気付かぬ想い

第19話 東からの書状

「申し上げます!」


 ある朝、一人の男が信功の館に飛び込んできた。正しくは馬を駆っていたのだが、そのあたりは割愛する。

 酷く急いだ様子の男の前に、信功が悠然とやって来た。彼自身内心は落ち着きなどなかったが、慌てている者の前で自身も慌てては、正しい知らせを早く得ることは出来ない。彼の斜め後ろには光明と克一が控え、小姓が一人付き従っていた。


「まずは水を飲め。話はそれからだ」

「はっ」


 男は小姓に差し出された水を一気に飲み干し、慌て過ぎて咳き込む。

 信功は彼が落ち着くのを待ち、どうしたのかと尋ねた。


「お主は確か、東に差し向けていたな。向こうで何か動きがあったか?」

「はい、その通りでございます」

「――申してみよ」


 目をすがめた信功は、男に続きを促した。

 男は深々と頭を下げ、持って来た書状を掲げる。小姓を通じて書状が信功のもとへ届くと、彼は驚くべきことを口にする。


「越智後の杉神すぎがみ、武佐志の武富士たけふじが一旦和睦を結んだようでございます。更に調べによれば、武富士は烏和里へ向けて軍を差し向けるために和睦したと考えられるのでございます」

「武佐志の武富士だと!?」


 思わず立ち上がった信功の勢いに怯え、伝令役を任された男は縮こまる。それに構わず目くじらを立てた信功が振り返ると、側近二人は互いに言葉を交わしていた。


「武富士め。杉神との戦に飽いたか」

「あそこの殿様は飽き性だからな」

「こちらに軍を差し向けて来るとしても、杉神との戦の傷を癒す必要がある。早くても数カ月はかかろう」

「とはいえ、こちらも油断は出来んぞ」

「お前たち、わしをのけ者にして話を進めるな」

「ああ、これは失礼を」

「申し訳ございません、お館様」


 信功に注意された光明と克一だが、謝るのは形だけだ。頭では全く別のことを考えているのか、何処か上の空である。

 しかし、信功もそれをわざわざ指摘することはない。彼らの頭にあるのは、武富士からこの国を守るためにすべきことと、その際に蒙利に隙を見せないためにすべきことだからだ。どちらも信功よりも先に二人が考えてしまうが、彼自身も頭を回転させる。

 信功はふむと考えた後、平伏したままの伝令をそのままにしておくべきではないと思い直す。傍で静かに座っていた小姓に一つ命じた。


元太げんた、彼を寝所へ案内せよ。今夜はこの館で身を休め、明日書状の返事を持たせよう」

「かしこまりました」

「有り難き幸せでございます」


 伝令役の男を小姓の元太に任せ、信功たちはその場で話し合いを始めた。

 まず口を開いたのは、各国の動きに神経を尖らせていた光明である。


「武佐志とは、また力のある国ですね」

「豊葦原の東側を席巻するのは、武佐志と越智後。いつも唐突に戦を止める国々だが……。越智後に動きはないのか?」

「今のところ、こちらへ下りて来るという話は聞いておりません」

「そうか」


 光明の言葉を聞き、信功はようやく手に持っていた書状を広げた。指に力を入れていたが為にくしゃりと歪んでしまってはいるが、読むのに支障はない。

 書状には、伝令が伝えて来た内容がもう少し詳細に書かれていた。

 曰く、武佐志は戦で消費した鉄を自国で賄うことが出来るが、更に多くの領地を得るためには武力の増強が不可欠だと結論付けたという。他国との交易で鉄を得ているはずだが、それでは足りないということか。

 信功は憮然とし、腕を組んで天井を見上げた。


「皆、鉄鉄鉄、と鉄のことで何かあれば我が烏和里を標的とする。その単純な考え方はもう少しどうにかならんのか?」

「鉄を制する者が武を制し、国を制する。大昔からのことでありますから、今更それを何かに変えようという考えは湧かないのでありましょうな」

「……克一、お主時々言葉が辛いな?」

「おや、そうでございましょうか」


 黒い顔をしていた克一だが、信功に指摘されるといつもの笑みへと戻す。その変わり身の早さに苦笑いした信功は、さてと書状を床に広げた。


「ここでぐちぐち言っても仕方がない。いつ武富士が攻めて来るかわからぬからな。我らも相応の支度だけはしておこうか」

「はっ」

「承知致しました」


 光明と克一が部屋から消え、信功は一人その場に残る。その彼のもとに、伝令を世話してきた元太が戻って来た。

 少年に気付き、信功は片手を挙げた。


「ご苦労だったな、元太」

「いえ。……何かお悩みですか、お館様?」

「悩み、か。戦をせずとも良い世にするためには、どのようにしたら良いのであろうな」

「……それは」


 答えに窮する十代の少年の頭に、信功は自分の大きな手を乗せた。そしてぐりぐりと撫で回す。


「すまんな、困らせてしまった。それを考えるのは、わしの役目じゃ」

「お館様……」

「お前も自室に戻りなさい、元太。助かった」

「承知しました」


 元太が下がると、信功は一度天井を仰いだ後に歩き出す。


(少し、和姫の様子を見に行こうか)


 蝉の鳴く声が響き、まだまだ夏は終わらない。信功は汗の流れる首筋を拭い、ゆっくりとした足取りで娘の自室を目指していた。



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