第二話  泥だんごとは。

 泥だんごとは。

 土に水を吸わせて、べっちゃん、べっちゃん、と握って作る団子のことだが、オレはこれを作るのが上手い。


 丁寧に握っていくのがコツである。

 まあるく、大きく作れたら、ボロ布を用意しよう。水で濡らした布で、表面をそっと撫で磨く。

 そうすると、ピッカーン、と輝くたまのような泥だんごとなるのだ。

 へへ。大きさも美しさも、見たらたまげちまう。


 まあ、今日は、すぐに使うことになるだろうから、そこまでこだわらない。

 もし、使わなかったら、もっと丁寧に磨きあげて、これは何の玉か! とビックリするぐらいにして、加巴理かはりさまに見せよう。

 うん、それが良い。

 さ、何個ぐらい必要か。




   *   *   *




 丙申ひのえさるの年。(756年。)


 春の光照る空。

 比婆理ひばりが鳴き、翔んでいく。

 松の梢ものどかに風にそよぐ。

 庭ではたちばな常葉とこばが青々と輝き、しもつけの薄紅の花が揺れる。


 半蔀はじとみ(跳ね上げ窓)を開け放った広い部屋では、五十代の豊かな口ひげをたくわえたおのこが、机の前に立ち、倚子に並んで座る二人の男童おのわらはに、にこやかに声をかける。



「おさらいをしましょう。

 舒明じょめい天皇九年丙辰ひのえたつ(637年)、是歲、蝦夷叛以不朝。この意味はわかりますかな?」


 むかって右に座る八歳の竹麻呂たけまろは、髪を後頭部で高く一本に結い、こしの強い髪を馬の尻尾のように肩まで垂らした髪型だ。淡い竹色の衣。

 左に座る六歳の加巴理かはりは、髪の毛上半分を紅色の紐で縛り、下半分は縛らず、胸下まで真っ直ぐ流している髪型だ。柳色の衣。


 竹麻呂たけまろは整った男顔。

 加巴理かはりは優美な女顔。

 

 部屋の妻戸つまと(出入り口)の近くでは、八歳の男童おのわらはが一人、立ったまま控えている。

 伊可麻呂いかまろ

 魚みたいな平べったい顔立ちの、竹麻呂たけまろ乳兄弟ちのとだ。


 今は勉強の時間だ。

 博士が机の上に木簡もっかんを広げて、文字を指差し質問するが、竹麻呂はぎゅっと唇を噛み締め、うつむき、黙っている。

 

「……舒明じょめい天皇九年丙辰ひのえたつの年(637年、飛鳥時代)、蝦夷えみしそむ入朝にふてうを拒否しました。」


 加巴理かはりが、竹麻呂をちらちら気にしながら、わらはらしい可愛い声で答える。


「そう、よろしい。では、卽拜大仁上毛野君形名爲將軍令討。これはどうですかな?」


「……我らが御祖みおや大仁上毛野君形名だいにんのかみつけののきみのかたなさまが、将軍に任ぜられ蝦夷討伐に向かいました。」


 少しの沈黙のあと、遠慮がちに加巴理かはりが答える。

 いきなり竹麻呂がバン、と両手で弟を突き倒した。


「わぁんっ。」


 ごてっ、倚子からころげ落ちた加巴理は泣き出す。


「このいやしい良民りょうみんの子め!

 変てこな名前のヤツ! お前の半分はたっと上毛野君かみつけののきみだが、半分はけがれた血だ! 

