第九話  悪しかる咎持ち

 比多米売ひたらめは地面におろされ、麻袋から乱暴に出させられた。

 草の匂いがする。

 室内。

 昼なのに暗い。

 最低限の明かり取り(窓)しかない、赤い土壁の小屋のなかだった。

 わらが積まれている。

 わらの貯蔵のための小屋のようだ。

 ところどころ、赤土の床が見えている。

 藁はほどほどの貯蔵のようだ。


 眼の前にはおのこが一人。

 ここには自分とおのこ、二人しかいないようだった。


 藁の上で、両手足を縛られ、口を布で塞がれ、転がされている比多米売の隣りに、


「よっと。」


 と四十歳くらいのおのこが座った。

 おのこは酒くさく、右目に刀傷があり、右目は見えていないようだった。


 比多米売は、ずり、ずり、と這い、おのこから少しでも離れようとした。

 男はニヤリと下卑た笑いを浮かべ、藁を一掴つかみ拾って、ぽいっと比多米売に投げた。


(いや!)


 比多米売が男をきっ、とにらみつけながら、肩に当たった藁に過剰にビクッ、と身体を動かすのを見て、


「げっへっへ。」


 とおのこは右目の刀傷を歪め、おかしそうに笑った。


(遊ばれてる。こんないやしいおのこなんかに。悔しい。)


 比多米売の胃の腑が屈辱にかあっと燃える。


「ここまであっけなかったな。

 は、しばらく暇だぜ。教えてやろうか。日暮れまでだよ。何もしねえから安心しな。」

「………。」


 何のつもりよ、なんであたしをこんな目に! 許さない、今すぐ上毛野君かみつけののきみの屋敷にあたしを返して、大川さまに知れたらあんたなんか斬首よ───。


 たくさん言ってやりたい事はあったが、口をふさがれたままだし、下手におのこを刺激しないほうが良いのかもしれない。比多米売は口を閉じた。


「ああ暇。」


 おのこは腰に吊り下げた瓢箪ひょうたんから自分だけ水を飲んだ。


「少し話をしてやろうか。

 オレはこれで、良いえんをつなぐのさ。

 もっとぜにが稼げる。

 そう、オレは、こんなところで終るおのこじゃないのさ。

 オレは腕が立つ。自分の売り込みは、自分で動いていかないとな。

 げへへへ。」


 自分の売り込みは、自分で。

 そんな至極当然のことを偉そうに語って、バカなおのこ

 比多米売は、フンッ、と鼻をならしてやった。


 おのこは言いたいだけ言って満足したのだろう。すぐ小屋の外に出ていった。


 静かだ。

 小屋の明り取りから、さわさわと木の梢が風にそよぐ音がする。

 山鳥が、ぴいい、ぴいい、と啼く声がする。



 長い時間、そのままで過ごした。


 一度、右目に刀傷のあるおのこが小屋に戻り、


「おくそまれ。」


 と、外に連れ出され、水を飲まされ、握り飯を与えられた。

 ここは知らない山の小屋だった。


 


 小屋の明り取りから差す日差しが、西日になった頃。


 右目に刀傷のあるおのこがいらいらと小屋に戻ってきた。

 憎々しげに比多米売を見て、


「やっぱりおまえはいらないとよ!

 おまえ、どんなしかるとが持ち(悪い運命を持っている)だよ。

 とんだ手間とらせやがって……!」


 いきなりおのこがのしかかってきた。


(いやっ!)


「むううー!」


 ぞっとした比多米売は、縛られている口で叫んだ。


早稲わせにへす(稲の初穂を神に捧げる、この場合は生命を神に捧げる、殺すの意)前に、たっぷり白稲しろちね(白米)を喰ってやる。」


(いや! いや! こんな男なんかに……! 大川さまっ!)


