第十話  黒髪敷きて 人のぬる

 広河さまが後ろ、小屋の出入り口にむかって、


伊可麻呂いかまろ。このむくろを片付けろ。汚れたわらも。」


 と言った。外から、


「はい。」


 とおのこの声がし、伊可麻呂が入って来た。ぴくりとも動かなくなった、右目に刀傷のあるおのこを、外にずるずると引きずっていく。


 広河さまがこちらに向き直った。

 しゃがみこみ、こちらの顎に手をあて、上をむかせた。

 比多米売はすすり泣くのをやめ、息を詰めた。


 大川さまの方が容貌が綺羅綺羅きらきらしいが、広河さまも堂々として、大豪族上毛野君かみつけののきみにふさわしい品のある顔立ちだった。


 伊可麻呂いかまろが再び入っていて、きびきびと血に濡れた藁を集め外に運び出した。


 無言で広河さまが手布を懐から出し、あたしの涙をぬぐい、顔の血飛沫を拭いてくれた。

 ……極上の白絹の手布。あたしが生まれてから一度も触れたことがない高価な布を惜しげなく血で汚しながら、ぐい、ぐい、と遠慮なく広河さまはあたしの顔をこすった。


 まじまじと広河さまがこちらの顔を見つめた。

 口に笑みをく。

 冷たい印象が拭えない笑みだった。


「私は大川と違う。私なら気にしない。おまえが気に入った。名は?」

「……比多米売ひたらめです。」

「比多米売。吾妹子あぎもこ(愛人)にしてやっても良い。」


 あたしはひたすら、戸惑う。


(聞き間違い……?)


 この人はただ、冷たく観察しているような目で、あたしを見てる。


 ───気に入った、と言いながら、

 ───見すぼらしいな。浮浪人ふろうにん(乞食)にほどこしをくれてやろうか……。


 と口にしているかのような口調と表情だった。

 けして、恋に浮かれたおのこの口調ではない。

 広河さまの真意がわからない。

 眉根をつめ、無言になっていると、広河さまが手布であたしの首を拭き、胸元を拭き、


「あっ……。」


 左手であたしの乳房を鷲掴わしづかみにした。




   *   *  *

 



(迷っているな……。)


 広河は血とおのこよだれに汚れたおみなを静かに見下ろしていた。

 おみなの目には、戸惑いと打算が……、狡猾奸佞こうかつかんねい(ずる賢く立ち回ること)な光が垣間見えた。


(ふうん……?)


 弟の好みは、こういうおみなだったか?

 まあ良い。


 ただ顔は……。


 広河は、内心、ため息をついた。

 見れないほどではないが、とくに目を引くほど美しくもない。

 大きい口。小さい目。ちょっと幼さを感じる顔立ち。それだけの娘だった。

 もちろん女官は基本美しい娘が選ばれるので、その基準は満たしている。


 ……まあ良い。


 肉付きの良い腰と豊満な胸は、充分魅力的だった。

 安産そうではないか。

 ずいぶん豊かな胸だが、触ったらどんなだろう?

