蘭契ニ光ヲ和グ 〜らんけいに光をやわらぐ〜
加須 千花
第一章 その匂ふこと金蘭の如し
第一話 あな安らけ
奈良時代。
初夏の宵。
庭には
「
部屋では中肉中背の父親が、産まれたばかりの我が子を腕に抱き、あまり熱のこもらぬ声を発した。
この屋敷の主である二十三歳の
上品な
二十歳の母親、
際立って美しくありながら、控えめな雰囲気を醸し出す
母親は父親にむけ、満足そうに笑い、誇らしく言葉を
「
「いらぬ。」
「えっ。」
「
「そんな……!」
それが
宇都売は、
先祖は
二年前のある日突然、郷長の娘、親戚筋の娘、あわせて十人ぞろぞろと、
そして広瀬の二人目の
なぜ、選ばれたのか? 宇都売はいまだもって、わからない。
広瀬の目が、自分にのぼせあがったことなど、一度もない。その黒光りする目を見ると、なぜあたしを? と、一言訊くことすら、怖くてできない。
甘えなど許される雰囲気ではない。
反論などできない。
「養生せよ。」
広瀬は淡々と告げ、
「あっ……、ああっ……!」
宇都売の目から涙がこぼれた。
(父親に名もつけてもらえないなんて。なんて可哀想な子!
「うぅ……。ううう……。」
悲しみが突き上げてきて、しばらく宇都売は目を閉じ泣くことしかできなかった。
安産ではあったが、出産は根こそぎ
絶望に顔を覆いたくとも、腕が重く、持ち上げることすらできない。
側近く立つ女官が、こまめに
宇都売のすすり泣きと、
女官らは誰も喋らない。
女官から見て、広瀬は、美女の宇都売を
いつも淡々と、表情を変えず宇都売に接する。
情の薄い男よ、というのが女官一同の心中だが、それにしても。
せっかく
常識からかけ離れた広瀬の冷たい仕打ちに、女官らは言葉を失い、息をひそめ立ち尽くす。
やがて、立ち姿から厳しさが
「宇都売さま。こんなに元気な
「……。ええ……、そうね。そうね……。」
宇都売は無理やり笑顔を浮かべた。
麗しい顔に、
濡れた瞳。
宇都売は鎌売にあやされながら泣く我が子に目をむけた。
(まだ産まれたばかりの
顔をくしゃくしゃにして、大きく口を開けて、こんなにも全力で泣いている。この子は、生きる意志を、この泣き声で、天にも地にも高らかに表明しているのだわ。)
「あな
あな安らけ。」
(
広瀬さまも優しい言葉をかけて下さったのだ。
そんなに悲観することはない。)
宇都売はそう、自分を励ました。
「
健やかに、優しい
まわりの誰からも、……お父上からも、愛されるよう……。」
そう、まわりに優しく。そうすれば、愛が返ってくるもの。
それは、宇都売の
「素晴らしい
健やかにお育ちになるでしょう。
きっと宇都売さまに似て、世にも麗しい
あな安らけ。」
宇都売は、泣きつかれ、うとうとしはじめた小さい我が子の顔をじっと見て、重ねて、思った。
(────
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↓手描きの挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093084618624495
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