 首をふり、叫び、縛られた両手足で暴れるが、裏葉うらは色の帯はしゅっと解かれて、ワラ草の上に帯が舞い落ちた。

 蘇比そび色の背子はいし(ベスト)はばりりと力まかせに破られた。

 桜色のほう(ブラウス)は、びい、びい、と何回も破られ、豊かな乳房が零れおちた。

 

「へえ! こいつは驚いた。でかいねえ。」


 と下衆げすおのこは笑い、あたしの自慢の胸にじゅうと吸い付いた。


(殺す。)


 純然たる殺意がわいた。


(あたしの自慢の乳房を。

 あたしの玉の肌を。

 よくも触ったな。

 あたしは、大川さまに愛されたのよ。おまえなんかが、指一本だって触って良い身体じゃないのよ。

 許さない。殺してやる。)


 まだどうやって殺すかわからない。

 方法はこれから探す。


 比多米売は真っ赤な怒りのなかで、さっと目をあちこちに走らせ、どうやったらこのおのこを殺せるか、懸命に探しはじめた。


「───げぐぅ。」


 突如とつじょ、比多米売にのしかかっていたおのこが、喉から変な声を出した。

 おのこの身体が硬直し、さぁっ……、と生温かい飛沫しぶきが一気に比多米売の顔にふりかかった。

 男の身体の中央から剣が生えていた。


(え……?)


 比多米売はわけがわからない。


 ───まさか、殺してやりたい、と願ったから、天から十拳剣とつかのつるぎが降ってきて、この下衆げすおのこの身体を貫いたのだろうか……?


 そのままそのおのこは左にどかされ、剣が抜け、血しぶきが吹き上がり、


(大川さま……?)


「屋敷に侵入したぞくを追って来た。助けに来てやったぞ。」


(……違う。)


 感情のこもらない、冷たい口調。

 血濡れた剣を持った若いおのこがこちらを見下ろしている。

 葡萄えび色の衣が、西日に照り映えている。


 上毛野君かみつけののきみの広河ひろかわさま。


 大川さまの兄上。


 上毛野君かみつけののきみの屋敷のあるじの長男が、剣を持ち、なぜか一人で比多米売ひたらめの眼の前に立っているのであった。


 比多米売は顔は知っているが、直接話をしたことは、もちろん、ない。


(大川さまに頼まれて、あたしを救いに……?)


 大豪族の母父おもちちを持つ広河さまは、百姓ひゃくせい出身の母刀自を持つ弟を毛嫌けぎらいし、めったに兄弟で口をきかない。

 女官達の噂話で知っている。


(大川さまの為に、あたしを救いに来てくれたんじゃなさそうだわ……。)


 何より、広河さまの、こちらをただ観察する目。その目に憐憫れんびんの情はない。


「動くな。」


 広河さまは冷ややかに言ったかと思うと、比多米売の首に剣を当てた。


(ひぃ……!)


 恐ろしくて、身体を固くすることしかできない。

 しゅっと音がして、剣が下から上へ滑らかに軽く動き、口の縛めがとけた。

 顔も首も、剣は触れていない。

 だが恐ろしくて、荒い息をつく事しかできない。


「腕もだせ。」


 ごろりと寝そべり、背中を広河さまにむけて、じっとする。

 剣が振り下ろされる微かな風を感じて、腕の縛めがとけた。


 比多米売は息を整え、広河さまの方をむき、


「ありがとうございました。」


 とやっと礼を述べる事ができた。


手籠てごめにされたか。」


 広河さまが平坦な声で聞いた。

 比多米売は、はっと顔をあげ、


「いえ……、いえ……! 違います! 決して……!」


 と言い募るが、下半身──裳裾もすそこそ無事なものの、上半身──ほうはびりびりに破られ、肌が

 ほとんど露わとなっている。


 このような姿でどれだけ信じてもらえるだろう。


 比多米売は下唇を噛み、肌を隠せぬほうをかきよせ、両腕で我が身を抱き、


「うっ、うう……。」


 泣き出した。


「まあ、本当に手籠めにされかけただけなのかもな。

 だがおまえに帰る場所はもう無い。

 賊に汚された女官なぞ、屋敷をほっぽり出されるだろう。

 とくに大川は……。」


 そこで広河さまは言葉を切り、ゆっくりげんを紡いだ。


「大川は潔癖だからな。

 他のおのこの手がついたおみななぞ、絶対側に置かないだろう。」


 比多米売はしゃくりあげながら、目の前が真っ暗になった。

 心のどこかで、何かがガラガラと音をたてて崩れ落ちた。

 比多米売は地面を見つめ、岩になった如く、動くことができない。





(これは……、何の悪い夢なのだろう?

 うまはじめの刻(午前11時)から今まで、眼の前で起きていることが、何もかも信じられない……。)

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