第五章 金のかんざし
第一話 恋者邐倚 〜れんじゃりい〜
* * *
(この時間では無理もないわね。)
日佐留売の息子、同じく五歳の
(浄足は、静かに良い子にしてられる。母刀自として助かるわね。)
浄足から舞台へ、
歓声の中、弟、三虎が
(やるじゃないの……。)
立派な
姉として鼻が高い。
しかし論語とは。
正直何を言ってるかさっぱりだ。
まあ、大川さまや、賓客たちにはわかっているのだろうけど。
衛士や女官たちには、わからないはずだ。
かっこよければ良いのだろうか。
聴衆はやぁやぁ
と、一番盛り上がっている、三虎の
手をたたき、飛び跳ね、思い思いに体を動かしている衛士たちのなかで、一人うつむき、静かにしてる人がいる。
弟の唱和が終わり、見事な矢の腕前を披露し、いっそう皆が盛り上がるなか、その人影は一人皆の輪を抜けた。
(あ……! なんて
あれは古志加ね。わかったんだわ。
どうしよう。
今すぐ
でも、三虎にあらかじめ、古志加を七夕に女官として使いたいと言ったら、その日は
警邏は朝まで続くはず。
(可哀想に、今、すごく傷ついているはずだわ。
短い間、あたしの部屋で泣かせてあげるくらいはしてもいいでしょう。)
「
卯団の
とそばにいた福益売に言い含め、
「さ……、
と浄足に声を優しくかけ、
「うん、皆さま、おやすみなさい……。」
と眠そうに言う、可愛い浄足の声をききながら、
* * *
自分の髪には
髪に挿したのは、あの方の手によって、一度きり。
あの雪の夜。
あたしの想いは届かなかったけど、あの方は、あたしの手を取って、あたしの顔を見て、
「美しい日佐留売。」
と言ってくれた。
あの一瞬だけは、あの方の時間はあたしのものだった。
一枚の美しい絵のように、あの一瞬が
それで、充分だ。
あたしは一人こうやって無言で、この金の簪を手に取り、見つめた。
それで、充分だった。
───自分が恋うていなくても、むこうが恋うてくれているのなら。
「一生、あなただけだ。あなたは完璧だ。美しい……。
大事にします、オレの
月光を一身に浴び、うっとりした笑顔で、あたしにそう言ってくれた。
その
(ああこれは、これで良いのだわ……。)
そう思っていた。
けれど、驚くようなめぐり合わせで、
その時は、夜寝るわけではなく、昼餉と夕餉のあいだだけ、
浄足も上毛野君の屋敷に置いてきた。
難隠人さまだけ置いてくるのは、気が引けたからだ。
人払いし、問い詰めたら、すぐに吐いた。
「オレは
と
本当に地面がかしいで、穴が空いて、黄泉まで吸い込まれていきそうに感じた。
あたしも泣き、なじり、わめき、
「オレに愛想をつかさないでくれ、出て行かないでくれ、オレを捨てないでくれ……!
恋うている
「ならなぜ! なぜ
「お前は、お前は……。」
「完璧だから……。」
と苦しそうに笑った。
あたしは
わけがわからない。
あたしの何が完璧なの?
完璧の、何が悪いの?
それがなぜ、
寂しかったから、そう言われたほうがまだ納得がいった。
さみしい思いをさせた自覚はあった。
たしかに、
でも、父上は
あほの
「吾妹子を作りたいと思わないんですか?」
と父上に訊いたことがあった。
「そんなことしたら、母刀自が遠くに逃げていっちゃうだろ。
自分が失ってはいけない
その一人を、見極めるんだぞ。
と父上は、照れつつ、幸せそうに笑っていた。
だからあたしも、自分の
「一生、あなただけだ。」
浄嶋のその言葉に、安心しきっていた。
母刀自が、むこうが恋うてくれているのなら、と言った意味がわかった。
恋われてもいない妻は、何人、
「どんな
ただ、なにか問題を起こしたり、あたしに楯突くような生意気な
火をつけてやる!」
涙をぼろぼろ
「そ、そんな
こうなった以上、
あたしが取れる行動は二つだけ。
あたしは己の胸に問いかける。
(あたしは、あたしは、どうしたい……?)
すると、
───この目の前で、恋うている
とつぶやく小さな声が、胸のうちから聞こえた。
───捨てないでくれ、などと口にするなんて、情けない。
あたしがついててあげないといけない人……。
(ならば与えよう、あたしを。)
あたしは、目の前の
「あっ、痛い!」
と
あたしは浄嶋にむかって一歩踏み出し、
「
とささやき、両頬に手を添え、一息に唇を重ねた。
軽い口づけではない。
ゆっくり、唇の柔らかさを伝える口づけだ。
「ゆ、許してくれるの……?」
揺れる声で浄嶋が問うので、
「本当に、次は、あたし、遠くに逃げていっちゃうんですからね。絶対よ。」
と念押しし、頬をゆるませ、
「
と親しくささやいた。
あたしの
「嬉しい、オレは本当に……。」
と泣き笑いをし、やがて目を丸くした。
「何を……?」
日佐留売は顔を赤らめ、だが己の手は止めない。
さ
「あたしには時間がないんです。もうっ、もう……。あなたも早く脱いで!」
この
決めたのだ。
人払いはしてあるから心配はないが、白昼に、人に見られたら腰を抜かされるようなことを
「また、時間は作りますから……。」
と言って別れ、
長くほったらかしにし、すっかりすねた
一人、月明かりのもとで、金の
泣くわけでは無い。
なにか喋るわけではない。
……あたしは、あの方の
……あたしは、
だが、この
それだけで、充分だから。
そう、思ったものだった。
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