第十八話  啾々哭泣 〜しゅうしゅうこっきゅう〜

啾々しゅうしゅう……小声ですすり泣く。

哭泣こっきゅう……ここでは、死者をいたみ泣く、の意。




    *   *   *




 丙午ひのえうまの年。(766年)


 大川、十六歳。


 十月。


 巳三つの刻(午前10時)



「は……、墓を見るまでは信じぬ。」


 桔梗色の衣を埃にまみれさせ、朝からずっと馬を駆り、疲労の滲んだ顔で、大川おおかわは言った。

 石上部君八十敷いそのかみべのきみのやそしきが、こちらです、と、上毛野君かみつけののきみの屋敷のうしとら(北東)の裏庭、小高い山へ、大川を案内した。


 上毛野君かみつけののきみの大川おおかわの兄、広河ひろかわが、黄泉にくだった。


 十八歳だった。

 えやみだという。

 まず、母刀自の意弥奈いやなが黄泉に渡り、広河ひろかわも突如倒れ、それに心を乱した吾妹子あぎもこ(愛人)の比多米売ひたらめが急に産気づき、おのこ緑兒みどりこ(赤ちゃん)は産まれた。


 出産後、比多米売ひたらめえやみにかかり、緑兒みどりこを産んでから五日で黄泉に渡った。

 それに一日遅れて、広河は黄泉に渡ったという。


 ずっと高熱にうかされ、産まれた我が子を一度も腕に抱くことなく。


 緑兒みどりこが産まれて六日で死んだ。


 奈良に、危篤の早馬を向かわせたが、上野国から奈良まで、早馬でも片道十四日はかかる。

 重量のある調ちょう(平城京におさめる税金がわりの品物)を運ぶ旅なら、二十九日はかかる道のりなのだ。

 危篤を知り、奈良からすぐさま駆けつけたが、


「もう……、二十六日前に、黄泉にくだった……?」


 いや、わかっている。

 途中の宿で、もう黄泉にくだったと人から聞いた。

 しかし、信じられない。


「こちらです。」


 八十敷やそしきが、小高い山の中腹、陽光の良くあたる斜面の、墓の一角に案内してくれた。

 新しい盛り土と、大きな丸い石が置いてある。


「何か……、兄は……言っていたのか? 最後に……。」

「はい、転ぶぞ、比多米売ひたらめ、と……。それだけ。」


 私は、すこし間をおいて、


「一人にしてくれ。」


 と言った。

 八十敷と三虎は離れる。

 十月の末の、寒い日だった。

 ひょう、と風が吹き、ちらちらと白い雪が降り始めた。


(なんだそれは……。)


 なにが、転ぶぞ、比多米売、だ……。

 私が奈良へ発つ朝、兄は姿を見せなかった。

 だから、十二月の橘山たちばなやまの朝が、兄と会った最後になる。


「他のおみなまでは望まない。安心しろ。このおみないもだと言うのなら、今生こんじょうの縁はなかったものと諦めろ。」


 あれが直接、かけられた最後の言葉だ。


(なんだ、それは……。)


 やはり、墓を見ても、まだ信じられぬ。



   *   *   *




 墓の前でうつむいて、ずっと長いこと、大川さまは一人で啾々しゅうしゅうと泣いていた。


 離れて見守る三虎は、無言でじっと大川さまを見つめた。

 それ以外、何ができるだろう……。


 大川さまは微動だにしなかったが、突然、膝から崩れ落ち、うめきながら、頭を雪の地面に叩きつけはじめた。


「なぜ死んだ!」


 地の底から轟くような叫び声をあげた。


「お、大川さま……!」


 三虎は慌てて駆け寄り、大川さまを抱き起こす。

 大川さまの目の輝きかたが……異様だ。

 凄みのある笑みを浮かべ、


「三虎。私は……、変なんだ。

 どうしてしまったんだろう。

 兄が死んで、自分で殺さずにすんで良かったと思っている。

 いや違う。

 自分の手で殺したかった、と思っている。

 いや違う。

 私は今にも……、この土を掘り起こして、もう死んだ兄の顔をたしかめ、その身体に剣を突き立てたいとさえ願っている。

 いや違う、違う。

 私は兄の死を悲しんでいるはずだ。

 けして仲の良い兄弟ではなかったが、同じ上毛野君かみつけののきみの血を分けているのだ。

 兄は兄のやり方で、私は私のやり方で、上野国かみつけののくにを支え、守り……。」


 突如、叫んだ。


「私は私なりに兄を愛していたはずだ!

 私と兄には、同じ悲しみがあった!

 なぜ死んだ!!」


 うわあぁ……、と叫び、三虎に両肩を掴まれながら、大川さまは頭をふり、哭泣こっきゅうした。


「私は母刀自に人に優しくせよと教えられ、御祖みおやには、この地の安寧を生きている限り守るとうけひした!

