第四話  さ一夜も

 上品な大豪族さまには、良民りょうみん(平民)の歌は刺激が強すぎたようだ。


 比多米売ひたらめの眼の前で、大川さまがあきらかにひるんで、赤くなりうつむいてしまった。


(まあ。それで逃げたつもり?)


 ちょっとあたしがかがめば、顔は丸見えだ。


(……逃さない。)


おみなから歌いかけられたら、おのこは歌い返さないといけません。どう返すと思います?」


 とささやいた。

 実は嘘である。歌い返さず、拒否する自由もある。でも、若さまはご存知ないでしょうね。


(ふふ、あとからたばかった、と、あたし斬首になるかしら? くくく……。)

 

 大川さまはすっかり戸惑った顔で、三度目をしばたたき、


霜露しもつゆに  衣手ころもでぬれて


 冬野ふゆの行き  齋檜葉手折ゆひばたおりし  


 照れる月夜や。」


 とすぐに返した。


(すごい!)


 あたしは息を呑んだ。


(こんなにすぐに、歌を返せるなんて……!)


 育ちの違いを、まざまざと見せつけられた。

 これが大豪族の若さま、という事なんだわ。

 もともと、さっき歌ったものは、「決まり歌」で、比多米売が考え出したわけではない。


(……素敵だわ。)


 こんな男を、もうすぐあたしのモノにできる。


「あの……。」


 あたしは頬が赤くなるのを感じながら、口元を手で抑え、


「そんなすぐに歌を作れるおのこなんて、そうはいません。」


 とはにかんだ。


 大川さまは褒められて、よっぽど嬉しかったのだろう。

 照れながら、目を輝かせ、ちょっと笑った。

 その笑顔があまりに眩しくて、大川さまのすこやかさを良く物語っていた。

 あたしもつられて、微笑みつつ、ちゃんと教えてあげた。


「ちゃんと返す歌も決まってるんです。


 ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ


 れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや


 さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ


 いえくださむ。」


 今度は大川さまは上を向いて、あたしから目をそらしてしまった。

 かまわない。

 畳み掛ける。

 さらに一歩近づき、


 「さあ、そのままを口にしてください。」


 この歌をうたい終えたら、もう、戻れませんよ。

 そして、歌わない、ということも、許さない。

 あたしは舌で下唇をゆっくり舐める。


「で、できない。」


 大川さまはふるふると、赤い顔で首をふる。

 高価なかぐわしい香りが、ぱっとあたりに散る。


「いけません。おのこは歌を返す決まりです。さあ、あとについて。ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ。」


 天井を見たままの大川さまが一瞬、下を見た。

 視線が顔を滑り下り、こちらの胸を。


(そうよねぇ。気になるわよねぇ。ふふ……。)


 大川さまは小さな声で、


ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ……。」


 とつぶやいた。

 あたしが、


れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや。」


 と言うと、おのこは耳まで真っ赤にしながら、素直に繰り返した。


(あと少し……!)


「さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ

 いえくださむ。」


 と次にあたしが言うと、大川さまがゴクリと喉を鳴らし、あたしを見た。

 眉は歪み、戸惑った顔は真っ赤で、目尻に涙まで浮かべ、

 

「もう、もう……許して。お願い……。」


 と言った。

 大川さまほど美しい若者に、そんな顔して、そんな事を言われたら。


(ああ……。

 早く食べてしまいたい。)


「いけません。さあ……、早く。」


 興奮が抑えきれない。

 自分がいやらしい笑顔を浮かべていることを自覚しながら、あたしは一歩も譲らず、ささやいた。


「えッ!!」


 大川さまは目を見開き、驚いた声をだし、あたしの勢いに飲まれるように、


「さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ

 いえくださむ……。」


 と上の空でつぶやいた。


 言寄ことよせは成った!


 あたしは晴れやかに笑い、大川さまの手をとり、


「あたしは比多米売ひたらめといいます。」


 と自分の胸に導いてやった。

 せきが切れた。

 おのこの手が胸を揉みしだき、夢中であたしの唇に己の唇を押し当ててきた。

 そのまま乱暴に帯を解き、蘇比色そびいろ背子はいし(ベスト)を肩までまくり上げた。

 あたしは好きにさせてやった。

 おのこが桜色のほう(ブラウス)の合わせを一息に広げた。

 乳房がまろび出たところで、大川さまが、


「あ……!」


 と息を呑み、慌ててあたしの両肩をつかみ、自分から引き剥がした。

 顔をそらし、苦しそうに、


「私は、なんてことを……!」


 と言った。


(まあ……、なんて育ちの良い若さま……!)


