第十六話  蟹に挟まれまして

 翌日、加巴理と三虎、布多未ふたみと、衛士の荒弓あらゆみの四人で、小川でかにをとった。


「いってぇー!」


 三虎が蟹に指を挟まれ、蟹に逃げられた。

 そばの畦道あぜみちを通りかかった、郷の男童おのわらはが、それを見て、ぷっ、と笑った。


「なあんだ、えらいとこのカハリさまは、蟹とりが下手くそだなあ。」

「加巴理さまじゃない! オレは従者!」


 三虎がくってかかるように言うが、


「あん? そうか。どっちでも良いや。」


 年上で、鼻がぺちゃんと低い男童おのわらはは、何でもない、というふうに言った。

 ぞんざいに扱われる事は、加巴理の人生で今までなかった。


(ああ、楽だ。)


 男童おのわらはは、明るく笑って、小川に降りてきた。


「貸してみろ。」


 蟹をとるつぼを手にとると、川をすくい、


「んっ!」


 短い時間で、上手に蟹をとった。


「ほら。穫れたぞ。良かったな。」

「オレだって、これくらい穫れる!」


 三虎が男童おのわらはから蟹の入った壷を受け取りながら、むくれたように言った。

 男童おのわらはは三虎をしげしげと見て、可愛くねぇな、と言いたげに顔をしかめた。


「おう、ちょうどいい。遊んでくれよ。

 相撲、とろうぜ。

 オレは布多未ふたみ

 石上部君いそのかみべのきみの布多未。

 蟹に指を挟まれたのが、弟、三虎。

 そこの玉のような若さまが、加巴理さま。オレ達の主だ。」


 布多未が明るく笑って声をかけた。


「相撲か。良いぜ。

 後悔するなよ。

 オレはここらの男童おのわらはの中じゃ一番強いんだぜ。

 オレは土屋つちやの 葉加西はかせ。」


 葉加西はかせは自信たっぷりに笑った。


「はかせ……。」


 あまりに立派な名前に、布多未がきょとん、とした顔をした。


「母刀自が、ありがたい名前だってつけてくれたんだ。

 悪いかよ───っ!」


 どう見ても学がなさそうな、郷のわらはが、ムキィ、と叫んだ。


「そんなこと一言もいってない。言いたいことがあるなら……、ここに聞け!」


 布多未がおのれの胸をどんと叩き言った。


「おうよ……、相撲だ!」


 布多未と葉加西はかせは、ずんずんと道へむかった。


「博士はいないのに、ここには葉加西はかせがいた……。」


 と加巴理が思わず小声で呟いたら、三虎がぼんやりとこちらを見て、はっとした顔をし、


「加巴理さま! 冗談ですね! 面白いです!」


 と真面目くさった顔で言ったので、加巴理は恥ずかしくなった。


「……忘れろ。」


 ぽつっと言い捨て、布多未と葉加西はかせを追い、川のほとりから道にむかう。

 土の道に小枝で円をかいた二人は、がっぷり組み合い、どーん、と布多未がふっとばされた。


「はーい、勝負あり。」


 相撲を見ていた荒弓が宣言をする。


「ああっ、ちっくしょー!」


 円の外で尻もちをついた布多未が悔しがる。


「はっはっは。オレは十四歳だからな! おまえ、もっと年下だろ。」


 葉加西はかせは上機嫌に言った。

 加巴理はにっこりと笑いながら、


「見事な力士りきじだな。褒美を……。」


 と言った。


「ほーび。」


 葉加西はかせはこっちを見て、目を丸くした。


「相撲の勝ち負けで、いちいち何かモノをあげてたら、気軽に相撲遊びもできねえよ、えらい若さま!

