第18話 隣国事情

 鍛錬に精を出した武士たけしは、その日の午後から光明のもとに行った。汗を井戸水で流し、短い時間で言葉を交わすようになった先輩武士たちと別れる。

 この日、バサラも共に光明の執務室へと歩いていた。


「光明さん、木刀を持ってる姿初めて見たな」

「ああ。……背筋がすっと伸びて、綺麗だと思った」

「オレらより年上の奴らとの立ち合いも、涼しい顔でやってのけてたもんな」

「うん。あの人、自分は弱いからって一線から退いてるらしいけど、本当はそうでもないのかもしれない」

「ああ」


 光明は、普段滅多に他の武士たちと共に行動しない。そのためか、冷たいという印象を持たれがちだと信功が嘆いていた。

 しかし武士たけしは別の見解を持っている。光明は一人で動くことが好きで、頭を働かせることの方が己に合っていると知っているのだろう。それが周りの反感を買っているとしても、適材適所という言葉を知っているから放置しているのだ。

 とはいえ、孤立していいはずがない。


(光明さん、もっとみんなの中に入れば良いのに……。って、そういうキャラじゃないよな)


 鉄面皮とも揶揄される自分の上司たる男を思い出し、武士たけしは苦笑を漏らした。


「何笑ってんだよ、武士たけし?」

「ああ、いや。不器用だなって思っただけだよ」

「ふぅん?」


 誰が不器用、とは言わない。それでも、隣で歩いていたバサラには武士たけしの考えが筒抜けだった。


(不器用って意味では、お前も負けず劣らずだと思うけどな。オレは)


 まさかバサラがそんなことを思っているとは、武士たけしは思いも寄らない。

 それからは雑談に興じ、二人は光明が待つ書庫兼執務室の前へとやってきた。


「ここに立つと、自然と背筋が伸びる気がする」

「バサラでもそんなこと思うんだ。おれもだけど」

「なんか、信功様と会う時より緊張する」

「それは……どうなんだ?」

「はぁ。私よりもお館様と会う時に身を引き締めろ」


 大きなため息をついたのは、武士たけしたちが来たことを音で気付いた光明だった。彼はふすまに手をかけ、二人の少年を見下ろす。


「入れ。頭に叩き込ませたいことは幾らでもあるぞ」

「うげっ」

「はい。今日もよろしくお願いします」


 嫌そうな顔をしつつもその場を動かないバサラと、普段と変わらず頭を下げる武士たけし。反応は正反対ながらも、二人共自分がやると決めたことはやるという意思は強い。

 光明は二人の決意を理解しているからか、それ以上は何も言わない。ただ「入れ」と二人を急かした。


「この国、烏和里に関してはこれまである程度伝えたが、今日は隣国との関係性について学んでもらう」

「隣国。例えば、亜季の国のようなところということですか?」

「そうだ」


 書庫兼執務室に置かれた長机を四つくっつけ、大きな机にする。その上に、光明は巨大な地図を広げた。烏和里を中心とした地理である。

 光明は烏和里の文字に人差し指をあて、すっと横に移動させる。


「私たちの守るべき烏和里の地は、南に海を擁する。しかし東西北を他国に囲まれ、そのどれもが烏和里より石高も兵の数も多い。私たちが勝るものは、武器を作るための資源の多さだけだ」

「つまり、鉄」

「そうだ、バサラ」


 頷いた光明は、指を西へと動かす。


「北の越智後えちご、東の武佐志むさし、そして西の亜季。この豊葦原と呼ばれる島国には三十をゆうに超える国が並び立つが、最も警戒すべきはこの三国だ」


 光明が示した国の名は、どれも日本にいた頃の武士たけしとバサラが歴史の授業で聞いたことのある国々の名だ。しかしそのどれもが、烏和里と同様に漢字での書き方が違う。更に驚くべきことに、江戸時代になってから作られるはずの全国の地図が既に存在する。

 二人は改めて、ここが日本の過去ではなく異世界なのだと実感した。

 ごくりと唾を呑み込んだ武士たけしだったが、ふと気になって日本列島によく似た地図に描かれた北海道や東北地方があるべき場所を指差す。そこには、雲が描かれるだけで国の名が存在しない。


