第四話  莫津左売、軽盈縵舞 〜けいあいまんぶ〜

軽盈けいあい……かよわく、たおやかな容姿。

縵舞まんぶ……静かでゆったりした舞。



    *   *   *




 やがて、薄紅うすくれないの衣を着た一人の遊行女うかれめが、前に進み出た。

 白銀しろがね白珠しらたまの、そろいのかんざしと首飾りが美しい。

 その一人をひきたたせる為だろう。

 残りの二十九人は後ろにさがり、にっこりと笑顔を浮かべ、立つ。


 あまり身長はない。

 二十歳から、二十二歳くらい……?

 小柄で、色白で、衣ごしにも、華奢な体つきというのがわかる。

 派手な顔ではないが、とても優しい、優美な笑顔のおみなだ。


(綺麗な人………。)


 白梅のように、匂い立つような美しさの遊行女うかれめだった。

 そのおみなが、

 すい、

 と腕を上げて、

 パン、

 と檜扇ひおうぎを開いた。

 檜扇には金粉きんぷんがまかれ、


 紅、黄、白、萌黄、薄紅。


 五色の紐でくくられ、紐はふさとなり、ふっくらと垂れている。

 その檜扇ひおうぎをかざし、

 美しい遊行女うかれめは、

 ゆっくり舞い踊りはじめた。

 流れる水のように、

 ゆるやかに……。

 口を開いた。

 その口からは、鈴を転がすような、

 美しい声がでてきた。

 その姿とその声は、まさにぴったりだ、と古志加こじかは思った。




 玉蔓たまかずら、や、玉蔓


 えぬものから さらくは


 玉蔓、や、玉蔓


 としわたりに ただ一夜


 かささぎ橋の ただ一夜のみ




「だ、誰です……?」


 熱に浮かされたように、横にいた花麻呂はなまろが、前に立つ荒弓あらゆみにきいた。


「あの……美しいおみなは、誰なんです……?」


 荒弓はちょっと振り返り、


「ああ、莫津左売なづさめだ。」


 と答えた。花麻呂はなおも何か言おうとしたが、

 わあっ、

 と聴衆が盛り上がったので、荒弓は前を向いてしまった。


 三虎だ。


 舞台の階段の下に姿を現した。

 手には弓。

 羽根のような飾りのついたかぶと。

 大きな肩よろい。

 鉄のさねを編んだ挂甲かけのよろい

 黒と、ところどころに銀糸が輝く草摺くさずり

 腕には籠手こて

 足には脛当すねあて

 背に矢の入ったゆき


 歩みを進めると、鉄のさねが、可我里火かがりびの光をうけて、

 ちかり、

 ときらめく。


 なんて凛々しいんだろう。


(近くで見たかったなぁ……。)


