第二十一話  萬年通寳は、ぜに

「あっ! やっちまった!」


 私と剣をあわせた時、三虎の剣が、ガチッ! と変な音を立て、中程で折れた。

 折れた剣の切っ先が勢い良く飛んで、遠くの土の地面に、ポトッと落ちた。

 三虎は慌てて、剣の断面を見た。


「バカめ!」


 八十敷やそしきがさっと飛んできて、三虎の頭を殴った。


「でぇ!」

「武器を送って、鉄不足のところに、何やってやがる!」


 できたばかりの出羽国ではのくに雄勝柵おかちのき(雄勝城)と、陸奥国みちのくのくに桃生柵もむのふのき(桃生城)。

 平城京から命令があり、上野国かみつけののくにを含む近隣の七国が、数多くの武器を備えとして送らされたのだ。


「ちっ。今日はこれまで。」


 八十敷が宣言し、加巴理かはりは、ふぅ、と軽く息を吐いた。


「うぅ。申し訳有りません……。お怪我はありませんか? 加巴理さま。」


 しおれた様子で、三虎はそう言い、折れた剣を下人の是迩ぜにに渡した。


「怪我はない。ふふ、しょげるな。

 三虎、良いものをやろう。」


 と私は、懐から取り出した金色のぜにを、ピン、と指で弾き飛ばした。


 くるくる……。


 小さな、親指の半分ほどの大きさの、青銅製のぜには、空中で金色の光を振りまきながら、まわり、三虎の胸に飛ぶ。


「!」


 驚いた三虎は、折れた剣を地面に落とし、なんとか両手で銭を受け止めた。


萬年通寳まんねんつうほう。父上の奈良土産だ。奈良では、そんな新しい銭が作られたそうだぞ。」


 教えてやると、三虎が、


「へぇ……。ぴかぴかだ。」


 と手のひらの萬年通寳まんねんつうほうつまみ上げ、しげしげと見た。

 色は、鈍い金色。丸い通貨、四角の穴。萬年通寳まんねんつうほう、と文字が浮き上がっている。

 三虎は裏返す。裏には、文字はない。


「その萬年通寳まんねんつうほう一枚で、今まで奈良で使えていた和同開珎わどうかいちん十枚の価値があるそうだぞ。」


 和同開珎わどうかいちんは、私が生まれる前から、奈良で流通している。古いものは、青サビの色になってしまうものもある。


「……げ。それって無理ありません?」


 三虎が顔をしかめ、


萬年通寳まんねんつうほうであれ、和同開珎わどうかいちんであれ、こんな小さくて軽い銭一枚より、たっぷりの米や、鉄と交換した方が、よっぽど良いだろうに。」


 と言った。


「そうだな。」


 苦笑しながら、相槌あいづちを打つ。

 私も、そう思う。


「こうやって、土産でいただくのは、珍しくて良いですね。ありがとうございます。」


 三虎が嬉しそうに口元をほころばせ、礼をとる。




    *   *   *




 兄は、二年前に大人の名を父上から頂戴した。

 今はもう、竹麻呂ではなく、広河ひろかわと名をあらためた。




 さるの刻(午後3〜5時)


 加巴理かはり、十歳。 広河ひろかわ、十二歳。




 兄と、納曽利なそりを練習する。

 雅楽ががくの、二人舞。

 十一月、上毛野君かみつけののきみの屋敷で催される新嘗祭にいなめさいで踊る為、一月ひとつき前である今から、練習をするのだ。


 兄のように、新嘗祭にいなめさいの前には、私も大人の名を頂戴できるはずだ。

 新嘗祭は、新しい名を持った私の、お披露目の意味もある。


 私が納曽利なそりを兄と新嘗祭で披露するのは、今年で三回目となる。

 練習は、難しいものではない。

 だが、……気詰まりだ。

 兄は、鞨鼓かっこ(太鼓)にあわせ、完璧に舞を踊りながら、なるべく私と目を合わせようとせず、練習の最初から最後まで、一言も喋らない。

 一緒に天を舞う龍を踊っているはずなのに、氷のつぶて降る冷たさのなかで呼吸しているようだった。


 練習が終わり、兄は雅楽の師に礼をとり、すぐ部屋を出ていった。


(今日こそは。)


 私は、簀子すのこ(廊下)を早足で追いかけた。三虎は後ろに付き従う。

 涼しく乾いた秋風が頬を撫でる。


「兄上!」


 思い切って声をかけると、従者である伊可麻呂いかまろが、ばっと振り返った。

 ついで、兄が不愉快そうに振り変える。

 伊可麻呂は兄の顔をすっと見て、従者らしく、簀子すのこの隅に控えた。


「私も、大人の名を頂戴します。

 ともに上野国かみつけののくにを守っていくのですから、もっと……、兄上と近しく話したい!」


 心を込めてそう言ったが、兄はけむたそうに顔をしかめた。

 

「言いたいことはそれだけか。」


 そう言って兄は簀子すのこを去ろうと背を向けた。


「兄上! 父上は、月に二回しか会いに来てくれません。私は、寂しい、と思いながら、それを父上に言えたことは、一度もありません。……兄上は、どうですか?」


 背中に強く声を投げかけた。

 私のところにも、兄上のところにも、父上が訪れるのは、月二回。

 女官達の噂話で、そのことは、互いに筒抜けだ。


 兄は立ち止まり、ゆっくりと振り返り、つぶやいた。


「……寂しい、と。」

「はい。」


 加巴理が答えると、兄の眼差しが揺れ、


「おまえも、私も……。」


 その続きは消えた。

 ただ黙って、兄は悲しげな顔で、静かにこちらを見た。


(そう……、私も兄も、父から愛されていない。不思議なくらい……。)


 初めて、血の繋がる兄と、わずかに心がかようのを感じた。

 私も兄も、身体の器に抱えきれないほどの悲しみを抱え、その悲しみがあふれて、つながった、───ように感じた。


 兄はすぐ目を伏せ、いつもの冷ややかな顔に戻り、


「たたら濃き日をや(良き日を)。」


 と背を向けてしまった。


「たたら濃き日をや。」


 加巴理は遠ざかる背をまっすぐ見守った。



 庭には撫子なでしこが秋風に花を揺らし、ハジモミヂの葉の先端が赤く色づこうとしている。

 どこかでヒタキ(尉鶲じょうびたき)が、


 ヒッ カカ……  ヒッ カカ……


 と高くく。



 兄が見えなくなってから、後ろで控えた三虎が、


「加巴理さま。ご立派です。」


 と静かに言った。


「ありがとう。」


 私は、緩やかに笑った。


(今は、これで良い。)


 すぐに関係を変えるのは無理だろう。うとまれているのは分かっている。

 だが、少しずつ、歩み寄っていければ良い。

 まだ私は十歳で、兄は十二歳なのだから。



 この先は長いのだから───。






 

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