第二話  夜戸出 〜よとで〜

 十二月。


 はあ、吐き出した息は冬の冷気で白くなる。

 蘇弖麻呂そでまろは、比多米売ひたらめに口の使い方を教えてやっていた。


「……苦しい。」


 と顔を歪めて言うので、


「あはは、それが良いんだろ。おのこはそのやってる時の、おみなの苦しそうな顔が良いんだよ。」


 と笑いながら教えてやったら、そっぽを向いた比多米売が小声で、


「……バッカみたい。」


 と吐き捨てたので、オレは、


「あん?」


 とにらんでやった。

 すぐおみなは、にたっと笑い、口元を拭い、


「何でもないわ。さ……。」


 とオレの上にまたがってきた。オレは、


「でへへ……。」


 と機嫌良く笑い、比多米売の動きにあわせ、


(はは、負けねぇぜ。)


 と、濡れたおみなの壺を激しく突き上げた。

 

「オラッ、さゑさゑされ!※」


 存分に突き。

 何回も突き。

 奥まで刺し。

 

「あああ……。ひいい……。」


 とく比多米売から汗が散った。


「あはは……、良いわ……。」


 と比多米売はほうけた笑みを浮かべた。

 すががさわさわと風にそよぐなか、果てた。

 

 



 オレは重ねて、婚姻こんいんしてやっても良いぜ、と言ったが、比多米売は笑うだけ。

 目は黒く光り、あやしげに光る。

 ぷっくりした唇はしっとり濡れ、笑みの形を作ってはいるが、何を考えているか……、少し不気味なくらいだ。


 で、なんと一年たってしまった。


 また歌垣が来た。


 事前に、オレは比多米売に躑躅色つつじいろの手布を渡した。


「分かってるよな、比多米売。オレが寝床、作っておいてやるから、オレのところにまっすぐ来るんだぞ。

 まわりが嫉妬するぐらい、歌垣で可愛がってやるからよ。」


 比多米売は無言で、笑いながら頷いた。


 だから大丈夫だ。


 相変わらず、何を考えてるかわからない笑顔だけどよ。





   *   *  *




「比多米売!」


 やっと姿が見えた。


「遅かったじゃねえかよ。」

「………。」


 山の上に登ってきた比多米売は、無言のまま、笑う。


「なんだよ。ちゃんと歌ってほしいのか。


 ぐさの  わかやるむねいもに恋ひ


 れこそは  霜結しもゆ檜葉ひば手折たおりてしかや


 さ一夜ひとよも  率寝ゐねてむしだ


 いえくださむ。


 ほら、歌ってやったぜ。さあ、来いよ。」


 と、比多米売の手をとろうとしたら、ぱっと比多米売がよけた。


「おい……。」


 オレはいぶかしむ。


「歌ったら、返せよ。」


 イライラと言う。

 おのこが歌った。

 おみなは歌を返す。

 それが決まりだ。歌を返さない、それは、言寄ことよせの拒否だ。

 男だって、女だって、拒否する時は拒否する……。


「おい!!」


 力づくで抱き寄せてしまおう、と両手を広げたら、無言のまま、比多米売が駆け出した。


「えっ……?!」


 オレは追いかける。


 比多米売は走る。


(なんだよ! 追いかけっこでもしたいのか!)


 さっと比多米売の袖がひるがえり、焚き火に照らされた左腕に躑躅色つつじいろの布を巻いているのが見えた。


(ほら、やっぱり……。)


 走る比多米売が、年若いおのこにどん、とぶつかった。


「あっ、比多米売……!」


 とオレは比多米売を心配する声をかけるが、比多米売がぶつかったおのこが、さっと比多米売の腰に手をまわした。


(は……?)


 比多米売はその若いおのこから離れるどころか、ぴたっと寄り添って、こっちを笑顔で見た。


「ごめんね。」


 比多米売はそう言って、左腕を見せた。

 左腕は、良く見れば、躑躅色つつじいろではなく、茜色の手布が巻いてあった。


(嘘だろ……!)


「あたしの益荒男ますらお、今年は、衣人きぬひとなの。」


 衣人きぬひとは十六歳、今年から歌垣に参加し、オレの家より田を持っているおのこだった。

 郷人さとびとは皆、互いに顔も名前も知れている。


「嘘だろっ……!」

「嘘じゃないぜ。見苦しいな。さっさとあっち行け、蘇弖麻呂そでまろ。それとも、見たいのかよ。」


 年下のおのこがニヤけた顔で言った。


「くそっ!」


 オレはそれ以上恥をかかないために、きびすを返した。


(あんなに夜戸出よとでで可愛がってやったのに!

 あんなにオレが教えてやったのに!

 おまえが清童きよのわらはを捧げたのは、このオレだろう?!)


 そう怒りが湧いたが、清童きよのわらはかどうかなど、郷人さとびとは重視しない。オレだってその事は良く分かっている……。



 そうだ。比多米売は、ずっと笑っていたが、あれは、オレを値踏みする、計算高い目だったんだ……。


 オレをバカにしやがって……!!


 やっと比多米売の笑顔の意味がわかったオレは、


「ちっくしょ───!」


 と叫んでから、焚き火の側で残るおみな血眼ちまなこで物色しはじめた。

 今宵は歌垣。独りで寝てなるものか。




   *   *   *




 それでも、比多米売ひたらめは、衣人きぬひと夫婦めおとにならなかった。


 オレはと言えば、なんだかんだ、その歌垣で初めて率寝ゐねしたおみな夫婦めおとになった。

 まあまあ、幸せだと思う。


 比多米売は、衣人きぬひとより条件が良い男が現れれば、すぐ乗り換えるつもりなんだろう。

 とんでもないおみなだ。


 衣人きぬひとめ。次の歌垣で比多米売に振られて、泣きっつらをさらすが良いさ。


 そう思っていたら……。





 翌年。

 乙巳きのとみの年(765年)。


 十月。


 比多米売の家が、私出挙しすいこが払えず、下人げにんに落ちた。


 比多米売はもう、郷にいない。

 どこぞに下人として売られていった。


 それを郷長さとおさの屋敷の庭で、郷人さとびと全員が聞かされた時。

 オレは思わず、衣人きぬひとを見てしまった。

 目があった。

 衣人きぬひとは眉をしかめ、複雑そうな顔をしていた。


 ……それもそうだよなあ。


 衣人きぬひともきっと、オレのように、あのおみなの良さにとっぷり溺れて、婚姻を申し込んで、無言の笑みで返されていたのだろう。


 オレか衣人きぬひとと、さっさと夫婦めおとになっていれば、比多米売だけでも、下人に落ちずに、今も暮らせていたものを……。



 オレは空を仰いだ。

 なぜか、ため息が出た。

 オレの上で快楽くわいらくにとろけ、恍惚こうこつとした笑みを浮かべていたおみなの顔を思い出す。







 ───きっと、比多米売と会うことは、もうないだろう。








   *   *   *



 ※さゑさゑ……ざわざわする感覚。


 ※さゑさゑ寄され……恥ずかしくて意味は書けません。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る