第八話  せむすべの たづきを知らに

 大川さまは弾かれたように倚子を立ち、姉上──日佐留売ひさるめに駆けより、両肩をつかんだ。

 その異様な速さに、三虎は驚き、声も出ない。

 大川さまが姉上を詰問した。


「いつ! どこで!」


 肩をつかむ大川さまの力が強いのだろう、姉上は顔をしかめながら、


「裏庭の池の、つるばみ(どんぐり)の木の側です。時刻は……、うまはじめの刻(午前11時)……。」

「どうしてそこまでわかる!」

「大川さま付の於屎売おくそめが、比多米売ひたらめが用もないのに裏庭に行くのをいぶかしんで、あとをつけていったら、つるばみの側でいきなり賊が現れて、比多米売を殴って連れ去ったと……。

 悲鳴をあげたら、於屎売おくそめも殴られ、ついさっきまで気を失っていたそうです。」


 大川さまはみるみる真っ青になり、姉上の肩から手を離した。

 姉上は、顔から力が抜け、は、と息をついた。

 大川さまは、


比多米売ひたらめ……!」


 とうめき、心配そうに見つめている宇都売うつめさまを振り返りもせず、一目散に部屋を走り出た。


「大川さま!」


 三虎はあとを追う。

 うまやまで一気に走り、大川さまは、


水雄婆閼多みをゔぁあたくらをつけろ! すぐだ!」


 と馬飼部うまかいべ(馬の世話をする下人げにん)に大声で言いつけた。


「大川さま!」


 三虎は大川さまを呼ぶが、大川さまはこちらを見ず、返事もしない。


 いつも穏やかな大川さまの目が血走っている。腰を抜かすほど驚いた馬飼部うまかいべはきびきびと鞍をつけ、大川さまはさっさと馬に跨がろうと、鞍に手をかけた……。


「大川さま!」


 三虎は大川さまの肩をつかみ、力づくで自分のほうに身体の向きをかえさせた。大川さまの、半分おろした黒絹のような髪が、ぱっと散った。

 大川さまは噛みつくように怒鳴った。


「離せ! 急がないと比多米売ひたらめが……!」

「落ち着け! 闇雲に探す気か! 見つからないぞ!」

「………。」

「人を集め手分けして探そう。卯団うのだんと、兄上にも話して、酉団とりのだんも使わせてもらおう。」


 三虎の兄上、布多未ふたみ酉団長とりのだんちょうだ。

 三虎は十二歳から卯団長として、卯団を任せられている。


「まさかとは思うが、昨日さしたおみなか。」

「!」


 言い当てたようだ。大川さまの気が立った顔がみるみる泣き顔のように歪んだ。


「そうだ。私のいもにするおみなだ。必ず助ける。」

「わかった! 始めからそう言え!」


 三虎ははっきり言い、馬飼部うまかいべに、馬にありったけ鞍をつけておくよう言いつけ、人を集める為に、大川さまと二人でうまやを走り出た。


   



   *   *   *





 暗い。


 比多米売ひたらめは手を後ろ手に縛られ、足も縛られ、口も布で覆われている。

 頭からつま先まですっぽり、大きな麻袋に覆われている。

 身体が揺れる。

 おそらくうつぶせに馬に揺られ、どこかに運ばれている。


(どうして……。)










 うまはじめの刻(午前11時)、大川さま付の女官……、たしか名前を於屎売おくそめから、


「大川さまがお呼びです。人に知られないように、あたしと来てください。」


 と言われ、


(とうとう来たわ!)


 と胸を踊らせながら、あとをついて行ったのだわ。


(……さあ、どうやって、言葉の駆け引きをしよう。)


 あの世間知らずな初々しい若さまを、焦らして、かと思えば、従順な笑顔を見せ、あたしに夢中にさせるのだ……。


(あたしを吾妹子あぎもこにすれば、昨日のように、焦らして、焦らして、果てに、大きな快楽くわいらくで、いくらでも、たっぷり包んであげる。

 あたしから離れられないようにしてやるわ……。

 あたしを、絶対、吾妹子あぎもこにするのよ、大川さま……。)



 そう思いながら、屋敷の裏庭の、池のほとり、つるばみのそばまで案内された。

 でも誰もいなくて、


「大川さまは?」


 と於屎売おくそめを振り返ったら、黒い衣のおのこが立っていて……。

 悲鳴をあげる間もなく、腹をいきなり打たれた。

 その後のことは覚えていない。


(恐ろしい……。あたしはどうなるの。)


 何も見えないなか、比多米売は身体をぶるぶると震わせた。


 馬が脚を止め、麻袋のまま馬から降ろされた。

 震えが伝わったのだろう。

 比多米売をおそらく肩にかついで運ぶおのこが立ち止まり、


「げへへぇっ。」


 と嫌な笑い声をたて、また歩きはじめた。


(どうしてこんな目に。

 なんであたしが。

 あたしは、今頃、つるばみ(どんぐり)の木の側で、うるわしい大川さまに甘く愛をささやいてもらってるはずだったのに。

 きっと、大川さまは知らない。

 あたしが賊にさらわれ、今、ここにいることを。)

 

 比多米売は、縛られた口で、


「ああ、大川さま、大川さま、助けて!」


 とうめいた。声は、うう、ううう、としか聞こえなかった。





   








 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085224280245

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