 それよりさ。遊んでくれよ。

 あんたら、衛士や郷長さまを連れて歩いてるしさ、一緒に遊びたくても、なんか声かけにくい雰囲気なんだよ。みんな、そう言ってるぜ。」

「えっ。」


 今度は加巴理が目を丸くした。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷には、下人げにんが大勢いる。

 何か用事を申し付け、それが骨が折れる仕事だと、何か心付けを渡してやるのが普通だった。

 何か心映えの良い事をした下人や女官に、褒美を与えるのも普通のこと。


(違うのか。)


 びょーん、と跳ね上がるように、元気に起き上がった布多未が言う。


「おまえ、良い奴だな、葉加西はかせ! また明日も遊んでくれーっ!」

「いいぜ。明日は、大人数で遊ぼう。……木の実でもなんでも良いから、大人数でつまめるやつ、何か持ってこいよ。」


 へへ、と葉加西はかせは鼻の下をこすりながら、笑った。



 


 その日を境に、郷のわらはとも良く遊ぶようになった。

 釣りをしたり。

 暑い日には、小川でざぶん、と皆で泳いだり。

 河原で石を積んで、誰が一番高く積み上げられるか競ったり。

 郷長がいつもお団子を沢山持たせてくれたので、皆で食べた。


「木の実より上等だ!」

「うまい!」

「団子……。団子の加巴理さま。」

「団子の加巴理さま。」


 と良いのか悪いのかわからない名前を尊敬をこめて呼ばれるようになり、


「やめないか!」


 と三虎は怒り、


「はっはっは! 団子、旨いもんなあ!」


 と布多未は笑い、


「三虎、今は、いいよ。ここでは、それで。」


 と加巴理は、なんだか恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちで、三虎に伝えた。


「加巴理さまが良いならそれで!」


 三虎はきりりと返事をする。




 韓級郷からしなのさとで過ごす日々のなかで、布多未は葉加西はかせ頻繁ひんぱんに相撲をもちかけ、どーんとふっとばされていた。


「かーっ! 悔しいぜ!」


 と布多未は言うが、性根しょうねがからりとしていて、引きずらず、相撲が終ると、ころころと葉加西はかせにまとわりついて、おしゃべりを始める。


「強いなあ!」


 開けっぴろげに褒めるので、葉加西はかせもまんざらでない、というように笑う。

 郷のわらはも、うふふ、と笑う。

 三虎は加巴理にぴったりと張り付き、加巴理は穏やかに、喋りかけてくる郷のわらはと話をしたり、布多未と葉加西はかせが遊んでるのを笑いながら見ていたりした。


 ちなみに、加巴理も、三虎も、葉加西はかせにはあっさり、相撲で負けた。


 武芸の師、八十敷やそしき。稽古相手である三虎。

 時々、八十敷の連れてくる衛士や、布多未。

 それ以外に投げられたのは初めてだ、と土に尻もちをついて葉加西はかせを見上げたら、葉加西はかせと目があい、葉加西はかせはにこっと笑った。

 そして、すぐに、


「やあ、次。」


 と他の男童おのわらはと相撲をとりはじめた。

 葉加西はかせのその姿は、加巴理の年齢の男童おのわらはを負かすことは、ありふれた事だ、と物語っていた。


(負けたのに、なんだか楽しい。)


 三虎がこちらを気遣う視線をむけている。

 だが、この場では、皆、尻もちをついたら、自分で起き上がる。


(手助けは無用だ、三虎。自分で立てる。)


 加巴理は一人ですっくと立つ。

 加巴理の次に葉加西はかせと相撲をした男童おのわらはが、ぽーんと顔から土に顔をつけた。


「はーい。葉加西はかせの勝ち。」


 なぜか相撲の勝敗を宣言する役目が定着しつつある荒弓が、力の抜けた姿勢で笑い、明るく言う。

 男童おのわらはは、ぽん、と起き上がり、


「わっはっは。負けたなあ!」


 と負けたのに楽しそうに笑い、


「わっはっは。勝った。オレ、強え。」


 と葉加西はかせも大きな口を開けて笑う。

 勝った方も、負けた方も、楽しそう。


(私だけじゃないな。そう感じてるのは。)


 歳が近い男童おのわらはたちと遊ぶのは、こんなにも楽しい。

  

「オレともう一勝負だあ!」


 三虎が鼻息荒く、葉加西はかせに本日二度目の勝負をかける。












↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085660761194


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