第二話  うふのしげきに

 繁みのむこう、の幹に、女官が背をつけ立っている。兄上──広河ひろかわは背を向けている。

 兄上と女官の距離は近く、親しく囁きあい、人目を引く美しい顔立ちのおみなは、華やかにくすくすと笑う。

 兄上が何かを懐から出し……、銀細工のかんざしだ。


(うわ……。)


 大川は息を呑んだ。

 兄上は女官の耳もとに顔をよせて、何事がささやいてる。

 おみなはうっとりと目を細めている。


(そんなにおみなの顔のそばに近寄って……。

 あ、あれだと、おみなの頬に兄上の顔が触れているのではないだろうか。うわあ……。)


 兄上は顔を離し、女官の耳上の美豆良みずらに、銀のかんざしをそっとした……。


 バッ! と兄上が鋭くこちらを振り向いた。無言でにらまれた。


(げ。)


 見つかった。


「見世物じゃないぞ!」


 兄上は冷たい顔で忌々いまいましげに言い、女官に顎をしゃくった。

 顔を真っ赤にして狼狽うろたえた女官は、さっと礼の姿勢をとって、走ってこの場から逃げていった。


 ガサガサ、ガサ……。女官が繁みをかき分ける音が充分遠くなったのを見計らってから、


無粋ぶすいをお許しください。

 たまたまうまやへ行くのに通りかかりました。」


 と大川は礼の姿勢をとり、謝罪した。


 兄上とは、ほとんど関わらない。

 大川が時々話しかけると、兄上は鬱陶しそうに、最低限だけ会話し、どこかへ行ってしまう。

 そんな関係がずっと続いていた。

 そして大川は、今。

 好奇心に負けた。


「今のが、兄上の恋うてるおみななのですか?」


 慎重に問うと、


「ふん! 遊びさ。」


 兄上は酷薄に言い捨てた。


「………。」


 大川は知らず、責めるような表情を浮かべてしまったのだろう。

 兄上があざけって、にやっと笑った。


「は! この清童きよのわらはが。羨ましくなったのか。

 おまえも好きに桃をついばめば良いだろう。」


 あまりの言いように、大川の頬が火照ほてる。

 兄上は十七歳。

 大川は十五歳。

 兄上の歳なら、おみなを知っていておかしい事はない。

 大川の歳では、まだ、早い。

 早いが、知りもしないで決めつけられて、不愉快だ。

 

「私が清童きよのわらはかどうかなんて……。」

「おまえは清童きよのわらはさ。」


 こともなげに兄上は断言した。


「遊びでも、緑兒みどりこ(赤ちゃん)が七日以上生きれば、大切にするさ。」

「兄上……!」


 大川が驚くと、兄上は、じっとこちらを見た。


蓮葉はちすばに まれるみずくへなみ 


 たぶれたる  しこおきなの 


 こせども 


 迂腐うふしげきに  みもあへむかも。



(狂った醜い翁の言葉が聞こえたが、愚かしく取るにたらない、あまりにも愚かさが甚だしいので、

 蓮の葉にたまった水滴の行方が知れないように、

 愚かさをかぞえることもできない。)」


 大川が何も言えずにいると、兄上は、ドン! とを右拳で打ち、そのままこちらを見ずに去っていってしまった。





 チッ、チッ……、 チッ、チッ……。





 木立に百千鳥ももちどり(こちどり)が鳴く。


(兄上……。

 五年前の亀卜きぼくをまだ気にしているのですか。

 。)


 あの亀卜のあと、皆にうらを口にするな、と厳命した父上は、


うらは当たりも外れもする。気にするな。」


 と、兄上と大川に直接声をかけてくれた。


(───秋津島に妻はおらず、とは、どういう意味なのだろう?

 私は上野国かみつけのくにの大領たいりょうの息子なのに?

 いくらでも、と言ったら言い過ぎであろうが、妻を何人だって持てる立場だ。

 放っておいても、父上が縁談をいつか持ってくるであろう。

 もしくは、いつか恋したら、そのおみなを妻にと望むだろう。

 妻はおらず、なんて状況になるわけがない。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷には、綺麗な女官が大勢、つとめているのだし……。)


 そう考えると、あのうらは珍妙で、理解できない。


(なぜ、あんなおかしなうらが出たのだろう?

 神とは、意味のないうらを授けるものなのだろうか?)


 もやもやと答えのでない、煙のような物が、ずっと、あの日から胸のどこかに、苦しげに居座っている。


 喉に刺さってとれない魚の小骨のように、兄上の心にも、あのうらはずっと、刺さったままなのか───。







 冷たい風が吹き、の艷やかな葉を揺らし、百千鳥ももちどりが、ばさばさと晴れた空を飛んでいった。




    







 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085859322930

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