第十七話 恋者花耳 〜れんじゃくゎじ〜
さのかたは実にならなくても……あなたと結ばれることがなくても、
花だけは咲き開いて、あたしに見せてください。
恋のなぐさめに。
万葉集 作者不詳
* * *
外に降りしきる、
大川は言葉がでず、
(
瞬きした
「あ……。」
と口を開いた。
「どうした。」
見られたくないところを見られた。
大川はさっと袖で涙をぬぐい、
「あの、火鉢の替えを……、入ります。」
「火鉢なら、替えなくても、
事実だった。
日佐留売は顔をふせ、
「雪の日は、冷えますので……。」
と火鉢を置き、そのまま、つっと立った。
まっすぐ、こちらを見る。
* * *
大川さまの涙を見てしまった。
いつも遠くから見ている時にも、その秀麗さにクラクラするほどなのに、今、
(こんなに傷ついて……!)
あたしなら、何を言われても、広河さまに
そもそも、大川さまを傷つけるような形でさ寝を誘ったりしない。
あたしは、
「十四歳になったら、
堂々とし、けして女官達から舐められてはなりません。
広瀬さま、
……
そう、聞かされて育てられた。
顔も見たことがない、美しい加巴理さま。
一緒に秋間郷で暮らしていた弟、
八歳のあたしは、悔しくて、
「あたしも、加巴理さまを一目見とうございます。いつも、忠義をつくせ、玉のような
と母刀自に直談判した。
そして、布多未が加巴理さまに挨拶にあがったときに、一緒にお目通りさせてもらったのだ。
六歳の加巴理さまは、聡明そうで、美しく、目の光が澄んでいた。
本当に、玉のような清らかな
あたしはあまりの美貌に驚き、なんとか自分の名前だけ名のり、それ以上、何も会話はできなかった。
……あの日から、ずっと、加巴理さま───大川さまの面影を忘れたことはない。
十四歳で
あたしは、いつも、遠くから見ているだけで、胸が熱くなって、
(お慕いしています。)
と心のうちで思うだけで、満足してしまっていた。
そんな自分をあたしは今日、恥じた。
もっと早く、勇気を出すべきだったのだわ……!
「大川さま、ずっと、ずっと前から、お慕いしておりました。
明後日、奈良へ発たれてしまう前に、どうか私を……、私をさ
その後は忘れてくださっても良い。
でも今宵、今宵だけは……。」
あたしは両手を胸の前で握りしめ、目を潤ませ、一気に言い切った。
* * *
大川は、目を見開いたまま声も出ない。
おとなしい女官だと思っていた。
……どうするか。
大川の身体の内側で、ぐずり、と真っ黒で凶暴な怒りが、身動きした。
今朝、兄上の顔を殴った。
山橘の活けてあった
父上に殴られ、憎しみの言葉をぶつけた。
それでも足りぬ。
まだ足りぬ……、と。
殴れ。
剣を突き立てろ。
壊してしまえ……、と。
身体の内側の真っ黒なものが叫び続けている。
(今も私を苦しめている、この身を焼くような怒りを、日佐留売にぶつけて、思い切り声をあげさせるのも楽しいかもしれない。
私は優しくできないだろう。
娘は悲鳴をあげ、苦悶の表情を浮かべるだろう。
怖い思いをし、もう許して、と泣くかもしれない。
それでも私はやめないだろう。
この娘を恋うているわけではないのだから。
この怒りをぶつけて、ぶつけて、桃の薄皮を
大川は暗い衝動を自覚しながら、ゆっくりと娘の頬に触れた。
その頬は、震えていた。
(!)
目はまっすぐこちらを見、口はきっと引き結び、強い意思を目に浮かべながらも、その頬は、ぱっと見分からないほど、細かく小刻みに震えていた。
(私はなんて事をしようと……!)
大川は、ぱっと手を引っ込め、爪が食い込むほど握りしめた。
(日佐留売は、三虎の姉だ。乱暴に扱って良いわけがない。
いや、そもそも、
いつもの優しい私はどこに行ったのだ。
そんな最低な
「お、大川さま……?」
日佐留売が恐る恐る名を呼んだ。
大川は一つ頭をふると、思い詰めた顔の日佐留売になんとか笑いかけた。
「日佐留売。目を閉じて。動いてはいけないよ。」
「はい。」
日佐留売はすぐ、ぎゅっと目をつぶった。
大川は
日佐留売の前に戻る。
日佐留売は、すっきり弧を描いた眉、可愛らしい唇、優しげで、美しい
今、力をいれて目をつぶって、きゅうっとなっている表情も、愛らしいものだった。
(あまり三虎と似てないな。)
大川は苦笑する。
そして静かに、
金の感触が冷たく、驚いたのだろう。
「あ……!」
目を閉じたままの日佐留売が声をもらす。
「もういいよ。」
大川は日佐留売のすぐ前に立ち、優しく微笑みかけた。
目を開けた日佐留売と、見つめ合う。
でも、何もしない。
手はだらりと下げて、触れようとしない。
「大川さま……。」
大川の目を見て、意思を理解した日佐留売が、みるみる涙ぐんだ。
大川は日佐留売の右手をとり、
「美しい日佐留売。
気持ちは嬉しい。だが日佐留売は鎌売の娘で、三虎の姉上だ。とくに三虎は、私の無二の友だ。その姉上を、傷つけるようなことは私はできない。」
「…………。」
「その簪はあげる。好きにして良い。日佐留売、他の誰かと、幸せにおなり。」
手をそっと離した。
「うっ……。」
日佐留売は右手に
その目からは、
(すまない……。)
ひとり忍んできて、震えていた娘。
そう……、雪のように真っ白に清い娘なら、たとえ恋いしい
あれが普通なのだ……。と思い、
「くッ……。」
胸が震える。
(
それでも。
一昨日、震えながら、もう許して、お願い、と私は言わなかったか。
そんなこと、しないで、と私は言わなかったか。
「くぁ……!」
涙があふれ、こんなこと思わせた
「ぐッ……。」
そばの柱を左の拳で強く殴った。
(酷い八つ当たりをしている。
こんなの八つ当たりだ。
こんな自分が何より嫌いだ。)
胸の震えが止まらない。
柱にもたれかかって泣いた。
「うぁ……、うああああ…………! ああああ………!」
もう嫌だ。
もう……、何も考えたくはない。
↓挿し絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662070756700
* * *
【補足説明】
日佐留売が、「さ一夜のみ
日佐留売は常識とは違うことを言っています。
「今宵だけ、あたしをたった一人の運命の女として扱ってください。」と、大川に懇願しています。
ちなみに、「さ
●「あらたまの恋 ぬばたまの夢」
を読了済みの読者さまへ。
「あれあれ、あのシーン、どこだったけかな?」
第五章 「金のかんざし」
第一話 恋者邐倚 〜れんじゃりい〜
https://kakuyomu.jp/works/16817330650489219115/episodes/16817330650926467122
ここですよ〜。
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