第七話  家にくださむ

 広河さまは、本当に約束を守ってくれた。


 広河さまに連れられていった先は、上毛野君かみつけののきみの屋敷ではなく、別の、庭の広い屋敷だった。

 翌日の夜には、散り散りになっていたあたしの家族、母刀自、兄、弟と会えた。


 母刀自は、あたしが大豪族の吾妹子あぎもこ(愛人)らしく、美しく高く髪をニにけいに結い上げ、贅沢に着飾っているのを見て、


「夢じゃないのか……。」


 と何回も繰り返し、何回も泣いた。あたしが、


「ここは、広河さまに与えられた、あたしだけの屋敷なのよ。

 あたしが主人なのよ。

 皆、ここにいて良いのよ、いつまでだって……。」


 と言うと、母刀自はあたしの手を握りながら、


「ああ……。」


 と言葉を失って、ぺたんと床に座り込んでしまった。

 兄と弟は、その母刀自に抱きついて泣き出した。

 あたしも座り込み、四人でひとかたまりの岩のようになって、大声で泣いた。



 広河さまは、少し離れたところで、黙って見守ってくださっていた。



 ただ父は……。

 父は随分遠くで働かされていたらしい。

 会えるまで、それから三日かかった。

 やっと会えた父は、すっかり変わり果てていた。

 白髪がもともとまばらだったのが、総白髪そうしらがとなり、身体はげっそりと痩せ細っていた。

 今で良かった。

 あと一年も再会が遅れていれば、どうなっていたか分からない。


 やっと全員が再会できた。

 家族全員で抱き合い、むせび泣いた。



 その後、広河さまは、父の願いをそのままそっくり聞き入れてくださり、父が今まで持っていた田と家と……、あともうちょっと広い田を、おまけに添えて、父に与えてくださった。

 時間はかかったが、家族全員、下人げにんから良民りょうみんに戻してくださりもした。

 父は、


「土だ……。また田の土に触れる。ありがたい。ありがたい。」


 と涙を流した。

 母刀自と兄と弟は、自分たちの元の家と、あたしの屋敷を、思い思いに、行ったり来たりした。

 あたしは、いつもはたらに、たっぷり昼餉、夕餉を用意させた。

 家族は皆揃って、昔より身体がふっくらした。


 これを幸せと言わず、何を幸せと言えよう?


 広河さまと二人きりの時に、丁寧に感謝を伝えたら、


「私はおまえの家族が……。

 助けられて、本当に良かったと思っている。」


 と広河さまはあたしの目を見て言った。

 その言葉は、きっと心からの言葉だ。

 胸が熱くなり、ますます広河さまのことが恋いしくなった。





 ───あたしは、目の前のおのこが、どんなに酷いおのこか知っている。

 あたしがあの日、賊にさらわれたのだって、仕組まれた事かもしれない、と分かっている。


 でも、かまうものか。


 あたしだって、自分の望みを叶える為なら、手段は選ばないのだから。






   *   *  *




 年あけて。


 丙午ひのえうまの年。(766年)


 春。

 ───三月。


 雪が溶け、ぬくい春の日に。


「あたし、子供ができました。」


 と、あたしの屋敷で、広河さまに告げた。

 広河さまの瞳は、きらりと光り、一瞬口元が嬉しそうに笑ったが、なぜかすぐかげがさし、皮肉げに薄く笑った。


亀卜きぼくは知っているか?」

「はぁ……。」


(もっと喜んでくれると思ったのに。)


 むっとしながら、あたしは答えた。


「私は、おのこに恵まれるも七日の命、だそうだ。」

「はっ、バッ……。」


 そこであたしは言葉を切って、下から上に広河さまをめ上げた。

 足りず、また下から上に。

 さらにもう一回。


「?」


 広河さまがたじろぐ。


「……カじゃないの?!

 あたしの母刀自なんか八人産んだわよ。五歳になるまでに四人死んだわ。

 でも、四人残ったんだからいいじゃない。

 何が七日の命よ、ならあたしが八人でも九人でも産んでやる、百姓ひゃくせいはそうやって生きているのよ、これだから大豪族はあぐっ。」


 語尾が変になったのは、無理やり口を閉じたからである。


(やばい。やってしまった。)


「あらっ、あたしったらあ、ほほほ……。」


 とすぐに取り繕い、ころころ笑ってみせたが、


(……無理よね?! これ。)


 あたしは顔に笑みを貼付けたまま、全身に汗をかいた。

 広河さまは、ぽかんと呆気にとられた表情であたしを見ていたが、


「あはっ……、あははっ……。」


 と珍しく明るい声で笑い、


「ふっ……。」


 となぜか嬉しそうな笑顔で、息を一つ吐いた。

 そして、優しい目であたしをまっぐ見て、


「おいで。」


 と倚子に座った自分の膝をポンポンした。

 あたしは広河さまの膝の上に腰掛け、


(良かった。怒ってないみたい。)


 とホッとし、あまりにあたしを見る広河さまの目が優しいので、胸が早鐘を打った。


「兄弟は三人のはずだが?」


 と広河さまが問うので、広河さまの膝の上で、目を伏せながら、


「嫁いだ姉は、癸卯みずのとうの年(763年、三年前)、黄泉渡りをしました。前触れなく、朝起きたら、眠るように死んでいたそうです。凶作で身体が弱ったのでしょう……。」


 とつぶやいた。


「そうか。」


 広河さまは、あたしをそっと抱きしめてくれた。

 優しい……。

 身体を離し、見つめあったら、広河さまの目がいたずらっぽく光った。


「それにしても、さっき何と言ったか? ん?

 たしか、バ……? 私にそんな口をきいた者は、ただの一人もいないぞ? ん?」


 と軽くあたしの頬をつねってくるので、その手を払い落としてやり、


「知りませんっ。どうせあたしは、ただの郷のおみなです。

 お上品な上級女官さま達とは違いますっ。どうせつるばみの実ですからっ。」


 と、べ──っと舌を出してやった。

 広河さまは、おや、という顔をして、


「聞いていたか。」


 と言ったが、返事はしてやらない。

 あたしは唇を突き出し、スネた顔でそっぽを向く。

 膝の上でこういうやり取りをするのは、気持ちが良い、と思いながら。


「そうだなあ……。」


 広河さまはあたしの肩を優しくトントンと人差し指でたたき、


「それが不思議と……、最近は桃より、つるばみ団子のほうが好きでな……。

 桃はすぐに痛むが、つるばみの実は、いつまでもツヤツヤと長持ちする。

 つるばみ団子のほうが良い。」


 と言った。


「本当ですか。」


 あたしはまだスネた顔で問う。広河さまが穏やかな顔で頷くので、


「じゃあ……、教えて下さい。」


 と、満開の笑顔であたしは言った。


 願いが叶えられないという事はない。



   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る