第五話  やはらたまくら

 ジジ……、と蝋燭ろうそくの火が揺れる。


 柔らかい影を落としながら、おみなのすこし丸い顔を照らしだす。

 たしかに、見慣れた女官より日焼けして、肌の肌理きめが荒かった。

 炎天下、畑仕事に汗を流して、今まで生活してきたのだろう。

 ほっそりした身体つきの女官が多いなか、目の前にいる女官は肩の肉付きが良く、胸やお尻も、力強く豊かだった。


「そう……、じゃあ、河原で石積みはした事あるの?」

「あるとも。」


(本当のことだ。見くびらないでもらおう……。)


 楽しかった夏の思い出に、大川の頬が緩む。


「田植えは?」

「田植えはないけど、耘耔うんし(雑草とり)はした事がある。」

「へえ……。」


 おみなの目が強く光る。

 気がつけばすぐ近くにおみなが立っていた。ぽってりと厚い唇で笑う。


「でも、山の上の歌垣うたがきは知らないでしょう?」

「………。」


 大川の顔から笑顔が消えた。


(知るわけがない。

 行った事があるわけがない。

 上野国大領かみつけのくにのたいりょうの息子であるこの私が。)


 歌垣とは……。さと男女だんじょが……。


牛田郷うしだのさとでは、十一月、秋の実りの祭りの夜、比多伐山ひたばやまの上、歌垣うたがきが開かれます。

 ご馳走で腹を満たし、浄酒きよさけで上機嫌になったおみな達が、こう歌うんです……。



 ぐさの  やは手枕たまくら  やはらかに  


 ねやなるや  霜結しもゆ檜葉ひば


 たれかは手折たおりし


 れる月夜つきよ




え草のように、あたしの手枕たまくらは柔らかい。

 あたしのねやの近くの、霜のおりた檜葉ひば手折たおったのは誰?

 明るい月夜に。)」


 おみなははっきりと歌い、にぃ、と婉然えんぜんたる微笑みを浮かべた。


「なッ……!」


(どういうつもりだ! その歌は、誘い歌ではないか……。)


 大川は眼の前でおみなが誘い歌を口にした衝撃に、すっかり混乱し、……顔が赤くなった。


(赤くなった顔を見られたくない。)


 混乱のなか、その事だけがハッキリ思いとしてあり、大川はうつむいた。

 しかし、大川より背が低いおみなは、ちょっとかがむようにして、下から大川の顔を見上げた。


(丸見えだ……。)


おみなから歌いかけられたら、おのこは歌い返さないといけません。

 どう返すと思います?」


 おみなは笑いながらささやいた。

 大川は戸惑いつつ、目をしばたたき、


霜露しもつゆに  衣手ころもでぬれて


 冬野ふゆの行き  齋檜葉手折ゆひばたおりし  


 照れる月夜や



霜露しもつゆに衣手をぬらしつつ、

 冬野を行き、神に捧げるような檜葉を手折りましたよ。

 明るい月夜に。)」


 と即座に返した。


(あ……、どうした事だ。これではまるで、私が、このおみなを恋うているようではないか。)


 戸惑いが深くなる。

 そんな大川をよそに、おみなが息を呑み、目を見張った。


「あの……。」


 と口元を手で抑えながら、頬を赤らめ、


「そんなすぐに歌を作れるおのこなんて、そうはいません。」


 と心から感心したように言った。

 大川は、なぜだかすごく誇らしく、胸が、ぐぅっ、とくすぐったくなり、ちょっと笑った。

 おみなも赤い頬のまま笑い、


「ちゃんと返す歌も決まってるんです。


 ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ


 れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや


 さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ


 いえくださむ。



(萎え草のように柔らかい胸の

 恋しいいも

 オレが霜のおりた檜葉を手折って来たのだよ。

 一夜でも共に寝てくれたら、その時は家に帰そう。

 それまでは帰してあげないよ。)」


「…………。」


 あまりの歌のなまめかしさに、大川はおみなの顔が直視できない。

 さっきから、息が苦しい。

 

「さあ、そのままを口にしてください。」

「で、できない。」


 大川は必死に頭を振る。


「いけません。おのこは歌を返す決まりです。」


 おみなが決然と言い、


「さあ、あとについて。ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ。」


 大川は天井を見る。


(…………。)


 何も考えられない。

 息が苦しいままで、頭が少し痺れている。

 何も考えられないのに、


 ……若やる胸。


 言葉につられて、一瞬、おみなの豊かな胸を見てしまった。

 すぐに視線を天井に戻し、大川は小さな声で、


ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ……。」

れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや。」


 おみなが間髪入れずに次を要求するので、大川は、耳まで赤くなってるのを感じながら、


れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや……。」


 と声を絞り出した。


(早く、この状況を終わらせたい。)


 大川は天井を見つめたまま、おみなの顔が見れないのに、おみなが光る目で私をひたと見据えているのを感じる。


 おみなは次の言葉をつむいだ。


「さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ

 いえくださむ。」



 ───一夜でも共に寝てくれたら、その時は家に帰そう。

 それまでは帰してあげないよ。



(そんなこと……!)


 大川はゴクリと唾を飲み込んだ。

 そんな事を口にするのは、あやまちだ。


「もう、もう……許して。お願い……。」


 ついに大川はおみなを見て、許しを乞うた。 


 許してなんて、母刀自ははとじや博士にしか言ったことはない。

 父上にはほとんど願い事もしてこなかったし、他の者は、大川に「許して」なんて言わせる事はしなかった。

 このおみなも、大川にここまで言わせれば、引き下がるだろう。


「いけません。さあ……、早く。」

「えッ!!」


 おみな婉然えんぜんと微笑んだまま、少しもひるんでないようだった。

 大川は目を見開き、戦慄した。


(信じられない。どういう事なの。)


 このおみなは、人ではなくて、宵闇から滑りだしてきた、幻のおみなではないのか……。

 どうやっても、あらがえないような気がした。

 大川は驚愕のうちに、ぼんやりと口を開いた。


「さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ

 いえくださむ……。」


 おみなは大川の手をとり、


「あたしは比多米売ひたらめといいます。」


 とわかやる胸に押し当てた。













 その後の事は良く覚えていない。

 ただ、比多米売ひたらめが、どのように若やるのか。

 柔らかい手枕たまくらが、どのように柔らかいのかを、初めて知った。














 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093084360321568

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