 広河は血を拭いていた手を止め、娘の乳房を遠慮なく鷲掴みにした。


「あっ……。」


 娘が怯えた声を出す。

 広河は、くっ、くっ、と喉で笑って、左手を離した。


吾妹子あぎもことなるなら、足繁く通い、可愛がってやろう。

 子を産むまで。

 布でも玉でも、望みを言うが良い。」


 娘がごくりと唾を飲み込んだのがわかった。娘が震える唇で言葉を紡ぐ。


「ほ、本当に……?」

「本当だ。己で選べ。私と来るか、屋敷を追われるか……。私をとるなら。」

「と、とるなら……?」

「今ここで下紐したひもほどけ。」

「………!」


 娘の顔が凍りつき、こらえきれず細い泣き声が口からもれる。


「さあ。」


 泣くのにつきあって、無駄な時間を費やすつもりはない。


「さあ。」


 促すと、娘は涙を手で拭い、はあっと一つ大きく息を吸い、


私出挙しすいこが払えず、あたしの家族が下人げにんとなっております。

 お救い下さいましょうや?」


 とはっきりとした声で言った。

 広河は口の端で笑い、


「明日にでも。」


 と簡潔に答えた。

 娘はうつむき、低くすすり泣きながら、藁の上で立ち上がり、震える手で裳裾もすその下帯をとき、裳裾を下に落とし、ひらみ(腰下につける下着)の下紐を解いた。


 広河は己の上衣うわごろもを脱ぎ、藁の上に広げて敷いてやった。

 娘のぼろぼろになったほうをそっと脱がせ、裸となった娘を優しく葡萄えび色の上衣の上に寝かせてやった。

 広河が娘の上に覆いかぶさったので、カサリ、と音をたてて、娘の身体が藁に沈んだ。

 広河は緊張で強張こわばった娘の顔を上から見つめ、こう言った。


「おまえはもう私の物だ。

 子を産め。七日以上生きる子を。」





   *   *   *





 揺すり上げ、

 揺すり上げ、

 上から身を濡らし、

 下から身を濡らし、

 比多米売の蛙聲あせいは途絶える事がなく、

 広河は明け方近くまでさ寝を重ねた。


 揺すり上げ、

 揺すり上げ……。


 広河の普段の言動や表情は冷たいのに、

 さ寝はこれだけ繊細で、

 情を感じさせるのは、

 どうした事だろう……。




   *   *   *





「ふう〜。」


 赤土の小屋の前で、伊可麻呂いかまろらい(すき)で盛り土を叩いていた。


 側には、あの右目に傷のあるおのこの左手が断ち切られ、ぽとりと落ちている。


 もともと広河さまと示し合わせていたことだ。


「何でも申し付けてくだせぇ。お役に立ちますぜ。」


 と、上毛野君かみつけののきみの屋敷を出たところで声をかけてきたおのこ

 下卑た笑みを貼り付けた、ただの郷人さとびと

 まっとうに田畑を耕し、汗水たらして働いて生きてきたのではなく、人を恫喝どうかつするような事で生きてきた、そういうすさんだ雰囲気を漂わせた男。


 広河さまは取り合おうとしなかったが、こういう事に使うのは、うってつけのおのこだった。


 浄酒きよさけも、鉄鎌なども、報酬として、事前に豊富にくれてやった。

 今日までの命だとしても、十分楽しめただろう。


 生かしておくと、余計なことを喋る。

 むくろがあると、もしかしたら広河さまと立ち話をしていたところを、誰かが思い出すかもしれない。


 手だけ、ことのあかしにして、あとはどこぞに逃げたことにする。




「良し。」


 伊可麻呂いかまろは手布で額に浮いた汗をぬぐう。

 もともと穴は事前にオレが掘って、朽葉くちばや木の枝で隠していたのだから、埋めるだけ。

 終わった。


(それにしても……、いつもの事ながら、広河さまはねぇ……。)


 ずっとおみな蛙聲あせいが途切れない。今も、


「ああ。信じられない。」


 だの、


「そんなにされてはあ、とろけてしまいます。」


 だの聞こえてくる。

 どのおみなもそうだ。

 はじめは、こびをたっぷり含んだ普通の蛙聲あせいだが、すぐに驚愕のこえとなる。

 あとはもう、広河さま万歳ばんざい、だ。

 とても同じ真似はできない。



 広河さまが選ぶのは、いつもとびきりの佳人かほよきおみなだったが、一夜だけで放っておく、という事はなく、おみなが寂しくないよう足繁く通ってやるし、さ寝がなので、広河さまは良くモテた。

 顔は良いがおみなにそっけない大川よりよっぽど。

 と、伊可麻呂は思っている。


 随分前に、なぜそんなになのか訊いてみたことがある。

 広河さまはちょっと考えて、


「寂しいと……、可哀想だろ。」


 と薄く笑った。

 十七歳の広河さまには、まだ御子おこがいない。


(早く……、今度こそ、御子に恵まれると良いですね、広河さま!)


 夜通し聞かされる蛙聲あせいが健康な伊可麻呂にもこたえるので、なんとかしたいところだったが、いつ大川が来るとも知れないので、このままとし、あと少ししたら持参した瓢箪ひょうたんの水と、干したすももの蜂蜜漬けを広河さまに差し入れよう。


 おみなが気絶してしまう前に。

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