第十五話 剡剡 〜えんえん〜
※
* * *
そひの
しか
これは本当のことなんだよ
* * *
(あなたは、愚かね。)
心のなか、ただ一人の
紅い大輪の花。
どんな
「…………。」
私をただ一人、愚か者扱いした
私の
あれは、私が十九歳。
一年近く奈良に遊学し、
もともと女官であったのを、兄が手をつけ、
たまたま、屋敷の裏の小山で、女官を
「兄上の
その時、
私は、まったく
椿売は、きらりと大きな目を光らせ、私の手をぱっと取った。
「あっ!」
と驚いた時には、椿売の腹に手を当てさせられていた。
「あたしの腹に聞いてくださいまし。」
椿売の手は柔らかく、腹はたいらかで、近くに寄った顔は、信じがたいほど美しかった。
生気にあふれた、黒目がちな瞳。
自信ありげに微笑む唇から、ふ、と漏れた吐息が私の額に触れた。
───一
(一輪の
まあっ! と驚きざわめく女官達の声が聞こえ、
「……失礼を!」
私はすっかり狼狽し、すぐにその場を離れた。
私だって、
分からぬ。
駄目だ、いけない、と、分かってはいた。
なのに、止められなかった。
兄の留守を見計らい、
「いけないわ!」
「椿売……! お願いだ。私の……、想いを、拒否しないでくれ。お願いだ……。」
「あたしは
「知ってる。」
唇で唇を
「いけな……。」
「知ってる。でも己を止められない。恋うてる。誰よりも、恋うてる。
椿売以外、もう他に何もいらない。」
衣擦れの音がし、衣を床に落とされた
「……ああっ!」
「恋うてる。
椿売から見て、私は、
椿売の愛を乞い、懇願をにじませて、椿売の目をじっと見る。
「……あなたは、愚かね。あなたが、どんなに魅力的かなんて……。」
椿売は顔をそむけ、瞳を閉じた。
その頬にそっと手をあて、私は、
「
口づけをする。
「そひの
首筋に口づけを落とす。
「
「しか
耳元に囁く……。
私は狂おしくさ寝をしながら、
「おまえは、私の
と何回も言ったが、
「愚かね……。」
と、
「
と呼んだ。
「なぜだ?」
と訊くと、
「
あなたの、あたしへの想いなんて、すぐに移ろうわ……。」
と憎らしいことを言うので、
「移ろわない。
と何回も言いきかせたが、
───あまた
(たくさんの夜を重ねた。)
ある夜、とうとう、兄に見つかった。
二人とも裸で、どんな言い逃れもできようはずがなかった。
「……兄上っ。」
衣を羽織り、膝を床につき、
「寝たのか。私が恋うているのは、おまえだけだと、言ったのに。
……どうなるか、わかって。」
「…………。」
色を失い、震え、涙を流す椿売にそう言ったあと、兄はおもむろに、腰に佩いた剣を抜いた。
斬られる。私は仕方ない。
せめて、椿売は。
ぴくりとも動けない椿売をかばい、私は、前に出た。
刹那。
兄は己の腹に剣を付きたてた。
「いや───!
「兄上ぇ!」
椿売の悲鳴と、私の驚きの声のなか、ごふ、と口から血を吐き、兄は前のめりに倒れた。
背中から、剣が突き出した。
(私は……、兄を殺してしまった……!)
あの時、驚愕で記憶が飛んだらしい。
気がつけば、あたりは火の海だった。
椿売が油をまいて、蝋燭の火を倒したのだ。
「椿売っ、に、逃げよう……。」
私は、炎の壁に
「逃げないわ。
「椿売っ! できない!」
「教えてあげるわ。あたしは、同時に二人の
月草のように消えてしまうべき恋心だと、わかっていながら。
月草の君。恋うてるわ。
……もう、生きていられない。」
「椿売! こちらへ!」
「さよなら。」
椿売は兄の身体を引きずりながら、逆巻く
と、背後、火の粉が散る
「
若い女官が一人狂ったように叫びながら走りこんできて、さっと炎に身を躍らせた。
「ああ……!」
止める間もなかった。
女官は、全身焔に焼かれ、ぎゃぃ、と断末魔をあげつつ、まだ、誰かを探すように、炎の奥に進もうとする。
あまりのことに、頭がジンジンと痺れたようになった。
私は、
「駄目よ、
とまた若い女官が駆け込んできて、
「うう……! うああ……!」
と炎のなか、焦げて倒れた人影を見て呻いた。
……私は、炎に魅入られたように、ふらふらと、炎に足を一歩踏み出す……。
「広瀬さま、いけません! 逃げましょう!」
と、若い女官がぐいと私の袖をひき、外に連れ出そうとした。
私はかまわず、炎へと足を進め……、
「しっかりしてっ!」
その女官は泣きながら私の頬を打った。バチン、強く音が響いた。
「うっ!」
頬で弾けた痛みに声がもれ、その声は呼び水となり、
「死なせてくれぇっ!」
私の心を叫ばさせた。
「お許しを!」
後ろから
……炎のなか、救いに駆けつけた
私の身体は命を永らえた。
だが、心は……。
あの炎のなかで、焼かれ、失われたままだ。
私の恋心は、今も、黄泉で、椿売と共にある。
おそらく、兄上の魂と一緒にいるであろう椿売に、寄り添い、
それが、私の罰だ……。
とうとう、椿売の心を独り占めすることは、叶わなかったのだから。
もう、その後は、どんな
しょうがない。
それ以上のことは、私に求めないでほしい……。
その信念だけが、私を
「いつになったら、会える? 椿売……?」
私は、いつでも、おまえに会いたい。
おまえは、私の、たった一人の
そう思ってしまうのは、しょうがない事だ。
(愚かね……。)
(月草の君。恋うているわ。)
心のなかで、幻の
まだ、遠き地で会えるのは、先のことらしい。
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