第九話  朽葉むらごの武人

 まなじりの切れ上がった厳しい顔立ちの鎌売かまめは、猛烈な勢いで、意弥奈いやなさまの女官につかみかかった。


「あっ、自分が何をしてるかわかってるの、この醜女しこめ! しこ醜手しこて(醜い手)!」


 鎌売は無言で三島木綿みしまゆうをつかみ、ぐいぐいともぎ取ろうとし、蛾眉がびをゆがめののしる女官と揉み合いになった。

 二人の意弥奈さまの女官が参戦し、


多部礼屎売たぶれくそめ気狂きぐるいのクソ女)っ!」

畜生ちくしょう!」


 ぎゃあぎゃあとわめきながら鎌売を拳でたたいた。鎌売は無言を貫く。


「鎌売を叩いたわねっ!」

醜蛙しこかへる! 負けるかっ!」


 母刀自の残りの女官も加勢し、秋萩児あきはぎこは意弥奈さまの女官の耳上の美豆良みずらを、がしっ、と掴み、大路売おほちめは敵方の女官をポカポカと叩きはじめた。


 きゃあ、きゃあ、やったわね───。


 加巴理と三虎は、息をするのも忘れ、手を握りあい、ただその行く末を見守る事しかできなかった。


 盛大なため息をついた朽葉くちば叢濃むらごの衣の武人が、


「どきなさい!」


 と一喝し、ぽんぽんと双方の女官を引き剥がした。

 そしてしっかと三島木綿みしまゆうを掴んでいる鎌売を引き剥がそうと、肩に手をかけた。


「お? ……むおっ。」


 必死の鎌売は、三島木綿みしまゆうを抱きしめた蛾眉がびの女官から剥がれない。


「離れ、なされっ!」


 髭面の武人により、三島木綿みしまゆうから力いっぱい引き剥がされた鎌売は、勢い良く床に打ち倒された。


「あう!」


 だあん、と肩から床にぶつかった鎌売が悲鳴をあげ、それを見た秋萩児あきはぎこ大路売おほちめは、鎌売ぇ! と口々に叫び、


「母刀自────っ!!」


 叫んだ三虎が加巴理の手を離した。

 几帳きちょうからザッと走り出し、


「あっ、三虎……。」


 加巴理が制止する間もなく、背の高い武人の背中に殴りかかろうとした。


「よくもぉぉ!!」


 素早く振り返った武人は、ちっ、と舌打ちをして、左足をひき半身で三虎を軽くかわすと、自分の胸までしかないわらはの後頭部を掌底しょうていで、ぱあん、と殴った。


「あぐっ……。」


 三虎はその場に崩折れた。ピッ、と血が飛んだのが見えた。


(血………。三虎の血………。)


 真っ白い怒りが腹から突き上げ、気がついた時には、加巴理は部屋の隅に置いていたほこを握りしめ、その場を猛然と駆け出していた。

 

「おおっ!」


 鉾を右からビョウと低く振り、つかで武人の左足の脛を強打した。


「ぬっ……。」


 顔をゆがめた武人が、ほこを奪い取ろうと両手を突き出してくるが、それより早く。

 刹那。

 右足を踏み込み、背を伸ばし、腕を振り上げ、腰から鉾の切っ先まで一本のしなるムチのように、


「はああっ!」


 力いっぱい柄を武人の脳天に打ち下ろした。芯を捉えた。

 白目をむいた髭面の武人は、どおっ、と仰向けに倒れた。

 きゃああ、と意弥奈さまの女官三人が悲鳴をあげる。

 加巴理は、きっ、と女官たちを振り返り、ぶん、と鉾の切っ先をふり、三島木綿みしまゆうを抱えて口をあんぐり開けた蛾眉がびの女官の顔先に突きつけた。


三島木綿みしまゆうを置いて去れ! さもなくば打つ!」


 叫んだ。

(本気だ。

 おみなだろうと、打ってやる!)


「ひ………!」


 蛾眉がびの女官はおびえた声を出し、三島木綿みしまゆうを受け取ろうと近づいてきた鎌売に、三島木綿を押し付け、


「きゃあ………。」

「あれぇ………。」

「意弥奈さまーあ!」


 と口々に悲鳴をあげながら、三人の女官は裳裾もすそを踏んづけ転びつつ、ほうほうの体で部屋を逃げ出した。


「もう来るなーっ!」

「いいざまよーっ!」


 普段しとやかな所作を忘れない秋萩児あきはぎこ大路売おほちめが、ばっと両手を万歳し、ぴょんぴょん飛び跳ねた。


「加巴理……!」


 背中から、母刀自の柔らかい腕に抱きしめられた。

 淡水香たんすいこう山奈やまなの、甘く落ち着く、良い匂いがした。

 はあ、はあ、と己の息が荒い。


(やってやった。大人の武人を一撃昏倒させてやった。

 鼻持ちならない、大嫌いな意弥奈さまの女官たちに、目にもの見せてやった………。)


「誰か! 衛士! 下人げにんでも良い。おのこの手が必要です。

 宇都売うつめさまの部屋でのびている、このきたならしいおのこを、意弥奈さまの部屋に送り届けておやり!」


 三島木綿みしまゆうをしっかり腕に抱えた鎌売が、勇ましい声で人を呼びながら部屋を出ていき、


「加巴理さま……。」


 と鼻血をぬぐった三虎が、無表情でゆっくり近づいてきた。

 目には、悲しそうな色が揺れている。


「オレ……、オレ……。」


 その三虎の目を見たとたん、興奮がしゅっと消え、悲しみがあふれてきた。

 三虎にむかって、一歩踏み出す。

 母刀自が察して、抱きしめた腕を解放してくれる。

 加巴理は両手を広げる。

 三虎を抱きしめる。

 抱きしめられた三虎は、


「オレ、役に立てなくて………。」


 と悲しそうに言った。


「三虎。いいんだ。言うな。

 私はどうして、三島木綿みしまゆうが欲しいなんて、言ってしまったんだろう。あんな事、言わなければ……。」

「加巴理さま! 違う!!」


 三虎が叫び、


「そんな、わけあるか………うわあああん!」


 加巴理にしがみついて泣き出した。


「ふえ………。」


 三虎が泣くから、加巴理もつられて、泣いてしまう。


「うあ……、ああああ……。」


 二人で固く抱き合って、泣いた。




(なんで、こんなに、悲しいんだろうな。

 なんで、上毛野君かみつけののきみの次男で生まれたのに、こんな思いを。なんでだろうな、三虎。)



 八歳のわらは二人の泣き声と、つばくらめの雛のギャーギャーと鳴く声が、上毛野君かみつけののきみの屋敷に、響いていた。

  









 ────それで、終わりではなかった。

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