第二十一話  覆い羽よ隠せ

 日佐留売ひさるめが部屋に戻ると、母刀自ははとじ───鎌売かまめに教えられて、大川おおかわさまは泣かれずに緑兒みどりこ(赤ちゃん)を抱っこできるようになっていた。


 ちょっと離れたところでは、母刀自が三虎をつかまえ、


「久しぶりに会った母刀自に、良く顔を見せなさい。まーあ、目の下にくま。この子は、ちゃんと従者としてやれてるのかしらね……。」

「母刀自、誰をつかまえてそんな事を言っているのですか……。」


 と、二人とも嬉しそうに会話をしている。

 もっとも、母刀自の顔はいつものように厳しく、三虎はいつものようにムッツリした、見方によっては不機嫌そうな顔だ。


「そういえば、名は……?」


 と御子おこを抱いた大川さまがあたしに訊いた。


「まだ名はありません。」


 あたしはそう言って、首を振った。

 祖母が黄泉渡りをし、父親がえやみに倒れた。

 母親が急に産気づき、緑兒みどりこ(赤ちゃん)を産めはしたが、父親が病の床にあっては、あまりに不吉すぎて名付けなどできたものではない。

 回復を待ったが、回復の前に……母親が発病し、それから二日で黄泉渡りをした。

 あとを追うように、父親も翌日、黄泉渡りをした。

 乳母ちおもも一人死んだ。


 短い間に、祖母、母父おもちち乳母ちおも、四人次々に黄泉渡りをした。


 あまりのことに……。

 誰が父親がわりとなるかも決まっていない。

 名は、父親がわりとなる者がつけるのが望ましい。




     *   *   *




 大川は腕のなか、名前のまだない緑兒みどりこを見つめた。


 柔らかく、全身むちむちとしている。

 乳の良い匂いがする。

 緑兒みどりことは良い匂いだ……。



 比多米売ひたらめの子。

 兄上の子。




 ひょっとすると……私の子。




 抱いたらわかるかと思った。

 しかし、全くわからない。

 浄足きよたりと抱きくらべてみても、分からない。

 兄上は、「おのこに恵まれるも七日の命。」のうらを持っていたが、あれは、子供のことではなく、兄上の命のうらだったのだろうか……。

 それとも、兄上が子供の運命を吸い取って、代わりに自分の命を子供に与えて、黄泉渡りしたのだろうか……。

 分からない。


難隠人ななひと……。この子の名前は、難隠人にしよう。」

「大川さま、それは……!」


 七日の命、の皮肉ととったのか、側に来ていた三虎がたじろぐ。


「そんな顔をするな。ななは、なんを隠す、と言う……。

 この子の、どんな難も隠してくれるように。

 吾願悉禍難隠覆羽、唯其身相生慶福與。

吾願あねが禍難くわなんことごとおほかくし、慶福けいふく相性あいしゃうずのみを。


 私は願う、わざわいを残らずおおはば……鳥の翼を広げおおう事……で隠し、ただその身に慶福けいふくのみが生まれるようにと。)


 あな安らけ。


 ……きっと、この後、父上に会えば、私の子とするよう言われるさ。だから、良いだろう。」

「承知しました。難隠人ななひとさま、あな安らけ。」


 三虎が言い、


「難隠人さま、あな安らけ。」


 日佐留売ひさるめ鎌売かまめが声をあわせ、三虎と二人のおみなは、難隠人ななひととたった今名付けられた緑兒みどりこに礼の姿勢をとった。





   *   *   *





 大川は、日佐留売たちと昼餉ひるげきょうし、早々に秋間郷あきまのさとの屋敷をあとにする。



 未三つの刻(午後2時)。



 午前中からチラチラ降り出した雪が激しくなりつつあった。

 地面にうっすら白く雪が積もっている。


 白毛の馬──水雄婆閼多みをゔぁあたを駆りながら、大川は物思いにふけった。





 私の胸の、金羅真十キンラーマァソ──誰にも汚されぬくがねの誇りは、今も、輝いているだろうか?





 ……比多米売ひたらめたくされた。

 私は立派にあの子を育てよう。

 たとえ兄上の子でも。

 それは良い。

 だが……。


 ───秋津島に妻はおらず。


 跡継ぎがこれでできた。

 妻を得ていないのに。

 これで、妻を得なくても、上毛野君かみつけののきみの務めは果たせる。


 これで、私は……。


 本当に、一生、妻を得ないかもしれない。


 奈良へ行っても、私はもう、おみなに手を伸ばしたいという気が起きなかった。

 どんな美女から媚眼秋波びがんしゅうはを送られても、私にはその顔が獲物を狙うきつねのように狡猾に見えて、目をそらしたくなってしまうだけだ。


 本当にあのうらの示した通りか。


 ……それでも良い、と、もう一人の自分の声がする。



 ただ……、胸に風穴でも空いたように、心が寒々と冷える。

 冷えて、冷えて……。


 どこまでも寒々とした哀しみが心の全てをひたした。









  ───第二章、完───





     

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