第十話  ていいのゴザ

 その日のひつじの刻(午後1〜3時)。


 加巴理かはりは父上の使いの衛士えじ、五人に引ったてられ、庭闈ていい(父親の部屋)の庭先、ゴザをしいた上に一人、正座させられた。


 それは、下人げにんを父上が裁く時の仕様であった。

 加巴理の隣には、八十敷やそしきほこを持ち、立つ。

 加巴理は縛られてはいないが、これで縄をかけられていたら、まさしく、罪人そのもののようであった。

 見物人が五十人はいるか。


(───見世物。)


 屈辱で、頭がくらくらとした。

 加巴理は両膝の上においた手を、爪が食い込み血がにじむほど握りしめ、ぎりぎり歯を食いしばり、ただ、前をまっすぐ見据えた。


 東には、父上の毛止豆女もとつめ(正妻)、意弥奈いやなさまと、兄、竹麻呂たけまろがずっと笑って立っている。

 その従者、伊可麻呂いかまろは加巴理を指さしてゲラゲラ笑っている。


 西には、青ざめた母刀自ははとじが、女官である秋萩児あきはぎこ大路売おほちめに支えられている。


「やめろ、やめろ───!」


 叫び、今にも暴れ出しそうな三虎を、三虎の兄、布多未ふたみ鎌売かまめが、二人がかりで抑えている。

 布多未が横から抱きしめ、鎌売かまめが必死で三虎の口を抑えている。

 三虎はもがく。


(───大丈夫。)


 加巴理は一瞬、三虎に目をやり、あとはるいが及ばないよう、目をそらした。





 妻戸つまとを開け放った庭闈ていいには父上が立ち、冷たくこちらを見下ろしていた。

 たくさんの見物人を追い払うことをせず、父上は口を開いた。


「お前は兄の物を決して望むな。

 兄に望まれたら、差し出せ。」


 胃の腑が、かぁっ、と燃えた。

 顎が震え、言葉が出ず、ただ、弾かれたように父上を見上げ、……睨んだ。


(あなたがくだされた三島木綿みしまゆうではないか!

 私への褒美だ。私が受け取るのが正当なものだ。兄上がよこしまな嫉妬でよこせ、と言ったら、差し出せと言うのか!)


 父上は冷ややかに加巴理を見下ろしたあと、一言、


「打て。」


 と八十敷やそしきに命じた。

 おお、と見物人がどよめき、八十敷やそしきは無表情に、右拳を握った。


ほこつかで打て!」


 父上の冷徹な声が大きく響いた。

 さきほどより大きなどよめきが起きる。

 息を呑んだ八十敷やそしきの顔に、あきらかな同情と躊躇ちゅうちょを見てとるや、加巴理は、きっ、と八十敷やそしきを見て、


「打て!」


 大声で叫んだ。


「許されよ。」


 八十敷やそしきが苦しげに呟いた直後、右頬をほこつかで強打され、目の奥に白い光が散り、身体が左に吹っ飛んだ。口中に血の味がした。


(これが父上の味だ……。父上が私に味あわせているものの味だ………。)


 西から大きな悲鳴があがり、それをかき消すような大声で、


「こたびの三島木綿みしまゆうたん意弥奈いやなのものとする。

 改めて、三島木綿みしまゆうたん宇都売うつめたまう。

 さらに、意弥奈には白絹一疋いっぴきたまう。」


 と父上が宣言した。続け、


「はじめからこうしておけば良かったのだ。」


 と独り言のように呟いた声を遠くに聴きながら、荒いささくれだったゴザに頭をつけ、意識が失せた。




   *   *   *




 三虎は涙を流しながら、父──八十敷やそしきが、加巴理かはりさまめがけほこを左手で振りかぶったのを、目を見開いて見た。


(やめろ、やめろ、オレの大事な乳兄弟ちのとを。オレの加巴理さまを!)


 大人に比べて、あまりに小さな加巴理さまの身体がふっとんだ時、母刀自に口を抑えられながら、三虎は絶叫した。


「うああ──────!」


 隣では、


「いやっ………。」


 宇都売さまが短い悲鳴をあげ、倒れ、二人の女官が、


「きゃあ……。」

「宇都売さまぁ!」


 と悲鳴をあげ、宇都売さまを支えた。

 あたりはザワザワとし、すぐに広瀬ひろせさまが大きな声で事の始末をつけた。

 意弥奈さまが喜々として礼を述べ、人が散り散りになりはじめた。

 そこでやっと、母刀自と布多未ふたみが三虎のいましめをといた。


 三虎は、わああ、と泣きながら、意識を失った加巴理さまのもとへ駆け寄った。

 口から血を流している。

 右頬が腫れている。


 庭闈ていいの奥に消えた広瀬さまに礼をしていた父──八十敷やそしきが、ぱっと振り向き、ゴザにしゃがみ、ゆっくりと丁寧に加巴理さまを抱き上げた。


「父上、なんで加巴理さまを殴ったんだ、なんで、なんで!!」


 三虎は食って掛かるが、父上は鋭い眼光で、


「医者に見せるのが先だ。それが分からぬ駄々っ子は帰れ。

 看病の際に手は必要だろうが、冷静に世話が出来ぬ手は要らぬ!」


 ビシリと言われ、


「ぐっ……。」


 三虎は押し黙った。袖でごしっ、と目をぬぐい、そのまま父上について医務室へ向かう。




(そう……、本当はわかってる。

 オレが冷静になるべきだったんだ。

 母刀自が打ち倒されても、三島木綿みしまゆうをとられても、オレが加巴理さまをギュッと抱きとめて、何もさせないように、じっとしているべきだったんだ。

 そうすれば、加巴理さまは、今頃こんな事になってなかった。

 オレのせいだ……。

 加巴理さまは、繰り返し、喧嘩は駄目、それで良くなるの、とオレに教えてくれていたのに………。)


 その真摯な目を、怒ってもなお、優しく愛らしい顔を思い返し、三虎は嗚咽おえつがこみ上げるのを抑えられなかった。





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