 あたしは背子はいしを脱ぎ捨て、ほうを肩からしゅるりと滑らせた。


「ここでやめるなんて……、言わないで……。」


 露わになった胸をおのこにむかって突き出す。


(見てごらんなさい、あたしの武器を。)


 大川さまが顔を引きつらせながら、白い乳房にむしゃぶりついてきた。


「あは……!」


 あたしは、甘い笑い声をだしてやった。


 好きにしゃぶれば良い。

 いくらでも好きに……。




 比多米売ひたらめは自分のことが良くわかっている。


 あたしの武器は顔ではない。

 なんとおのこの大川さまのほうが、比多米売と比べ物にならないほど美形だった。

 美女ぞろいの女官のなかでは、あたしは埋もれてしまう。

 だから早々に、上毛野君かみつけののきみの長男、広河さまのことは標的から外した。


 いつも冷めた表情の、酷薄そうな広河さまは、つねに飛び切り美しい女官ばかりを相手にしていた……。




「きゃあっ。」


 十五歳の大川さまが、おみなのような声をだした。


「そんな……、そんなこと、しないで。」


 しますわ。食べてしまいますもの。


 あたしは角乃布久礼つののふくれを丁寧にねぶり、包み、舌でつうと下から上までなぞってから、口を離し、喉でくっ、くっ、と笑った。


「比多米売と。」


 再開する。


「え……?」


 ちょっと口を離し、


「お呼びくださいまし。」


 再開する。


「ひ……、比多米売。」


 口を離し、


「ええ、もっと。」


 吸いつき、


「比多米売。」


 唇から唾が糸を引き、


「ええ、そうですわ。」


 しゃぶり、


「…………。」


 大川さまは目を手で覆い、びく、と身体を震わせ、声も出ないようだ。

 あたしはぺろり、と舐めながら、微笑んでしまう。

 

「もっと。」

 

 大川さまは熱い吐息を吐き、目から手をちょっと離し、真っ赤な顔で、


「あ……、ひ、……比多米売。」


 と言った。

 ふふ……、良く言えました。

 さあ……、ご褒美ね。夢見心地にしてあげるわ……。

 




 この大豪族の若さまは、

 顔が美麗なだけでなく、

 全身玉のような美しい肌を持ち、

 おのこらしいスラリと引き締まった筋肉を持ち、

 肌には、えも言われぬ甘く清々しい香木の香りが染み付いている。

 

 今まで味わったことのない、ふかふかの綿がたっぷりの布団に、はだかの身体がぽすっと沈む感触を楽しみながら、あたしはその素晴らしいおのこの隅々まで堪能した。


 若いおのこは、繰り返しあたしの白い房をいじり、揉み、ため息をつきながら顔を寄せてきた。





 満月が明るい。

 半蔀はじとみから射し込む白い月光が、大川さまの上で身体をくねらせるあたしの、頭から太腿まで、隠すことなく、照らし出す。


 あたしは水草が水中で、

 そよ、そよ、

 繊細に揺れるように、

 優しく腰を動かしながら、

 大川さまを見下ろし、

 頬に手を添え、

 口づけし、

 顔が自然に月光に照らされる位置に調節した。

 大川さまの顔を覗き込み、


「うふ……。」


 と笑ってみせる。

 はたして、大川さまも心底嬉しそうに笑った。

 輝くような微笑み。

 瞳のなかのきらめく光は、


(恋うてる……、比多米売。)


 とちゃんと語っていた。


(勝った!

 これで、大川さまの心はあたしのもの……。

 身体もあたしのものだ!)


 日佐留売ひさるめは、あとでどんな顔をするだろう?

 今から楽しみだ。

 あたしは月光を浴びながら、いよいよ激しく腰を揺さぶりはじめた。

 腹の底から笑いがこみあげ、大笑いしたかったが、やめておこう。

 バカ笑いしそうだった。


「くっくっくっく……。」


 大川さまの左手をとり、小指にがぶり、と噛み付いた。


「あっ?! 比多米売……?!」


 と大川さまが驚き、身体を固くする。


(おっと、いけない。やりすぎたか。)


「ああ、素敵……。大川さまは、本当に素敵よ……。」


 とあたしは口づけをした。


 ───噛んだからって、怒ったわけじゃないのよ……?


 と優しく唇で教えてやった。






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