第二十二話  納曽利 〜なそり〜

 少しは歩みよれたか、と思った兄上──広河ひろかわは、その後もよそよそしいままだった。

 納曽利なそりの練習で顔をあわせても、冷たい雰囲気をまとい、加巴理かはりが声をかけようとするのを拒絶しているかのようだった。


 加巴理かはりは無理はしない。


 ゆっくり歩みよれたら良い、と思いつつ、兄上との関係はそのままだ……。


 月日はあっという間に過ぎる。




 新嘗祭にいなめさいの前に、加巴理かはりは大人の名を、父上である広瀬ひろせからたまわった。






 加巴理かはりあらため、大川おおかわと言う。





 新嘗祭の夜が来る。





   *   *   *




 十一月。

 とりはじめの刻。(夕方5時)

 薄暮はくぼ



 上毛野君かみつけののきみの屋敷の庭は、普段より多い可我里火かがりび篝火かがりび)がたかれ、明るい。

 庭の中央には、大きな舞の舞台が木で組まれている。


 招かれた客が、六十人はいるだろうか。

 楽しそうな話し声が満ちている。

 祭りが始まるのを、今か今かと待っているのだ。

 ふるまわれる浄酒きよさけ、握り飯、川魚のアラ汁、猪肉ゐのししひしおを塗りつけ炙った香ばしい香りが、可我里火かがりびの煙の匂いと混ざりあい、あたりに漂う。



 舞台から東、貴賓席きひんせきが設けられている。

 柱と板で、広場より高い場所を作り、倚子と机が用意され、家人けにんがかしずく。

 その貴賓席の中央で。

 四十歳を過ぎ、青みがかったつるばみ色(黒)の衣を着た、少し肉のついた身体つきのおのこが、この屋敷の主人たる広瀬ひろせの前で礼をとっていた。


 広瀬は、従者に頷く。

 従者は心得て、小さな白い袋を、女官が捧げ持つぼんから手にとり、四十歳を過ぎたおのこに渡した。

 おのこが袋の口をそっと開くと、中からは綺羅綺羅きらきらと金の輝きがこぼれた。


「たしかに。ありがとうございます。

 して、お役目のすんだあとの馬は、手配いただきましたか……。」


 おのこの目は、どこを見ているのか、うつろな雰囲気を漂わせていた。

 おのこの質問に対して、大豪族だいごうぞく貫禄かんろくある笑みで、広瀬は答える。


「ああ、用意させた。南のうまやの栗毛馬をたまう。馬飼部うまかいべ(馬の世話をする下人げにん)に言うが良い。

 しかし、泊まっていかないのか?」


 袋を懐にしまいこんだ男は、どこか鬱々とした声で、


「馬と砂金、感謝申し上げます。

 しかし、ここに泊まっていく事はできません。これは、私のうらに出ている事なのです。私はここでうらをする運命。しかし、長居をしてはならないのです……。」


 広瀬は、せぬ、というように顔をしかめ、


「そなたのうらは外れないそうだが、まことか。」


 と言った。

 広瀬の隣りの倚子に座った意弥奈いやなが口を挟んだ。


「ええ、この卜部うらべ(占いをする者)、恐ろしいほどうらが当たるそうですわ!

 評判を聞きつけて、あたくしがわざわざ畿内きないから呼び寄せたのです。

 今からうらが楽しみよ。

 ねえ、おまえのうら、当たるのでしょう?」


 意弥奈が興奮気味に笑いながら言う。

 おのこは視線を下げ、礼の姿勢をとった。


「私のうらは、蔚藍天うつらんのてん(天の尊称)。必ず、当たります。故に、私は、私のうらに従うのみなのです……。」


 広瀬は少し、胡散臭うさんくさげな視線を投げかけたが、すぐに興味を失ったように、


「よく役目を果たせ。」


 と言い、手をぴっ、と払った。

 礼の姿勢をとったままだったおのこは、さらに深く膝をかがめてから、貴賓席をあとにした。

 貴賓席のきざはしを降り、遠くまで歩き、まわりに人気ひとけがなくなると、おのこは貴賓席を振り返り、夕暮れのなか、ぼんやりと独りごちた。


うらは、当たる。皆、気軽にうらを求めるが、まこと、恐ろしさを知らぬ。

 ふんっ、犢鼻たふさき(ふんどし)、 都夫礼石つぶれいし 佐我礼さがれ!(つぶれた石になりさがってしまえ)

