第三話

 冬。


 いぬ四つの刻。(夜8:30)


「お? なんだあ?」


 やっと三虎が現れた。

 荒弓あらゆみを見て目を丸くする。

 三虎の部屋の前で荒弓は待っていたのだが、思ったより三虎が遅かった。


 湯殿ゆどのにいった帰りだろう。

 ふわりと高級そうなこうの匂いが衣から漂う。


「う〜、寒っ!

 とにかく室内にいれてくださいよ。」


 荒弓は震えつつ言う。

 室内に入って、火鉢をおこし、持ってきた浄酒きよさけと、宇母うも(サトイモ)をふかしたつまみを三虎に見せる。


宇母うもか! いいじゃないか。」


 と三虎も口もとが笑顔になり、部屋奥の唐櫃からひつの方に行き、


「ここらへんに、干した烏賊いかが……。あった!」


 と、さらにつまみを追加する。


 酒を酌み交わす。

 今夜は酔わせる。

 そう荒弓は決めていた。


「おっ、大川さまの……。おみなどもはいつでも湧いてきやがる……。」


 三虎が赤い顔で愚痴りはじめた。

 三虎はあまり深酔いしないよう酒を飲むが、深酔いさせると、決まって大川さまのことを口にする。

 良い頃合いだ。


「遊べ 遊べや 雲罍酒うんらいしゅ

 美女のつぐ酒、浮雲ふうんたのしび……。」


 荒弓は替え歌をつぶやきながら、酒をたたえた須恵器すえきの杯のふちを指でなぞり、


「三虎も、もう二十一歳じゃないですか。

 莫津左売なづさめを、遊浮島うかれうきしまからだして、屋敷を与えないんですか?」


 と訊いた。


「え?」


 とろんとした目で、三虎は荒弓を見る。


「自分だけの吾妹子あぎもこに、いえ、いっそのこと、妻にしてあげたら、どうなんです?」


 荒弓が穏やかに、だがハッキリと問うと、三虎は背筋を伸ばした。


「オレは、大川さまのために、いつでも喜んで死ぬ。

 出す気はない。」


 と荒弓の顔を見て三虎は言った。


「三虎、七夕の宴のおかげで、莫津左売は人気なんですよ?」


 と、やや口調を強めて荒弓が言うと、


「いいことじゃないか。

 オレも骨を折ったかいがある。

 オレは……、いもはもたないから……。」


 と三虎は自分で浄酒をついで、あおる。

 荒弓は、心のなかで、


(やれやれ……。)


 と首を振る。

 三虎が、う、とうめき、机に突っ伏した。


「ほら、水飲んで、水。」


 と荒弓が水を飲ませる。


「あいつ……、あいつよぉ。なんでオレの言うこときかねぇの……。

 なんなの……、オレのことなんだと思ってんの……。」


 と三虎がブツブツつぶやく。

 あいつとは古志加こじかのことだ。


 今日、巳の刻(午前9〜11時)、

 強い風が吹きすさぶなか、古志加はいつになくよろよろしていた。

 顔色も悪かったので、三虎が、


「今日の稽古はもう休め。」


 と言った。そしたら、


「え? イヤです。」


 と古志加は三虎を見てハッキリ言ったので、三虎は目をむいていた。

 古志加はすぐさま身をひるがえし、組稽古を薩人さつひととはじめたが、しばらくして、ぱたりと地面に倒れ、動かなくなった。

 三虎と荒弓もすぐに駆けつけ、


「どこか悪いところを打ったのか?」


 と訊くと、


「いえ、突然目を回して倒れました。

 悪いところは打っていません。」


 と薩人が首を振る。

 薩人がそう言うなら、間違いないだろう。

 薩人が医務室に連れていき、すぐに帰ってきて、


「血の道が薄かっただけだそうです。

 寝てれば治るそうで……。」


 と報告した。

 そのことを三虎は言っているのだろう。

  



 前にも、正式な卯団うのだんになったばかりの頃、


「もう皆の足湯は作るな。」


 と三虎が言ったら、古志加は、


「え? イヤです。」


 とハッキリ断るので、三虎は目をむいていた。

 その後荒弓が場所をかえて、


「お前が足湯を作ってると、オレたちも持ち回りで順番に足湯を作ることになるから、もうやめなさい。」


 と言ったら、古志加はしばらく考えて、


「わかりました。」


 と皆の足湯を作ることをやめた。

 そのことを何日かしてから三虎に話したら、


「あいつ、なんでオレの言うこときかねぇの?」


 と顔を思いっきりしかめていた。

 


 ───荒弓よぉ。

 オレは三虎も、古志加も、莫津左売なづさめ不憫ふびんだぜ。

 今に泣くことにならないか……。

 もう莫津左売は屋敷を与えてやって、古志加は吾妹子あぎもこにしてやれば良いんだよぉ。

 二人とも吾妹子か、二人とも妻にするかは、三虎の好きにしてさ、さっさと自分のおみなにしてやれば良いんだよぉ……。


 と、薩人は前に、三虎と酒を飲んだ話をしてくれた。


(まったくそのとおりだ。薩人よ。)


 寝かけてる三虎を倚子から立たせ、

 寝床に寝かせてやりながら、


「恋うてるんですよ。」


 と小さな声で三虎に教えてやる。

 三虎はすこやかに寝息を立てている。


 見てれば古志加が三虎を恋うているのは、ばればれだ。

 そして、三虎も、古志加が郷のおみなの姿で薩人と市を歩いていたとき、


 薩人が髪を触った、背中を触った、


 と騒ぎ、歯ぎしりしながら、


「こんな釣り、やるんじゃなかった……!」


 としきりに繰り返していた。

 憎からず思っているだろうに。

 だがもし、荒弓が、


「古志加を吾妹子にしてあげたら、どうなんです?」


 と訊いたとしても、


いもはもたない。」


 との返事が三虎から返ってくるのは、目に見えている。


 いも

 生涯たった一人の、男にとって、たった一人のおみな

 それを持たないのだから、妻も、莫津左売なづさめ以外の吾妹子あぎもこも、持たない。


 三虎はそう言う。


「あれは衛士として見てやってるだけだ。

 女として見てない。」


 ぐらい三虎なら言いそうだ。


 ───今に泣くことにならないか……。


 薩人の不安が的中しないことを祈るばかりだ。






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