第十二話  羽ぐくもる 君を離れて

 あと少しでしらしらと夜が明ける。


「あそこだ!」


 遠くから声がし、馬に乗ったおのこが二人、こちらにまっすぐ駆けてくる。


 広河は赤土の小屋の外の扉にもたれかかり、腕を組んで、人馬が近づいてくるのを待った。

 十二月の明け方は底冷えする寒さ。

 鹿の軽裘けいきゅう(毛皮の軽い外套)を羽織ってはいるが、その下、上半身は葡萄色えびいろの内衣一枚では、やはり冷える。


 二人は埃にまみれ、夜通しあちこち駆けたのだろう、目の下にはっきりと隈が見えた。


(まあ、一睡もしていないのは、私も同じか……。)


「あ、兄上、ここに、比多米売ひたらめは……?」


 赤土の小屋の前、開けた野原に馬をすすめ、馬上から弟が血相を変えて問いただす。


「必死だな。」


 広河は鼻で笑い、


「遅かったじゃないか。もう少し早ければ良いさえずりを聞かせてやったものを。」


 言うやいなや、小屋の内に入り、内側から貫木くわんぬき(かんぬき)をかけた。

 もちろん、通常、小屋に内側から貫木くわんぬきなどない。

 事前に広河が設置させたものだ。




   *   *  *




 大川さまと三虎はすぐに馬を降り、三虎は馬を木につなぎ、大川さまは小屋の扉に駆け寄る。


「どういう事だ。兄上! ここを開けろ!」


 扉は開かない。

 三虎はさっとあたりに目を走らせ、小屋から少し離れて立つ伊可麻呂いかまろを見つけた。駆け、


「おい!」


 詰め寄り、伊可麻呂のはなだ色のえりを両手で掴んで、己に引き寄せた。

 ニヤニヤ笑って抵抗しなかった魚顔のおのこは、


「へっ。逃げねえから、ひっつくなよ。」


 と、ぱっと三虎の手を払い、一歩下がった。


「おまえらが遅いから、広河さまが賊に襲われた女官を助けなさったのだ。賊は逃げたがな。」


 と、顎を木立のほうにしゃくる。

 その先には、おのこの手首だけが草むらの上に転がっていた。


 三虎は、伊可麻呂を睨み、右手を腰に佩いた剣の柄にかけた。


───おまえの言うことは怪しい、事と次第によっては、力づくでも……。


 三虎がそう言おうとした時、扉が開かなかったのだろう、大川さまがこちらに駆け寄ってきた。

 大川さまは鋭く伊可麻呂に、


「女官は?」


 と問うた。伊可麻呂は大川さまに顔をむけ、


「まあ、そう慌てなさらず。そこの明かりとりから中が見えますぜ。」


 と嫌らしい笑みを浮かべた。

 大川さまと頷きあい、三虎は扉にまわり、体当たりをくらわせはじめる。

 大川さまは、明かり取りから中を覗くべく、走り、小屋の角を曲がり、三虎からは姿が見えなくなった。




   *   *   *




 大川は明り取りから小屋のなかが覗ける位置の、桑の木に登り始める。

 ひらりと登りきった。



 明り取りの狭い隙間から、おみなが一人藁の上に寝かされているのが上半身だけ見えた。

 髪は乱れに乱れ、身体にかけられたぼろぼろの桜色の衣から、むき出しの丸い肩が見えていた。

 身体の下には、葡萄色えびいろの衣を敷いている。


 間違い無い。比多米売ひたらめだ。


「比多米売、比多米売───っ!」


 大川は声を限りに名を呼んだ。

 明り取りの向こうに、兄上──広河が現れた。

 比多米売に覆いかぶさり、


(何を……!!)


 耳元に何かささやき、目を覚ました比多米売が微笑み、上半身をおこし、両腕を親しく兄上の首にからめ抱きついた。

 比多米売の裸の背中がつややかに見えた。




    *   *   *




 扉を破ろうとしていた三虎は、比多米売の名を呼んでいた大川さまが、突然絶叫したのを聞いて、慌てて大川さまのほうに走った。

 いままで聞いたことのない、身をよじるような咆哮だった。


(どうしたんだ……!)


 小屋の角で、こちらに走ってくる大川さまとかちあった。

 目が赤く歯をむきだし、獣のような唸り声をあげている。

 さっと三虎は道を譲る。

 大川さまは扉にむかい走り、扉に到着する前に中から広河さまが出てきた。


(ああッ!)


 三虎は目を丸くし、心底驚いた。

 大川さまが唸り声をあげながら、右手を振りかぶり、広河さまに駆け寄りざま左頬を思いっきり殴ったからだ。


「外道め、何をしたッ!」


 怒りに打ち震え、大川さまは吠えた。

 広河さまはよろけ、プッと血を口から吐いてから、


「あ……はッ! あははははッ!」


 大川さまを見据え笑いだした。


(とにかく止めねば……。)


 と一歩踏み出そうとした三虎の右腕を、いつの間にか側にいた伊可麻呂が引き止めた。

 真顔で、三虎を見て首を振る。

 すぐに右腕は離された。

 どう動くべきか判断しそびれて、三虎は伊可麻呂とともに上毛野君かみつけののきみの兄弟を見守る。


「はぁ───。」


 心底大笑いしていた広河さまが笑いおえた。


「賊に襲われていたのを助けてやった。

 女官は感謝にむせびながら自ら下紐したひもを解いたぞ。」

「嘘を言うなっ!」


 大川さまが一喝する。


「なぜだ?」


 広河さまが不思議そうに問う。


比多米売ひたらめは、私の……、私のいもとなるおみなだ!」

「なら譲れ。」


 間髪入れず広河さまが言う。

 大川さまが鼻白んで絶句する。身じろぎもせず広河さまを睨みつけたまま、ふたつ呼吸し、


「何を……、バカな……。」

「ずっと考えていた。父上は、兄のものを望むな、望まれたら全て差し出せ、とおまえにおっしゃっていたが、はて、私はおまえの持っている物なぞ、全部持っている……。

 ならばおまえの大切な、おまえの初めてのおみなを私はもらう事にしよう……。」

「ふざけるなあ───っ!!」


 大川さまが腹の底から叫ぶ。

 広河さまは薄笑いを浮かべ、


「まったく、桃をついばめと言ったのに、つるばみの実を選んでどうする? 言っておくが、女官自ら下紐を解いたのは真実だぞ?」

「う、わ、あ、あ、あ───!」


 大川さまが腰にいた剣をすらりと抜いた。


(いけない!)


 三虎は駆け寄ろうとするが、再び伊可麻呂に腕を掴まれる。


「離せ!」


 伊可麻呂が無言で首を振る。

 その額には冬の明け方なのに脂汗が浮いている。

 このおのこも、主の盾たりえるよう育てられているのだ。主に駆け寄りたい気持は二人とも同じだった。


(くそっ!)


「いけない、大川さま、斬っては駄目だ───!」


 三虎は叫ぶが、大川さまは剣をかまえ、じり、と広河さまににじり寄る。














↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330661249582335

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