がさっと口を開いた。


「橘山のどこか!」

「はい、西の中腹です。道は一本道で、迷いません。」

「三虎! 褒美をとらせろ!」

「はい!」


 三虎が懐から藍色の袋を取り出し、小粒の金塊を、ぱっと痩せた男にほうった。

 うけとった男は、


「く、くがね───!」


 と叫び、きゅう、と目をまわし倒れた。

 大川と三虎は、その様子に目もくれず、愛馬にむかう。



 


   *   *   *




 目をまわした善良そうなおのこ、なんと名前が久我泥くがねである。もちろんくがねなど手にした事はない。

 久我泥くがねはすぐ目を覚ました。


「お、久我泥くがね、ご褒美もらったなあ!」

久我泥くがねくがねを貰ったなぁ。」

「あ、ありがとう……。」


 郷人がわいわい言うので、久我泥くがねは細い声で、えへへ、と笑って返事した。


(え? これ、どういう豪遊ができちゃうの? え? 何して遊ぼう?

 え? 遊浮島うかれうきしま、いっちゃう? 行けちゃうの、これ───?!)


 と痩せぎすの彼がにまにましていると、


「めでたいなぁ、ありがてえなぁ。」

「じゃあご馳走だな! 久我泥くがねのおごりだな!」


 と郷人の誰かが言い、おーっと皆が盛り上がり、


「え?」


 と戸惑う久我泥くがねをよそに、赤ら顔の郷長が、


「よーっし! 米を奥から出してこい! 干した猪肉ゐのししも持ってこい! 浄酒きよさけもありったけ───、久我泥くがねのおごりだな。」


 と久我泥くがねの手から、さっと小さな金塊を奪い取った。


「ええええええ?!」


 久我泥くがねは目を丸くして悲鳴をあげたが、


「わーい! ご馳走だぁ!」

「ご馳走だぁ! 久我泥くがねのおごりだぁ!」

「めでたいなぁ、ありがたいなぁ。」


 と皆が盛り上がり、ばあーんと奥の扉が開け放たれ、この時間まで起きていた酔狂な人々の隅々まで、ご馳走と浄酒が行き渡った。

 久我泥くがねの夢は泡と消えたのである。


「そーんなーあ!!」


 郷長さとおさが、


「さすがに、これだけ飲み食いしても、使い切れんわ。あとで、白栲しろたえ四端よんたん、家に届けさせよう。おまえんとこ、四人家族だろ?

 それとも、鉄鍋のほうが良いか?」

白栲しろたえ四端よんたんで!」


 さっと返事をしたのは、いつの間に側にいたのであろう、久我泥くがねの妻である。

 久我泥くがねは破れた夢が口惜しく、情けない顔をしていたので、久我泥くがねの妻はくすくす笑った。


久我泥くがね、良かったじゃないか。

 あとで、新しい衣をこしらえられる。

 今日だって、手ぶらじゃない。

 ほら、でっかい猪肉ゐのししと、握り飯さ? 干し柿の重湯もつけて、家で寝てるあの子たちへ、お土産にしようよ? 朝、起きたら喜ぶよ。」


 と優しく言うので、朝起きた子供たちが、思わぬご馳走にどれだけ驚き、喜ぶか想像した久我泥くがねは、


(まあ、富を郷全体で分けたんだし、かわいい子供たちの笑顔が見れるんだから、悪くないか。)


 と思い、へにゃり、と笑うのだった。




 大川と三虎は、そんなやり取りは、当然知らない。

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