「光明さん、この辺りは何故何もないのですか?」

「何もないわけではない。地図が無いのだ。未だ未開の地ゆえにな」

「未開の地……」

「その辺りには、国がない。鬱蒼とした森と山が広がる地帯だ。いわば、人などがやすやすと乗り込んで良い場所ではなく、動植物や神の領域だな」

「驚きました。光明さん、神様を信じてるんですか?」


 思わぬ言葉を聞き、バサラが尋ねる。しかし光明は、肩を竦めて「今話すものでもない。進めるぞ」と話を逸らした。


「越智後は武佐志と仲が悪く、長年領地を争っている。互いにけん制し合っているためか、こちらまで手を伸ばしてくることはほとんどない。私たちとしても、これ以上警戒すべき方角が増えることは望ましくないからな」

「ではやはり、最も目を向けるべきは……」

「そう、亜季だ。この国は西国での覇権を得て、属国を次々と作り出している。後一年もすれば、西側の国は全て手中に収めるかもしれんな」


 それ程の強い国だ。光明は唖然とする武士たけしとバサラがついて来られるように、一度間を置いた。


「更に言えば、亜季にせっつかれた別の国から戦を仕掛けられることも考えるべきだろう。どの国も亜季の国……蒙利を恐れているからな」

「以前光明さんから教えて頂いたのは、蒙利はその武力と統率力、そして現主の頭の良さによって支配を確実なものにしているということでしたね」

「その通り。婚姻を繰り返し、各国に己の一族の者を送り込んでもいる。そして奴は、決して負ける戦はしないと名高い。……奴にとって、辛くも国を守り続けている烏和里は目の上の瘤だろう」

「その蒙利の狙いは鉄だと聞いていますが、烏和里には鉱山があるんですか?」


 バサラの問いに、光明は「ある」と頷く。


「鉄鉱石が豊富な山が二つ。つ国から鉄の精錬方法を学び、今や我が国を支えるまでになっている。……その大切なものを奪われるわけにはいかない」

「これだけ武器を作れる資源を持っているなら、もっと好戦的でも良いと思うんですよね。何で信功様は、もっと領地を広げようとなさらないんですか?」

「それは、おれも思っていました」

「まあ、そう考えるのが自然だろう。だが……」


 光明は肩を竦め、柔らかく微笑んだ。普段は見せないその表情に、二人の少年は驚く。


「和姫様の夢見があったからだ。勿論、信功様自身が積極的に戦を仕掛けようとなさらないのもあるが、それは娘に血なまぐささを教えたくないからだろう」

「夢見……」

「そう。姫様は、お前たち二人をこの国を救う者だとおっしゃった。以前から、やられた分以上のものを相手に返すことが普通の戦国の世において、姫様は報復をよしとなさらなかったからな。多くの国の主が娘の話などに耳を傾けない中、我が主は珍しいと言える」


 それも全て、幼い頃から発現した和姫の力ゆえだと光明は言う。先を見通し、他人の夢を渡る姫君の力は、この国に置いて無視出来るものではない。


「話が逸れたな」


 コホンと咳払いし、光明は話を元に戻す。

 それからも一時間程光明による講義は続いた。武士たけしとバサラはその後少し光明の仕事を手伝い、夕刻には部屋に返された。


「そう言えば、光明さんって自分の仕事いつやってんだ? オレたちに時間割いてたら、進むものも進まないんじゃね? あの人、事務方のトップだろ」

「おれもそう思うんだけどね」


 バサラの最もな問いに対し、武士たけしは同じ疑問を持った時に信功から貰った回答を思い出した。


「お館様が言っていた。『光明は少し硬すぎるところもあるが、あれで世話焼きでな。お前たちとかかわることを楽しんでいるから、心配しなくても良い』ってさ」

「そっか。なんか、そんなに怖い人じゃないのかもな」

「ああ」


 二人がそんな話をしているとも知らず、光明は変わらず澄まし顔で仕事を片付けていた。

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