第40話 越智後の竜

 杉神兼平から最初の文が来て数週間後、武士たけしは昼過ぎに庭でぼんやりと空を見上げていた。膝の上には光明から借りた読みかけの書物が開いてあったが、半刻ほど前から一切進んでいない。

 そこへ、武士たけしを探していたバサラが通りかかる。


「……けし。たけし。武士?」

「わっ!? ……何だ、バサラか」

「何だ、バサラか……じゃねえだろ。ここ数日、元気ないじゃん?」

「別に、そんなことない」


 ぷいっとそっぽを向いた親友をそれ以上いじめるのはかわいそうかもしれない。バサラは彼が凹んでいる理由を知りつつも、傷口に塩を練り込もうとしている自分を冷静に見ていた。

 しかし、告げないわけにはいかない。バサラは軽く肩を竦めると、武士たけしの隣の岩の上に腰を下ろした。


「明日らしいな、杉神様が来るの」

「……ああ」

「姫は師匠だって言ってただろ? そんなに落ち込むことないだろうに」

「落ち込んでるわけじゃない。ただ、これから西側騒がしくなるだろうって思ってただけだ。蒙利がまた動き出したら、こちらも迎え撃たないといけないから」

「そういうことにしといてやるよ。本を読む手、完全に止まってたぞ」

「――っ」


 カッと顔を赤らめた武士たけしに、バサラはそれ以上何も言わない。その代わり、袖に入れていたものを彼に差し出す。

 手のひらに乗るサイズの小さなものだ。紙に包まれたそれを受け取り、武士たけしは首を傾げた。


「何だ、これ?」

「開けてみろよ」

「……? これ、饅頭?」


 武士たけしの手のひらには、黒糖で色付けされた饅頭が一つ乗っていた。

 目をしばたかせる武士たけしに、バサラは悪戯っぽい笑みを浮かべてネタばらしする。


「それ、和姫がくれたんだ。オレと武士たけしに一つずつ。いつものお礼、だってさ」

「和姫が……」


 先程までの顔とは打って変わり、武士たけしは嬉しそうに頬を緩ませる。

 その表情の変わりようが可愛く見えて、バサラは腹を抱えて笑ってしまった。


「あっはっはっ」

「笑い過ぎだろ」

「だってお前……ウケる……わかりやす過ぎる」

「……戻る。ここにいたら、おれまで変な奴だと思われかねない」

「あ、失礼だなそれは!」


 途端すんっとした顔になり、武士たけしはバサラを置いて邸の中へと戻って行く。その背中を笑い涙を拭ったバサラが追った。


 そんなことがあったのが、昨日のこと。

 翌日、武士たけしは朝から落ち着かない心地でいた。それははた目から見てもわかる変化であったらしく、いつものように講義をしていた光明が困った顔で指摘するか迷ってしまう程だ。


「……武士たけし、そんなに杉神様が来るのが嫌なのか?」

「へ? 嫌とかそういうわけじゃ」

「それにしては、眉間にしわが寄っている。気になるだろうが、心配せずとも呼ばれるはずだ」

「呼ばれる?」

「ああ。あの方は和姫様に会いに来るのだろう? ならば、十中八九お前たち二人が呼ばれる。案じなくても良い」

「あ、はい」


 何処かズレた指摘に頷き、武士たけしはおもむろに眉間を指で撫でる。確かにしかめっ面をした形跡を感じ、気を付けなければと思うのだった。

 光明は武士たけしが普段通りに戻ったと安堵し、講義を再開させる。

 そうして時が過ぎ、場所を変えて剣術の鍛錬をしていた武士たけしとバサラ。二人は少し前にやって来た客人を気にしつつ、無心で木刀に向き合おうとしていた。


「そういや、小四郎さんたちはもう床上げしたってな」

「ああ。今朝、克一さんのところに挨拶に来てた。克一さん、男泣きしてて大変だったな……。小四郎さんたちが慌ててたけど」

「それ、立場逆じゃないのか?」

「――いた。武士たけし殿、バサラ殿!」

「「――っ!?」」


 木刀をあて合いながら喋っていた二人は、突然声をかけられそちらの方向を振り向く。廊下からこちらを見下ろしていたのは、和姫おつきの梅だった。


「梅さん、どうかなさったんですか?」

「姫様がお二人を探しておられます。杉神様もおられますので、姫様のお部屋に行って頂けますか?」

「すぐ行きます」


 梅の言葉に被さる勢いで武士たけしが返事をすると、梅はにこりと微笑んで去って行った。

 立ち去る梅を見送り、バサラは苦笑を漏らす。


(ありゃ、梅さんに武士たけしの気持ちバレてるな)


「バサラ? 行くぞ」

「ああ」


 バサラがそんなことを思っているとはいざ知らず、武士たけしは早速木刀を片付けに行く。彼の背を追うため、バサラは額の汗を拭った。




「失礼します。和姫?」

武士たけしですね。バサラも。入って下さい」

「失礼……。あなたは」

「初めまして。きみたちが、和姫殿が呼び出した武士たけしとバサラだね。わたしの名は、杉神兼平すぎがみかねひら。越智後という国を治めている。宜しく」

「は……はい」

「宜しくお願いします、杉神様」


 武士たけしとバサラは呆気にとられ、次いで慌てて頭を下げる。

 和姫と向かい合って座っていたのは、女性かと見紛う程美しい人だった。細面で整った顔立ちに、妖艶な魅力さえ漂う切れ長の目が印象的だ。女装していても違和感はないだろう。

 動揺した様子の二人に対し、和姫は微笑みながら兼平を紹介した。


「綺麗な方ですよね。杉神様は、一国をまとめ上げる力を持った武将なのですよ。それでいて、わたくしの夢見の師でもあります」

「……女人?」

「え、女の人!?」

「そうだよ」


 明らかに狼狽える二人の少年の反応を面白がりながら、兼平は「改めて」と姿勢を正した。


「私は杉神兼平。豊葦原でも数少ない、女の領主なんだ」

「「ええっ!?」」


 二度目の叫びを聞き、兼平は楽しそうに微笑んだ。

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