第十五話 おくそまれ
裏庭に、小高い山がある。
なだらかで、雑草が歩くに困らないほどに、程よく茂っている。
そこに今、
「よぅく来やがったなあ!」
と胸をはって叫んだのは、
くりんとした目、しっかりした顎、意思の強そうな太い眉である。
「オレだけ呼び出して、どういうつもりだ。ああん?
全部差し出す加巴理さまの腰飾りが!
ぎゃーはっは。」
大声で嘲笑した魚顔は、
布多未は体格が良く、背も高い。伊可麻呂と並んでも、背が追い越すほどであった。
布多未は、ぶん、と右腕を振り上げて言った。
「よくもオレの弟をのしてくれたな! オレと勝負だ!」
「はー、バカ言え、このバカ、
オレは、加巴理さまの兄、竹麻呂さまの
広瀬さまが、兄が望めば、弟はなんでも差し出せとおっしゃったんじゃないか。
オレが憎ったらしいお前の弟をのしたって、当然だろうがよ! ぎゃーはっは!」
「オレの方がおまえより強い! だからこれは、オレとおまえの純粋な勝負だ! 加巴理さまも、竹麻呂さまも、関係あるかよ、お
そう叫ぶなり、あざ笑い続ける魚顔に布多未は襲いかかった。
とことん笑ってやろうと思っていた伊可麻呂は、まさか本当に殴りかかってくるとは思わなかったようで、右頬に拳打を叩き込まれた。
「ぎゃ!」
布多未は草むらに倒れた伊可麻呂にすかさず馬乗りになったが、伊可麻呂も負けていない。ぽかぽか殴り合い、布多未の白藍(うすい藍色)の衣、腰のあたりを掴むと、えいやっと左に放った。
どう、と布多未が草むらに転がり、もうそのあとは二人で揉み合い、ぽかすか、ぽかすか───。
「そこまでですぞ。」
布多未は背中襟首をがしっと掴まれ、再び馬乗りになっていた伊可麻呂から引っ剥がされた。
振り返ると、
「一人で来いって言ったろ!」
草むらから起き上がった伊可麻呂を、土がついた顔でばっと睨みつけると、
「だから、バカな奴だと言うんだ。」
と魚顔はニヤリと笑った。
「謝罪させる。」
竹麻呂さまは、侮蔑のこもった目で布多未を見、冷たく言った。
「……!」
布多未は、きつく唇を噛み締めた。
血の味がした。
布多未は父である
八十敷は、
「まことに面目ござらぬ。ご容赦めされよ。これ
と竹麻呂に頭を下げ、伊可麻呂に頭を下げ、───
* * *
郷長の屋敷の門を出る時は、必ず、祖父と一緒か、そうでなければ、
二人とも穏やかで、人の良い笑顔の
その上で、夕餉の時間まで、好きに、たっぷり時間を使って、どこへでも歩いて行って良い、と言われた。
(そんな事を言われたのは初めてだ。)
加巴理は、驚き、胸がわくわくした。
博士は
それは、ここでは勉強はしない、という事だ。
(あれほど、毎日、勉強と武芸の稽古に励んできたのに?
学ぶ事が多すぎて、今まで、
さっそく、加巴理と三虎と郷長は、郷長の屋敷の外に出た。どんどん郷を歩く。
郷の者はすれ違うと挨拶をしてくる。時々、
郷を歩き、人々の生活を間近で見るのは新鮮で、見るもの全てに、ほおっ、と感嘆の声が出た。
郷長は、
午後は、三虎と弓を持ち、狩りをした。
山鳥を仕留めた三虎は、衛士の荒弓が鹿を仕留めたので、
「くっそー。オレだって鹿ぐらい仕留められる!」
と悔しがり、
「はっはぁ……! いっつもムッツリした顔してるし、生意気な
と荒弓に小突かれた。
おそらく、
そう思うと、おかしくて、加巴理は、ふふ、と笑ってしまう。
加巴理は
翌日。
なんと、一人の衛士に連れられ、
布多未を迎えいれ、衛士から事の次第を告げられた
「おまえって子は……! 父上にも恥をかかせて!!」
と布多未の耳をつかみ、屋敷内にそのまま引っ張っていき、お尻をださせ、ビシリ、ビシリ、とその尻を打った。
布多未は涙目になりながら、
「おう、加巴理さま!
……ぐっ。
弟よ。
……っ。
オレも遊ぶの、まぜてください。
……うぐっ。」
と笑顔で言うので、大物だ、と加巴理は素直に思った。
罰が終わり、衣を着直した布多未は、すっくと立って、
「母刀自。弟よ。オレは、け……、け……、けーそつだった。オレたちの誇り高い父上は、オレのせいで、
オレは、悔しい。
ごめんなさい。」
と、両手の指先を胸の前でつけ、膝を折り、礼の姿勢で、鎌売にむかい謝罪をし、向きをかえて三虎にも謝罪した。
* * *
三虎は思う。
(オレが、
だから、仇をとろうとしてくれた。)
三虎は、
対して、兄上──布多未は、二年前、七歳になるまで、
実の兄。
そうでありながら、一緒に暮らした時間が極端に、少ない。
姉である
なんとなくだ。
だが、三虎が六歳、布多未が七歳の時、
「これからは
加巴理さま、
と、母刀自が
布多未のとなりに立った日佐留売からは感じない、
(母刀自を独り占めしやがって。)
という、チクチクした視線を、三虎は布多未から感じた。
だからあんまり、布多未が好きではなかった。
でも、今は。
しっかりとした、布多未の、兄としての情を感じた。
「オレがやられたから……、だろ。」
三虎はそう言い、
「ありがとう。兄上。」
と、もそもそ言って、ぷい、とそっぽをむいた。
「ふっ。」
布多未は無言で、からっと明るく笑った。
加巴理さまがニヤッと笑って、
「みーとら。」
と、三虎の頭をガシガシ撫でてきた。
同い年の八歳のくせに、加巴理さまは時々、三虎の兄のように振る舞おうとする。
(頭ガシガシは恥ずかしいです。)
言えない。
三虎は、うう、とつぶやいた。
「加巴理さまも。ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。」
布多未は真顔で、加巴理さまにも謝罪をした。
加巴理さまは三虎の頭から手を離し、
「うん。」
と爽やかに笑い、
「八十敷のことはともかく、来てくれて嬉しい。一緒に遊ぼう。」
と花がほころぶように笑った。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085602099913
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