 いったん、うらで天が道を示せば、私もおまえ達も、それに従うしか道はないというのに……。」


 おのこの、何かにみ疲れたような声は、薄闇の繁みに吸い込まれていった。





 

      *   *   *





 貴賓席では、宇都売うつめの後ろに控える女嬬にょじゅ鎌売かまめが、大川の後ろに控える、息子の三虎みとらを見て言った。


広河ひろかわさまと、大川おおかわさまが舞台で舞うあいだぐらいは、遊佚ゆういつしておいで。

 おまえもまだわらはなのだし……。」

「ゆーいつって何だ。」


 三虎はむっと不機嫌そうな顔で答えた。十歳なのに、愛らしさの欠片もない。


「楽び楽しむ、って事だよ! どうしておまえは、宴の時まで、そういう顔なんだい……。」


 と鎌売はため息をついた。


「オレは舞台袖で充分……。」


 と言いかけた三虎に、


「口答えしない!」


 鎌売は背をばんと叩き、言い渡す。

 大川は倚子から振り返り、


「はは……。納曽利なそりを良く見て、ゆーいつしておいで。」


 と柔らかく笑った。





   *   *   *





 パチパチと、可我里火かがりびの炎が爆ぜる。


 ぷぁぁぁん………。


 天から差す光のごとく、しょうが鳴る。


 ひょぉぉお……。


 光の空を闊達かったつに駆ける龍のごとく、龍笛りゅうてきが鳴る。

 舞台の上では、わらは二人が、だいだいの袖が膨らんだ錦繍綾羅きんしゅうりょうら(縫い取りの美しい贅沢な衣)に身を包み、みやびやかながくにあわせ、舞い踊る。


 納曽利なそり


 童舞わらはまいゆえ、仮面はない。童二人はともに美しい。

 背中合わせに、舞台を大きく使い円を描き。

 右膝を高くあげ、地におろし。

 右足のつま先が着地したと思ったら、とんと少し伸び上がり。

 大きく左足を左に踏み出す。

 左足に重心をのせ、深く沈み、龍が這うように、低い姿勢で左に移動する。

 舞台の中央で、くるりと真向かい。

 龍は遊ぶ。

 広河は右に大きく腕で半円を描き。

 大川は左に大きく腕で半円を描き。

 龍の尾が雲をちろりとめるように。

 踵を小さく踏み出し。

 床を摺り足でなぞり。

 膝から深く沈み。

 空へ跳躍する。


 舞の動きは、全て優雅ですべるよう。

 だが、二人並ぶうち、人々の目はどうしても大川に吸い寄せられる。

 大川、その顔、並ぶものなき清らかさ。

 返す手、静かに踏み込まれる足、まっすぐな背。瑠璃るりの如く澄んだ切れ長の瞳。

 その全てが光彩陸離こうさいりくり(光が入り乱れてまばゆいほどに美しい様子)たる華やぎを生む。


「ほぅ……。」


 と人々は感嘆かんたんのため息をつき、大川さまは十歳でこれなら、成長したらさぞや、とささやきあった。



 三虎は、見物する人達にまぎれて、納曽利なそりを見ていた。


 手には、土師器はじきわんと、木のさじ

 家人けにんに振る舞われる、川魚かわなのアラ汁だ。

 川魚と一緒に、山菜ときのこ、ごぼうを煮込み、塩気を良くきかせ、ほのかにひる(にんにく)の香りづけがしてある。


 納曽利が終わった。


 人々が、嬉しそうに手を叩き、口々に、良き舞いだった、美しいわらは達よ、と褒めそやした。


 人々の喝采に満足しつつ、三虎が魚のアラ汁をすすっていると、後ろから頭をバシリと叩く者があった。

 魚顔の伊可麻呂いかまろだ。

 伊可麻呂はニヤニヤと笑いながら、三虎の手の土師器の椀を指さした。

 三虎は苦い顔をしながら、木の匙をつっこんだままの土師器の椀を、黙って差し出す。

 それを受け取った伊可麻呂は笑いながら人波にまぎれてゆく。

 三虎は憎々しげに舌打ちし、伊可麻呂を見送ったあと、すぐに無表情になり、貴賓席に足をむけた。




 頃刻けいこく。(しばらくして)


亀卜きぼくだぞ!」


 わあっ、と、舞台と貴賓席の、ちょうど中間の広場から声があがった。






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