第二話  恋者麗澤 〜れんじゃれいたく〜

麗澤れいたく……異なる二つの沢の流れが、互いに潤しあう。

友人同士で励ましあう。




   *   *   *




日佐留売ひさるめ……!」


 の刻。(夜9〜11時)


 人払いした日佐留売の部屋に入ってきたとたん、古志加こじかは日佐留売に抱きついてきた。

 もうわらは二人は、扉を隔てた奥の部屋でぐっすり寝ている。

 だから、ここには二人だけだ。


「あたし、あたし、苦しい……。

 どうしよう、日佐留売。

 あたし、三虎を恋うてる。

 勝てっこない、あんな綺麗な人に。

 三虎に男童おのわらはみたいにしか思われてないのに、

 恋いしくて、

 恋いしくて、

 ……苦しいよぉ。」


 と言って泣いた。


 日佐留売は古志加を胸にだき、頭をなでてやった。

 もうはじめから、古志加が三虎を恋うているのは、わかっていた。

 古志加はちょっと顔を離し、


「ごめん、日佐留売……。あたしみたいな親なしの郷人さとびとが、石上部君いそのかみべのきみの若さまに恋してるなんて、姉として不愉快だろう?」


 と言うので、日佐留売の心の琴線に触れた。


「そんなことないわ! 姉だから、弟だからとか、本当に恋うているなら、関係ないわ!」


 つい強い声がでた。

 古志加が目を丸くしている。


 

 ……心の奥底の秘密だが。

 三虎の姉でなければ良かったと、

 三虎を恨んだ夜がある。



「本当に、恋うているなら……。」


 そこまで言って、日佐留売は口を引き結んだ。


「……日佐留売?」


 日佐留売の言葉の、思いがけない激しさに、古志加がひるんだようにまばたきした。

 日佐留売は、古志加に優しい笑顔をむけ、


「良い物があります。」


 と机の上の置いてあった高麗錦こまにしきの袋を手に取った。


 なかからは、まばゆい金のかんざしがでてきた。

 素晴らしい唐草の細工、くれないに輝く貴石があしらってある。

 宇都売うつめさまが使うような、立派で高価な簪だった。


「きれい……。」


 古志加の口から言葉がもれた。


 日佐留売はその美しい簪を静かに見つめ、


「もう六年もたつのね……。」


 と小さな声でつぶやいた。

 そのまま古志加にむきなおり、優しい眼差しで、


「これをあなたにあげるわ、古志加。」


 と言った。


「えっ、こんな高価な物、いただけません。」


 と古志加が困り顔で言う。

 かまわず日佐留売は続ける。

 もう、決めたのだ。


「これを誰からいただいたのか、きいてはいけません。

 また、あたしから譲られたことも、口外してはいけません。

 ただ、これはつまから贈られたものではありません。

 本当は、夫を持った時に手放すべきだったのだけど、できなかった。

 このかんざしを見るだけで、あたしは、ずいぶん心を慰められた……。」


 そう言って、日佐留売は古志加の手を取り、かんざしを古志加の手の上にそっと置いた。


「日佐留売、そんな大事なもの……。」

「いいのよ。お腹の子がおみなであっても、譲ることのできない簪なんだから。」

「えっ、日佐留売、お腹に……?!」


 日佐留売は笑顔で頷く。

 古志加が日佐留売に抱きついた。


「おめでとう、日佐留売!」

「ありがとう。」



 日佐留売と夫の、待望の子供だった。


 浄足きよたりの母刀自となり、鎌売かまめの辛さが日佐留売にも身にしみてわかった。

 我が子を、主のために盾となれ、と教えながら育てる辛さ。

 浄足は難隠人ななひとに捧げた子供であった。

 だから……どうしても二人目が欲しかった。


 三虎は、どこの誰が見ても立派な従者として成長した。

 大川おおかわさまのためなら、眉一つ動かさず、命を捧げるだろう。

 我が母ながら、その手腕を尊敬してしまう。



「古志加、前にも言ったけど、三虎は幼い頃から大川さまを一番に考えるように育てられてきたの。

 そのせいかわからないけど、なんだか、女に、恋に、うとい気がするわ。

 姉として三虎を見てきて、そう思うの。」


 古志加が体を離し、

 怪訝そうな顔で日佐留売を見た。


 そうよ。

 たとえ遊浮島うかれうきしま吾妹子あぎもこがいようとも。

 負けちゃダメ。


「まだ、良くわからないと思うけど、待つのよ、古志加。

 あなたはきっと今に、そう何年もしないうちに、誰よりも美しい、この金のかんざしがよく似合うくわになるわ。

 三虎の心を捕らえられるほどの。

 それまで待つのよ。

 そして時が来たら、迷わず三虎の胸に飛び込むのよ、いい?

 それまで、この金の簪を、大切に、持っておきなさい。」


 一途に、ひたむきに、三虎を恋い慕うこの娘に、この金の簪は、大きな心のたすけとなってくれるだろう。


 古志加はポロポロと涙をこぼし、


「うん、ありがとう、ありがとう、

 日佐留売……。」


 と金の簪を握りしめた。

 それを見て、日佐留売の胸が、かすかに、


 震えた。


(良かった……。)


 あたしは心から、古志加に金の簪を譲ってあげたい、と思えた。

 手放すことができて。

 本当に良かった。





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