 上毛野君かみつけののきみおのことしてふさわしくあるよう、努力もしてきた。

 なのになぜ、実の兄が死んでも、なおも殺したいと願っているのだ、私は!

 私は、どうしてしまったんだ……。

 私は、私は……。」


 と呟きながら、大川さまがガタガタと震えだした。

 目の焦点があっていない。

 まずい!

 うらぶれしかかっている!


「しっかりしろ!」


 三虎は青ざめ、大川さまの肩を強く揺さぶる。


「しっかりするんだ!」


 返事はない。


「大川さま!」


 叫び、その身を強く抱きしめる。

 桔梗色の衣のおのこは、胡桃色くるみいろの衣のおのこに、しっかと抱きしめられる。


うらぶれるな、うらぶれるな、魂よ、大川さまから出ていくな……。)


 何か、魂を引き戻すような強い言葉をかけねば。


「良く聞け! 緑兒みどりこは生きてる。広河さまの御子おこだ! 七日すぎても生きてる。今も生きてるんだぞ。会いたくないのか?!」


 腕のなかの大川さまがピクリと動いた。


「兄と……。」

「そうだ! 広河さまと比多米売の御子おこだ!」


 三虎に抱きすくめられながら、大川さまが大きく息を吸った。




   *   *   *



 比多米売。


 今から二十日前、今思えば、比多米売が黄泉渡りした日。

 まだ早馬は届かず、それを知らなかった大川の、夢枕に、比多米売は立った。


 白いもやのなか、

 美しく髪を結い上げ、きらびやかな衣を纏った比多米売は、女官姿ではなかった。

 小さく愛らしい目。日焼けした肌。大きめな口、ぽってりした赤い唇。

 遠くから、笑顔を浮かべ、何事かを言っているが、聞こえない。


「比多米売! 会えたら、訊きたい事があったんだ。

 教えてくれるだけで良い。

 なぜ、私を選ばず、兄を選んだんだ……。」


 比多米売はちょっと困った顔になり、悲しそうに首をふるだけだった。

 だがすぐまた笑顔になり、右を指差しながら、何事かを伝えようと、懸命に喋りかけてくる。

 しかし声はまったく聞こえてこない。


「右を見ろ?」


 と大川が右を見ると、比多米売が……。


 ───けっ、違うわ。なんでわからないのかしら?


 という顔をした。

 大川は、ひぃ、と思った。

 比多米売は表情豊かなおみなだった。

 比多米売がまだ右を指差すので、


「……西?」


 と問うと、笑顔で、うんうん、と頷いた。

 そしてさらに、満開の笑顔になり、礼の姿勢をとった。


 ───よろしくお願いします。


 と、言葉ではなく、気持の波のような、心から心へ直接届く気持ちのようなものが、こちらに伝わってきて……。


 夢は醒めた。



 あれはきっと、本当に、比多米売だったのではないか。

 残された緑兒みどりこをよろしくお願いします、と伝えにきたのではなかったか……。



   *   *   *



 大川は、とんとん、と己を抱きしめる三虎の、胡桃色の衣の腕を叩いた。

 三虎は身を離し、こちらの顔を慎重に覗き込んできた。


「今、どこに?」


 私が問うと、三虎はひとつ頷き、


けがれが濃すぎるから、ここを離れて、日佐留売ひさるめ碓氷郡うすいのこほり秋間郷あきまのさとで育ててる。」


 三虎は背に背負った麑囊げいなう(こじかの皮で作った、白い革のかばん)を下ろしつつ、言った。


「会うか? 雪が降ってる。会うなら、すぐ出発する。」

「……会う。」

「ならこれを食え!」


 いつの間にか麑囊げいなうから取り出した握り飯を、有無を言わさず口に押し込まれた。


「!」


 塩握り飯だった。

 奥歯で噛むと、ほろりと栗が歯にあたり、甘かった。


(今朝、三虎一人を先触さきぶれとして上毛野君かみつけののきみの屋敷に先行させたが、炊屋かしきやに寄って、短い時間で握り飯を作らせたのか……。

 栗を中に仕込んで、食べた時驚かせるあたり、三虎の細かさだな……。)


 大川は大人しく咀嚼そしゃくする。


「とにかく食え。落馬して死ぬぞ。」


 と言いながら、三虎も柏葉につつんだ塩握り飯をガツガツ口に入れはじめた。

 その食べ方があまりにがっついているので、


「ふ……。」


 くしゃりと泣き笑いをしてしまう。


「!」


 今度は水の入った瓢箪ひょうたんを無理矢理口にくわえさせられた。


「飲め!」


 ちょっと、やりすぎではなかろうか。









↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662127178748

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