第八話  蛾眉の女官

 檜皮葺ひわだぶきひさしの下に、つばくらめが巣を作った。

 母刀自ははとじ──宇都売うつめの部屋の近くだ。雛が産まれ、ギャーギャーと鳴いてうるさいのだが、母刀自はおっとりと、


「可愛らしいじゃないの。」


 と笑う。だが、くちなわ(蛇)が雛を狙う。


 の刻。(朝9〜11時)


「………せっ!」


 私が勢いよく放ったほこが、柱を昇ろうとしていたくちなわ(蛇)を、ガスン! と真っ二つに討ち取った。


「まあ、すごいわ、加巴理かはり。良くやったわね。鉾の腕が立派ね。」


 母刀自が嬉しそうに加巴理を褒めちぎる。

 三虎が進み出て、加巴理のほこの刃を手布で丁寧に拭った。

 二人の下人げにんが、くちなわ(蛇)の後始末をする。


「最近、ほこの腕が良く伸びていると、八十敷やそしきが褒めてくれます。」

「ええ、そうでしょうとも。さあ、鉾を持ったその姿、ようく見せてちょうだい。凛々しいこと。あたくしの加巴理かはり。」

「えへへ……。」


 ギャーギャー、雛は元気にさえずる。

 加巴理は、母刀自がたくさん褒めてくれるのが嬉しくて、笑いながら、鉾を持ち、胸を張る。


「本当に、ご立派ですわ。」


 母刀自の後ろに控えた鎌売かまめも、にっこりと笑って言う。

 いつも顔に厳しさが漂っているが、笑顔はとても美しい。

 鎌売かまめは、母刀自と同い年の二十八歳。

 まなじりの切れ上がった、きりっとした美しさのあるくわなのだ。


 そうしていると、三人の女官が一人の武人を伴って簀子すのこ(廊下)の向こうから早足で歩いてくるのが見えた。


 すっと、その場の空気が冷えた。


 この屋敷を守る衛士えじ濃藍こきあい衣ではなく、朽葉くちば叢濃むらご(濃淡のある枯れたオレンジ色)の衣をきた、髭面の武人。

 それは、父上の毛止豆女もとつめ(正妻)である、意弥奈いやなさまが相模国さがむのくにから連れてきた武人を示す。

 先頭に立った意弥奈いやなさまの女官は、蛾眉がび(ガのようなふわっと広がった眉。美しい眉とされた。)が目立つ顔で、えらそうにフン、と鼻をならした。


宇都売うつめさま。

 意弥奈いやなさまからの、お言付けがございます。

 今すぐ、お部屋にお戻りを。」

「ええ……。お聞きしましょう。」


 母刀自は穏やかに頷く。

 加巴理は母刀自に促され、部屋に戻りながら、思う。


(なぜこの女官は、こんなに傲慢に母刀自に接するんだろう。

 たしかに郷のおみなであった母刀自より、相模国さがむのくにの大豪族であった意弥奈いやなさまの方が身分が上。

 毛止豆女もとつめ(正妻)であるのも当然だ。

 しかし、この女官が、何だというのだろう。

 いやしくも、上毛野君かみつけののきみ宇波奈利うはなりめかけ)である母刀自に、なぜ女官ごときが、このような口をきく。

 母刀自は、意弥奈いやなさまに決して逆らわない。

 意弥奈いやなさまがこうして時々送り付けてくる女官が、傲慢な態度をとっても、丁寧な姿勢を崩さない。

 それを良いことに、意弥奈いやなさまの女官は、ますます偉そうにする。

 父上は、知っているのか。

 母刀自のつらさを。

 何の力にもなろうとしない、父上の無関心が恨めしい───。

 それとも、私が、愛される息子ではないのがいけないのか。)


 加巴理かはりは暗い顔い気持ちになりながら、隣りを歩く三虎に、


「何かした?」


 と小声で訊いてみた。


「いえ。何も。」


 三虎はふるふると首をふる。嘘をつく乳兄弟ちのとではない。





 母刀自の部屋は広い。

 三虎と加巴理は、几帳きちょうでしきられた奥に行かされ、そっと几帳から顔を出し、意弥奈いやなさまの女官が、今回は何を要求してくるのかうかがった。


 部屋の中央では、八人の大人がいる。


 母刀自ははとじ

 隣に立つ鎌売かまめ

 鎌売かまめの後ろに立つ母刀自の女官二人、秋萩児あきはぎこ大路売おほちめ、の味方四人。


 意弥奈いやなさまの女官三人、朽葉くちば叢濃むらごの武人一人の敵方四人が、対峙した。


加巴理かはりさまが、論語ろんご上論じょうろんを修め、広瀬さまから褒美の三島木綿みしまゆうを頂戴したと聞き及んでおります。

 まこと重畳ちょうじょう

 三島木綿みしまゆうをお見せなさい。」


 蛾眉がびの女官が居丈高いたけだかに言った。


(あっ!!

 ───三島木綿みしまゆう!!)


 加巴理が父上に、褒美にと所望したものだった。

 今朝、父上の女官から、この部屋に届けられたばかりである。

 どこから聞きつけてきたのか。


 ざわ、と母刀自たちが小さく動揺し、蛾眉がびの女官の目が素早く動いた。

 三島木綿みしまゆうはちょうど、机の上に置いたままになっていた。


「あとでゆっくり、どんな衣を仕立てるか、一緒に考えましょうね。」


 と言った母刀自と、身体に布をあてて考えるのを楽しみにしていたのだ───。


「これね。」


 三島木綿みしまゆうは、白き木綿の光沢が立派である。

 見てわかったのだろう、にやりと笑った蛾眉がびの女官が、机に向かって大股で歩き、手を伸ばそうとする。


 鎌売かまめが、さっと動き、机の上の三島木綿みしまゆうを、いち早く手にとった。


「見せろと言われましても──。」


 鎌売は硬い口調で言い、三島木綿みしまゆうを両腕で胸に抱え、蛾眉がびの女官を睨みつけた。


 一端いったん三島木綿みしまゆうは、幅二尺四寸(約71cm)、長さ四丈二尺(約12m)。薄い木の板に巻き付けられ、ずしりとくる重量だ。


「素直にお渡し!」


 蛾眉の女官は、白い三島木綿みしまゆうを鎌売から乱暴にもぎとった。

 鎌売が悔しそうに、くぅ、と声をもらす。

 そんな鎌売を満足げに見た蛾眉の女官は、


三島木綿みしまゆうはおまえ達には過ぎた品、身の程を知れ、との、意弥奈いやなさまのお言葉です!

 これは意弥奈いやなさまに献上なさいませ。」


 と勝ち誇ったように言った。


(私が兄上より先に、論語ろんごおさめたからか。

 だから、三島木綿みしまゆうを取り上げようというのか!)


 加巴理の全身が怒りでかあっと熱くなった。


 ぎりぎりと鎌売が女官をにらみつけている。

 母刀自は呆然と立ち尽くし、月光のように美しい顔は青ざめ、ぽつりと、


「それは、加巴理が、加巴理が───、返して。」


 と小声でつぶやいた。

 見開いた目から、涙がぽとり、とこぼれた。

 それを見た鎌売が、ひゅうっ、と息を吸い、肩を怒らせ、ぎっ、と蛾眉がびの女官を睨みつけると、迅速に動いた。

 

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