第六話  ひまることは。

 加巴理かはりが稽古の中庭に到着すると、三虎と八十敷やそしきがすでにいた。

 三虎の父である八十敷やそしきに既に拳骨を落とされたのだろう。

 三虎は頭をさすりつつ、私を迎えてくれた。


 八十敷やそしきに、剣(まだ棒)、弓、ほこ(まだ棒)、体術をみっちりしごかれ、あっという間に休憩時間となった。


 三虎と並んで簀子すのこ(廊下)に腰掛け、かめの汲み置きの水で喉を潤し、父上から戴いた豆菓子を二人で食べる。


 豆菓子を口に一つ、ぽいっと入れると、ぶわっと、甘葛汁あまかずらじるの甘さが口内で弾ける。

 豆菓子を噛めば、コリッ、コリッという硬くて楽しい歯ざわりと、豆の旨味うまみ甘葛汁あまかずらじるとからみ合い、唾があとからあとから湧いてくる。


「ふふっ。」


(やっぱり、豆菓子は美味しいなぁ。)


 ふと隣を見ると、三虎の豆菓子をつまむ手が止まってる。

 三虎だって、豆菓子は好きだ。

 高価なものだからって、この乳兄弟ちのとは、不必要な遠慮をしていけない。


「ほらっ! お食べっ!」


 豆菓子を三つ摘んで、えいやっ、と勢い良く口に入れてやる。口を私の手で押さえられた三虎は、


「ほが! ほが!」


 と言いながら、口をもぐもぐさせた。

 私はニンマリしながら、


「美味しいねぇ。」


 と言ってやると、


「……はい、美味しいです。」


 と観念したように三虎は自分から次の豆菓子に手を伸ばした。


「ところでさ、私、馬の初乗りができたから、馬をもらえる。どんな名前にしようかなぁ。」


 そう足をブラブラさせながら三虎に言うと、


加巴理かはりさまの馬は、水丸子みずまるこ。オレの馬は、火丸子ひまるこでどうでしょう?」


 と三虎が、えっへっへ、とイタズラするような顔で言う。

 丸子まることはくそのことだ。


火丸子ひまることは、何を考えてるんだ! バカ! 火の糞、水の糞って、何だよ?! 却下!」


 げんなりした顔で注意すると、三虎がバーンと簀子すのこ(廊下)に仰向けになって、天井をキッと睨んだ。


「良いだろぉ! 一回聞いたら忘れられないだろぉ! 戰場いくさばでオレは、ひまるこー! と叫びながら敵をばったばったとなぎ倒すんだっ。」


 誰かこのバカをどうにかしてくれ。


「却下。」


 冷たく重ねて言うと、


「ちっくしょお───!」


 と三虎が吠えた。顔はしかめっつら、投げ出した手足はどっしり山のように動く気配がない。鎌売かまめではないが、ああ態度がふてぶてしい───。


「態度がふてぶてしい。」


 素直に言ってやると、三虎が、


「ぐぬぬ。」


 とうなり、


加巴理かはりさまは水! オレは火! お揃いみたいな名前が良い! これは絶対譲らね──。」


 と大声で天井を見たまま言った。

 こちらが聞き入れないと、ずっとここから動かないに違いあるまい。

 この頑固者がんこもの、と私の口元に笑みがもれる。


「あー、はいはい、分かったよ。ちょっと考えさせろ。」


 三虎とは赤ちゃんの頃からのつきあいだ。三虎のこれくらい、あつかえぬ私ではない。私は腕組みをし、


「……そうだなぁ、三虎、香火屋乙女かひやおとめって知っているか?」


 そう訊くと、三虎が静かになり、むくっと上半身を起き上がらせた。

 私を見て首を振る。


「……知らない。」


 私は、庭に立ち土師器はじきの杯から水を飲む八十敷やそしきを見た。

 八十敷やそしきも、知らない、というように首を振った。


かまどにいる火の女神、まだ幼い美しい乙女だそうだ。」


 八十敷やそしきと三虎が顔を見合わせている。

 無理もない。

 私も、上毛野君かみつけののきみの屋敷内で、母刀自以外からこの女神の名を耳にしたことはない。

 

「母刀自に教えてもらった。韓級郷からしなのさと郷人さとびとの家には、いるそうだ。」


 韓級郷からしなのさとは、百済くだらの影響が濃い。の地の女神なのかもしれなかった。

 今は滅んだ国の……。

 私には、母刀自が教えてくれた、ということが大事だ。母刀自が、いる、というなら、いるのだろう。


「では三虎、おまえの馬には、私が名前を与えてやろう。香火屋かひや。どうだ?」


 三虎は、


「かひや、かひや……。カヒャ、カヒャ……。カヒャになっちゃいます!」


 と真剣に言うので、


「じゃあ、カーヒーヤ、でどうだ?」


 と告げると、三虎は満足そうにちょっと笑って頷いた。


「じゃあ、加巴理かはりさまのは、オレが! み、み……。みを!」

「また随分可愛い名前だな。」


 三虎の気配が澄んだ。


みをが良いんです。身を尽くして、加巴理かはりさまに尽くしてくれるでしょう。」


 三虎が、黒く輝く瞳で、じっと私を見る。


(わかっているとも。)


 私は、柔らかく頬が緩み、笑う。

 三虎が、何を言いたいか、私はわかっている。

 身を尽くし、私に仕えきる。三虎は、そう、忠誠を私に捧げている。


(私のたった一人の乳兄弟ちのと。)


 少し照れた。

 私は笑いつつ、下を少しむき、腕組みしたまま、考えるフリをする。


「良ぉし、じゃあ、格好良くしてやろう。博士に、離婆多れいゔぁたという仏弟子をならったぞ。

 ミヲヴァータにしよう。さあ、漢字を考えるぞ。勇壮なやつ!」


 そう元気に告げると、三虎が、


 「はいっ!」


 と嬉しそうに笑った。

 頑固者が笑った。

 私はなにかくすぐったく───。

 豆菓子をがっさと鷲掴みにし、


「お食べっ!」

 

 と左手で三虎の首根っこをつかみ、豆菓子を大量に口に押し込んでやった。


「ほんがぁぁ!」


 と三虎は目を白黒させ足をジタバタさせた。

 目を細めてこちらを見ていた八十敷やそしきは、ふふふ、と小さく笑った。


 私は、八十敷やそしきがいつもより長く休憩時間をとっていてくれたのを、きちんと分かっていた。





 

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