 私の半分は相模国さがむのくにの大豪族の血だ。私と一緒にするな!」


 竹麻呂は震えながら一気に甲高かんだかく叫んだ。


「これっ! 竹麻呂さま!」


 博士は口ひげを波打たせながら鋭くしかった。


「ふんっ!」


 竹麻呂は走り去った。従者である八歳の男童おのわらはも無言で後を追い、部屋を出る。


「はぁ───。陵肆禁難焉りょうしとどめがたしなり。(陵肆りょうし……人をあなどり、勝手気ままにふるまう性分しょうぶんの、抑えがたいことよ。) 一緒に勉学も出来ぬとは。ほれ。加巴理さま。起きなされ。」


 博士がため息をつきつつ、わ──、わあーん、と泣き続ける加巴理を助けおこしていると、


「ぎゃっ!」

「誰だ、ぶわふっ! このやろ───っ!」


 竹麻呂が走り去った簀子すのこ(廊下)から、男童おのわらは二人の悲鳴が聞こえた。


 許さねえからな───! と騒々しくわめきながら、竹麻呂のかのくつ(革のくつ)が遠ざかる。

 加巴理はまだ泣いている。

 おでこを擦りむいている。博士は木綿の手布で顔を拭いてやりながら、


「加巴理さまは、いやしい血ではありませんぞ。

 宇都売さまが遠く百済くだらの血を引いておられますこと、立派な上毛野君かみつけののきみのご子息として、なんら気後れすることはありません。」


 加巴理は、ひっく、ひっく、としゃくりあげながら、


「じゃあなんで兄上はいつも意地悪するの?

 私だって、あんな乱暴者イヤだ!」


 大きな声で気持ちを吐き出した。

 博士は穏やかに言う。


「お二人は血を分けられた兄弟。血は濃いものです。竹麻呂さまも、今少し成長なされば、きっとおわかりになるでしょう。」


 加巴理が何か言う前に、


「そんな日来るもんか!」


 簀子すのこから男童おのわらはの声がとんだ。

 大川の乳兄弟ちのと石上部君三虎いそのかみべのきみのみとら妻戸つまと(出入り口)に麻鞋まかい(麻を菱模様に編み出したズック靴。わらは履物はきもの。)で立っている。

 総角あげまき(二つにわけた髪の毛を耳横で丸くしばる、わらはの髪型。)で、萌黄もえぎ色の衣。

 どことなく神経質そうな顔立ちの、ふてぶてしいわらはが、怒りにまかせた声をだした。


「あいつの母刀自ははとじ(母親)が、宇都売うつめさまに嫉妬して、有る事無い事、息子に吹き込んでるんだ。」

「おまえどこでそんな事を……。」


 六歳の男童おのわらはから聞くには少々生々しい。少し狼狽ろうばいして博士が訊くと、


「オレの母刀自ははとじが言ってた。」


 どうだ、とばかりに胸をはった。


「加巴理さまに変な事言うんじゃない!」


 ため息をついた博士が、ぴたりと視線を三虎の萌黄もえぎ色の衣にめた。

 晴天なのに、点々と泥はねが裾についている。


「おまえ、その泥はどうした!」


 博士が詰問すると、三虎は、「ばれたか。」と一瞬顔をしかめたが、すぐにまた胸をはり、堂々と、


「こんな事もあろうかと、松の上で待ってた。竹麻呂の頭、伊可麻呂いかまろの顔、泥団子ぶつけてやったぜ!」

「コラ────!!」


 拳を振り上げて叱るが、三虎は俊足でピューと逃げた。


(やれやれ……。)


 加巴理は泣き止んで、切れ長の目をパチクリさせている。

 ふっくらした頬に、血色の良い唇、整った鼻梁。

 同い年のわらはに比べて、抜きん出て愛らしい、美しい容貌ようぼうの童だった。──竹麻呂と比べても。


「加巴理さま、今日はどうされますかな? この後は。」


 加巴理は、はっ、と何か気がついた顔をして、博士を真っ直ぐ見た。

 そして、泣いて恥ずかしい、と言いたげな、はにかんだ笑顔を浮かべた。

 目にキラリと理知の光が灯る。


「勉学の時間を乱してしまい、ごめんなさい。」


 と、座っていた倚子から立ち、両腕を胸の高さにあげ、指先をくっつけ、膝をかがめ、礼をとる。


「博士さま、続きをお願いします。」


 もう、まとう空気が澄んで、集中できている。


「座りなさい。」


 博士は満足そうにうなずいた。

 博士にとっては、この素直さこそ一番の得難い宝であった。





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