 古志加は、ほぅっ、とため息をついた。

 やんや、やんや、と卯団うのだんの皆は盛り上がる。


 完全に舞台に登りきった三虎と、

 美しい莫津左売なづさめが、

 笑顔で目線を交わす。


 古志加は胸が、

 ドクン、

 と早鐘をうったのを感じた。


 三虎は優しい目で莫津左売を見つめ、


蒙武伯問もうぶはくとふ、子路しろじんなるかと。(注1)」


 とろうろうと響く声を張り上げた。


子曰しいはく、知らざるなりと。」


 と莫津左売が、鈴のように清く響く声を放った。


又問またとふ。子曰しいはく、

 いう千乗せんじょうくにおさめしむきなり。」


 と三虎が言い、


じんを知らざるなりと。」


 と莫津左売が続く。


 ……見てられない。


「遊行女なんて、お金をもらって、おのこ共寝ともねするんでしょう? 不潔だ。」


 古志加はつぶやく。

 荒弓が聞きとがめ、振り返る。いつもの優しさはなりをひそめ、


「それは違うぞ、古志加。いや、違わないが、聞け。

 遊行女うかれめは客をとれなければ、食事をだしてもらえない。

 それで体が弱ったとて、市で他のところに売り飛ばしてももらえない。

 いずれ餓死するまで飼い殺しだ。

 あの舞台で華やかに笑ってるおみなたちは皆そうだ。辛い務めだぞ、古志加。

 だからせめて、あの遊行女たちと、オレの前では、侮辱するようなことは言わないでくれ。」


 と言った。

 古志加は目を見開き、唇を噛み、瞳を揺らした。


「……すまない。もう二度と言わない。」


 とつぶやいた。

 舞台では、まだ二人の唱和が続いている。


子曰しいはく、きう千室せんしついふ百乗ひゃくじょういえ。」


 三虎が言い、


これさいたらしむきなり。

 そのじんを知らざるなりと。」


 莫津左売なづさめが言う。


 荒弓が花麻呂のほうに向き直る。


「そういうわけでな、花麻呂。

 あの美しい遊行女とお前だって遊んで良い。

 遊浮島うかれうきしまにいるんだからな。

 ただ、吾妹子あぎもこにしようとか、間違っても思うなよ。

 三虎は遊浮島で、莫津左売なづさめとしか掛け鈴を鳴らさない。

 他の遊行女には指一本触れようとしない。もう何年もだ。

 相手が三虎では、───勝てんぞ。」


 花麻呂がひるんで息を呑んだ、ように見えた。

 それでも食い入るように、一心に舞台の莫津左売を見つめる。


子曰しいはく、せき束帯そくたいしててうち。」


 三虎が言い、


賓客ひんかくわしむきなり。」


 莫津左売が言う。


じんを知らざるなりと。」


 二人が声を重ねる。

 唱和が終わった。


 莫津左売が檜扇ひおうぎを開いた。

 三虎が弓に矢をつがえる。

 莫津左売が檜扇を、

 さっ、

 と天高く放った。


 五色の紐が天に舞う。


 皆があっと息を呑むなか、弓弦がビンと響き、

 真っ直ぐとんだ矢が、

 ぱん、

 とあやまたず檜扇の中央に命中した。

 おおお、と聴衆がどよめく。


 二人はほっとしたように息をつき、皆にむかい礼をする。

 皆がいっせいに拍手をする。


 三虎は莫津左売を見つめ、はにかんだ笑顔を少しのあいだ浮かべた。

 すぐに、大騒ぎしてる卯団のほうに目を向け、晴れやかな顔をした。

 さらに、賓客席の大川さまのほうへ顔をむける。


「荒弓。あたし、ちょっと……。」


 古志加はそっと、その場を抜け出した。




     *   *   *    




(三虎ははにかんだ笑顔を浮かべた……。)


 人波を抜け、


(三虎とはにかんだ笑顔! 

 なんて似つかわしくない言葉合わせだろう……。)


 人気のない方へ行き、つき(けやき)の生えているほうへ。


(あんな顔するんだ……。)


 まわりに人がいないのを確かめ、目を手で覆い、上を向き、


「うっ……。」


 古志加は泣きはじめた。



 見たくなかった。

 あの美しい遊行女うかれめのもとに三虎が通ってるなんて、聞きたくなかった。


 あの遊行女は、あたしと全然違う。


 小柄で、優しげで、大人の色香があって、美しい。

 あたしときたら、背が高く、たくましく、色気の欠片かけらもなく、わらはみたいだ。

 体が丸みを帯びても、おみなの印が体に訪れても、古志加は自分の体の内側に女らしさの欠片も見出したことはない。


 どうして、あたしはこんなにおのこみたいなんだろう。

 なんで、あの美しい遊行女うかれめみたいに女らしくないんだろう。

 あんなふうに美しい女として生まれたかった。


「ふ……っ。」


 古志加は涙をぬぐう。


 あたしはずいぶん勝手だ。

 おみなになんて生まれたくなかった。

 おのこに生まれていれば、って何回も思ってきたのに。


 男に生まれていれば、普通に享受きょうじゅできたことを、あたしは享受できなかった。

 そう思ってきたのに。


(三虎ははにかんだ笑顔を浮かべた……。)


 あの美しい遊行女うかれめは、きっと、古志加の知らない三虎の顔をいくつも知っているのだろう。

 あのかんざしも衣も、三虎からの贈り物かもしれない。

 そうでなくても、かんざしでもなんでも、欲しくなったら、あの遊行女は三虎に、


「買って欲しい。」


 とお願いすることができるのだろう。

 何年も通ってるなら、きっと、いくつも。

 贈り物を持っているのだろう。


 あたしが三虎からもらったものは。

 三虎が着てた胡桃色の衣と、山吹色の郷の女の衣。

 その二つだけ。

 それも、別に贈り物として用意された物ではなく、一つは成り行き、一つは務めで必要だったからだ。

 三虎が哀れんであたしにくれた物だ。


 それだって、あたしの宝物で、無性むしょうにつらくなる夜は、その二つの衣と、つみくしを大事に胸に抱いて寝て、それで充分良かった。


 でも、今のあたしは、その宝物を抱いて寝ても、満たされなさそうだった。


「うあぁ……。」


 古志加は苦しみの声をあげて泣き、




 どんなだろう、

 三虎に愛されるのはどんなだろう、

 と思った。



 あたしは、うらやましい、と思い、

 あたしは、苦しい、と思い、

 あたしは、三虎を恋うているんだと、気づいてしまった。





 涙を拭き、よろよろと皆のもとに戻った。

 皆は、さっきまで三虎が来てたのに、と教えてくれた。


「ありがとう。」


 でも、今のあたしは、会えないよ、と心の内で返事をした。







↓挿し絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330662181550162



     *   *   *  




(注1)本当に読み飛ばしてもらってかまいませんが、気になるよ、という方のために。


 蒙武伯もうぶはくの大夫)が「子路しろは仁者ですか」と問うた。

 孔子こうしは「存じません。」と答えた。

 蒙武伯が繰り返し尋ねたので、

 孔子は「子路は大諸侯の国(千乗の国)で、軍事や政治を扱わせることはできますが、 

 仁者かどうかは存じません。」

 と言った。

 〜略〜

 孔子は「きゅうは千戸の大村や、兵車百乗をだす大夫の家の長官たらしめることができますが、

 仁者かどうかは存じません。」

 と言った。

 〜略〜

 孔子は「せき衣冠束帯いかんそくたいの礼服で朝廷に立ち、賓客に応対させることが出来ますが、

 仁者かどうかは存じません。」

 と言った。


 手腕や実績を充分認めながら、仁だけは簡単に認められない、という気持ちをあらわしたもの。





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